かうやうの折は御遊 桐壺05章03

2021-03-29

原文 読み 意味

かうやうの折は 御遊びなどせさせたまひしに 心ことなる物の音を掻き鳴らし はかなく聞こえ出づる言の葉も 人よりはことなりしけはひ容貌の面影につと添ひて思さるるにも 闇の現にはなほ劣りけり

01052/難易度:★★☆

かうやう/の/をり/は おほむ-あそび/など/せ/させ/たまひ/し/に こころ-こと/なる/もの-の-ね/を/かき-ならし はかなく/きこエいづる/ことのは/も ひと/より/は/こと/なり/し/けはひ/かたち/の/おもかげ/に/つと/そひ/て/おぼさ/るる/に/も やみ-の-うつつ/に/は/なほ/おとり/けり

このような折には管弦の遊びなどを催しになられましたもので、あの方は人より豊かな感情を込めて琴を爪弾し、はかなく消えてしまったその時歌った愛の言葉にしても、人とは異なる色香漂うお顔立ちが幻のように月の面と重なるのを御覧になるにつけても、歌にある闇中の逢瀬よりも更に実在感に乏しいものでした。

文構造&係り受け

主語述語と大構造

  • も…にも…は…劣りけり 三次元構造

〈[帝]〉かうやうの折 御遊びなどせさせたまひし 〈[桐壺更衣]〉心ことなる物の音を掻き鳴らし はかなく聞こえ出づる〈言の葉〉も よりはことなりし〈けはひ容貌〉の面影つと添ひて思さるる〈[様]〉にも 闇の現になほ劣りけり

助詞と係り受け

かうやうの折は 御遊びなどせさせたまひしに 心ことなる物の音を掻き鳴らし はかなく聞こえ出づる言の葉も 人よりはことなりしけはひ容貌の面影につと添ひて思さるるにも 闇の現にはなほ劣りけり

  • かうやうの折→せさせたまひき
  • 御遊びなどせさせたまひし→掻き鳴らし/「掻き鳴らし」は中止法で係る先はない。
  • はかなく聞こえ出づる言の葉・人よりはことなりしけはひ容貌の面影につと添ひて思さるるに/並列→闇の現にはなほ劣りけり
  • けはひ容貌面影につと添ひて思さるる(にも):AのB連体形(けはひ容貌:A、面影につと添ひて思さるる:B)。この「の」はいわゆる同格を表すが、意味上は倒置と考えるとわかりやすい。「面影につと添ひて思さるるけはひ容貌:B連体形→A」が元の形。この「けはひ容貌:A」に少し長い修飾「人よりはことなりし:C」を加えると、「面影につと添ひて思さるる 人よりはことなりしけはひ容貌:B連体形 C→A」となり、「思さるる」の係る先が遠くてわかりづらくなる。そこで「人よりはことなりしけはひ容貌:C→A」を前置し、「の」を補って後ろから修飾した形が「人よりはことなりしけはひ容貌 の 面影につと添ひて思さるる/C→A の B連体形」という形である。中心となる語「A」に対して、「C→A←B」のように前後から修飾すると考えるのだ。同格とは、「C→A」と「B」の後ろに「A」を補って読む読み方だが、これだと「C→A」と「B→A」の関係がどうなるのか不明のままである。単なる修飾関係とする方が余程すっきりすると思うが、国文法では、修飾語は必ず被修飾語の前にあると考えるので、後置修飾を認めていない。そこで同格という説明が考え出されたわけだが、王朝人の言語意識とこの同格説明が一致しているのか、はなはだ疑問が残る。

「かうやうの折…言の葉も」:過去の宴で聞いた更衣の言葉。「人よりは…添ひて思さるるにも」:月の姿に今ダブらせて見ている更衣の面影。そのどちらも「闇の現にはなほ劣りけり」という流れ。

「心ことなる物の音を掻き鳴らし」:中止法(「中止法って」何を参照)


「かやうの折は…言の葉も」「人よりは…思さるるにも」(AもBにも)→「闇の現にはなほ劣りけり」:Aも劣るし、Bにおいても劣る


「けはひ容貌の面影につと添ひて思さるる」:A「主格」のB連体形

かうやう 御遊びなどさせたまひ 心ことなる物の音掻き鳴らし はかなく聞こえ出づる言の葉 人よりことなりけはひ容貌面影つと添ひ思さるる 闇なほ劣りけり

助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞

助動詞の識別:させ し し るる けり

  • させ:尊敬・さす・連用形/「させたまふ」:最高敬語
  • :過去・き・連体形
  • :過去・き・連体形
  • るる:自発・る・連体形
  • けり:呼び起こし・けり・終止形
敬語の区別:御 させたまふ 聞こゆ 思す

かうやうの折は 遊びなどせさせたまひしに 心ことなる物の音を掻き鳴らし はかなく聞こえ出づる言の葉も 人よりはことなりしけはひ容貌の面影につと添ひて思さるるにも 闇の現にはなほ劣りけり

尊敬語 謙譲語 丁寧語

古語探訪

はかなく 01052:結果の用法

準備を行いながら予期した結果が得られない状態。二人で過ごしていた時は充実していたが、今となってはそれもはかないものなのだ。その時に「はかなく」吟じたのではない。

面影に 01052:幻覚

影は月の光。面影はここでは月の面(おもて)、輪郭。さらには月が幻影のように見えること。月を長くみることは忌避されていた。

つと添ひて 01052

桐壺更衣の気配や容貌が幻影のような月の輪郭にぴったりと重なって。「つと」は動かずに重なりあう。「添ひ」ハ行四段活用だから自動詞。他動詞なら下二段活用。

かうやうの折 01052

九月十日頃の夕月夜の美しい時節。

御遊びなどせさせたまひしに 01052

帝が管弦の会を催された時に。注意したいのは、ここは「し」とあり過去のこと。

心ことなる物の音 01052

人と異なる楽器の音色。掻き鳴らしとあるので、琵琶や琴の類であろう。言葉がささやきであるのに対して、選ばれた動詞から情感が籠もっている様子がうかがえる。「ことなる」「ことなりし」とあり、桐壺更衣は特別で、他に替え難い思いが強い。

言の葉も 01052

愛のささやき、愛の歌。ここはその記憶である。次の「けはひ容貌」が今まさに幻となって立ち上がるのとは別である。過去と現在が混在しているところに帝の精神状況が表現されている。すごい一文だ。

にも 01052

(記憶の中の愛の言葉もそうだし)、今目にした幻にしても。

闇の現にはなほ劣りけり 01052

「むばたまの闇の現はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(暗闇の逢瀬ははっきりした夢より少しましなだけ)/古今集、恋三、読み人知らず)を下にひく。「なほ劣りけり」は「いくらもまさざりけり」に対する語。元歌が少しましという少ないがプラス評価であるのに対して、幻との逢瀬は、定かなる夢にも等しい闇の逢瀬と比較して、ずっと劣るという評価。

〈テキスト〉を紡ぐ〈語り〉の技法

中止法って? 01052

現代文では「終止形+読点」で文を結ぶ。実際、ものを書く場合、誰しも文という単位を意識して書く、そのように訓練させられてきた、だから文は自然な単位。しかし、これが話し言葉になると、その瞬間瞬間頭に浮かんだフレーズを繰り出しているだけで、文単位を意識して話すことはないから、会話に読点をつけるのは難しい。話し言葉の類推から古文について想像してみてほしい。古典にはまず読点がない。文という単位がそもそもあったのか不明である。終止形はあるにはあるが、挿入など文を飛び越えて係るということがよくある。源氏物語の現状に合わせるなら、読点を打つことはためらわれる。
終止形の問題を前置きにして中止法。一般には用言を修飾する連用法と、中止法の区別を立てない立ち場もあるが、ここでは、中止という言葉を重んじ、中止法とは修飾語ではないので後ろには係らず、意味もそこで休止する、しかし、文は終わらず、そこから本当に言いたいことがはじまる、そういう技法の一種と考える。前座と真打ちの関係みたいなもの、中止法がくると小休止が入って、ざぶとんが返され、いよいよ真打ちだなと思うと十中八九いけるだろう。このように連用形には連用修飾語と中止法がある。形が同じなので、連用形の修飾先を探して読み進んでもみつからない。文意もなんだか前と変わってしまっている。中止法では目先が変わるので注意を要する。これも分岐の一種である。この文「掻き鳴らし」をそれを受ける用言がない。「聞こえ出づる」にかけたのでは「言の葉も」の「も」が行き先を失う。「劣りけり」に掛けたのでは意味をなさない。「掻き鳴らし」は中止法で、状況説明である。真打ちはその後で、思い出の中の愛の言葉、今しも月の面にだぶってみえる幻の姿、そのどちらもが夢の逢瀬よりもさらにはかないものだった。

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