いづれの御時にか  001 ★★★

2020-07-0101 桐壺,,なり(断)

桐壺 原文 かな書き 現代語訳 第1章01

いづれの御時にか 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり

いづれ/の/おほむ-とき/に/か にようご/かうい/あまた/さぶらひ/たまひ/ける/なか/に いと/やむごとなき/きは/に/は/あら/ぬ/が すぐれて/ときめき/たまふ あり/けり

いづれの御代とも申しかねますが、女御更衣があまた宮仕えなさっているなかに、取り立てて高貴ではないお方が、今を時めき帝の寵愛をひと際お集めになっておられました。

解釈の決め手

いづれの御時にか:語り手の苦渋と決断

物語冒頭のこの部分は「いつの時代か定かでないが」と訳されてきた。しかし、これは《時代区分とは天皇の名前である》という古代時間の絶対ルールを無視する点で、意味のない解釈である。どう言うことか。例えば、昭和天皇って何時代の天皇ですかという問には意味がない。昭和天皇という名前の中に何時代かの答えが出ているのだから、質問が成立しないのだ。天皇は一世一代という特殊な存在であるため、古来、時間を計る基準器であったのだ。もうすこし、踏み込むなら、古代においては中国の皇帝が時を支配する基準であった。中国の冊封体制から独立した時に、独自の時間基準を設ける必要が出来た。その時から帝の在世が時代を区切る基準となったのである。今日では、2020年等、天皇の名前でない時の表現がある。しかし、古代日本では帝の在世と、さらに細かい区切りである元号しかないのだ。元号はむろん、天皇から独立したものではない。すべての元号がどの帝の在世のものかわかるのは、天皇の名前と対応があるからにほかならない。
以上の説明を踏まえて、もう一度物語冒頭に戻ろう。語り手がまさに説き起こそうとしているのは、膨大な物語の主人公である光源氏の父についてであり、誰あろうそれはこの国の支配者である天皇なのだ。その時代は「光源氏の父帝の在世」に他ならず、「いつの時代か」という設問は成立しないのだ。いやいや、「どのくらい前か定かでないが」との意味ではないかと解釈する向きもある。しかし、やはりその説明には無理がある。物語に則すならば、今上天皇・冷泉・朱雀・父帝とはっきりしている。それぞれの在位期間は語り手にとっても、その物語内に生きている人々にとっても自明である。さらに悪いのは、この読み方は、物語を殺してしまうことに気が付いていないからである。そのことについては、もう少し先で考える。
さて、「いづれの御時にか」という語り手の自問が、時代に関してなされたものでないならば、設問の対象はなんなのか、改めて考え直さなければならない。実は、ここまでの説明で、その答えは出ているのだがおわかりだろうか(わたしの場合はそれと思い至るまでに十年以上もかかった)。「時代=天皇の名前」がその答え。コインの裏表の問題なのだが、語り手を悩ませていたのは、コインの裏側、光源氏の父帝の呼び名をどうお呼びするのかの問題なのである。天皇の呼び名がどうしてそんなに問題になるのか。それは王朝人に通底する時間意識から物語時間を引きはがすことがはなはだ困難であったことに起因する。それを説明する前に「帝と時間」に関する絶対則について触れる。おそらくこちらが帝と時間の第一原理である。それは、《在位中の帝には固有名をつけることができない》というもの。固有名は、退位後の院号、死後の諡号である。日本史で習う桓武や後醍醐などは、みな諡号である。在位中の呼び名ではない。この点を掘り下げると、歴史は過去の出来事を時代区分を以って記すものだ。「794年平安遷都」を西暦を用いずに記すには、桓武天皇の在位何年に、または元号のこれこれの年にという他にない。平安遷都当時、桓武は死んではいないので、そんな呼び名はないのだが、平安遷都(過去)を語る際に、その後の呼び名ではあるが桓武という諡号(過去を測る基準時間)を用いるのである。これに対して物語は、今まさに起きようとしている事柄として語るのであり、時間の流れは現在進行しているのだ。桐壺更衣を溺愛して政治を投げ出し、国を危うくしているのは現在進行なのだ。まとめよう。歴史は今をゼロ基準として時間を遡る(マイナス時間の時間移動)、そこから出来事がプラス向きに起こる。物語は今を基準としない。物語時空にワープして、そこから出来事に則して現在(ゼロ時点)が動くのだ。在位にある父帝を未来の呼び方で呼ぶことはパラドックスを生むことになる。物語の冒頭で語られているのは、帝が在位にある間は呼び名をつけないという決意表明なのだ。
おやおや、在位時の帝に呼び名がないなら、決意も何もそれ以外方法がないのだから、悩む必要はない。一方、物語冒頭は確かに悩みを抱えた物言いであり、何かその説明ではくみ取れていない気がするのだが。
紫式部日記の記載に耳を傾ける。一条天皇といえば、紫式部が仕えた彰子が入内した天皇であり、当時の教養の随一の人物であるが、源氏物語の朗読を聞いて、作者を「日本紀の御局」とあだ名したという。当時の教養人の意識として、出来事を時間軸に則して語るとは、歴史にほかならないのだ。過去に時代設定を置きながら現在を語るという濃密な物語時間は、今まさにこの作者によって創造されてゆくのだ。それがあまりに往時の意識とかけ離れていたからこそ、歴史ではくみ取れない物語の本性を、光源氏が説き起こす必要があったのだ。「日本紀などは ただかたそばぞかし これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ/蛍の帖」(歴史は物事の片面しか触れない、物語こそ物心両面を詳細に伝えるものなのだ)と。ここから推すに、作者も含め当時の王朝人に潜在する歴史観・歴史意識・歴史時間等から独立して、物語時空を作り上げる上でのゼロベースが、生きた帝、後宮、人間模様を描くために採用した帝の匿名性であり、その表裏として、歴史時間にない帝を誕生させることができたのである。これを醍醐天皇をモデルにした等、歴史に還元するのでは、物語時空ぶちこわすことになると思う。歴史時間から独立できたからこそ、一介の作者が、女色に溺れ政治を遺棄して国を乱す帝の姿を描くことができたのだ。この点に関しては「物語成功の隠し味」をご参照ください。院号についてのさらなる仕掛けは「物語時空の特殊性」をご参照ください。

時めき:桐壺の房中術

「時」は好時節、「めく」は視覚・聴覚に訴える。全体として好時節が到来したようにはたからは見えるとの意味である。男性社会なら取り立てられて地位が上がるなど、後宮であれば帝の寵愛を集める、とある。自分を超える存在に取り立てられて、予期せぬ好運がもたらされるのである。ところが、地位の高くないこの更衣は、帝のおぼえを集めれば集めるほど、周囲の嫉妬にさいなまれてゆく。ついには皇子を生むという宮仕えする女房にとって最高の栄誉がもたらされると同時に、周囲への気遣いから精神を使い果たし、桐壺更衣は命を失う。好運と悲運がないまぜとなって、更衣に押し寄せるところに、ドラマ性が生じる。「桐壺の娼婦性」を参照ください。

けり:物語時間の現在性

「き(過去の助動詞)」や「く(来)」と現存をあらわす「あり」が共存してできた助動詞。時間や距離を飛び越えて、今ここにという感覚。早い話が、捜し物が見つかった時に今も「あった」と言う。置き忘れた瞬間から見つけだした今の瞬間まで、その場にありつづけたとの意味だ。これが「ありけり」の現在の姿である。すなわち、この「あった」は形は過去形であっても、意味するところは現在この場・この時の驚き・よろこびなのだ。「いづれの御時にか」で物語は現在進行すると説明しながら、過去で訳す方が自然なことも多い。それは日本語の過去形は過去から現在に至る継続を表現できるからだ。

ここがPoint

物語成功の隠し味

帝の匿名化は、歴史時間(すなわち歴代の帝の諡号リスト)に觝触しない(すなわち独立した)物語時間の成立に大きく寄与した。虚構時間が歴史時間と交わらないからこそ、女色に溺れ政治を投げ出す帝の姿を描くことが許された。帝の妻が寝取られるという皇統断絶の危機を、描くことを可能にした仕掛けもここにある。

物語時空の特殊性

ここに帝四代七十有余年の大河ドラマが幕を切る。登場する帝は、上記で触れたように在位中はすべて固有名を持たない。主な呼び名を整理する。
初代:光源氏と一の宮の父 院号なし 死後は故院など
二代:初代の第一皇子 院号は朱雀院 死後は故院など
三代:初代の第十皇子であるが実父は光源氏 院号は冷泉院 生存中
四代:父は二代帝 在位中のため院号なし
天皇は譲位されると内裏から院という建物に移って余生を過ごす。その時、上皇を直接呼ぶ名はないので建物の名をもって呼ぶことになる、これが院号である。ただし、建物名が固有名となるためには、上皇と建物が一対一の対応がなければならない。ある建物を何代かの上皇が使用した場合、建物名では上皇を特定できないという問題が発生する。まさしく、歴史上、朱雀と冷泉というふたつの建物がそうであった。従って、物語の呼称である「朱雀院」「冷泉院」も、朱雀・冷泉の建物(後院という)を利用した上皇の一人というに過ぎない。すなわち、どの帝もどの院も生前も死後も、特定化につながる固有名を持たないのだ。語り手が入念に作り上げようとしている物語時空の特殊性が垣間見られる一面である。

桐壺更衣の娼婦性

教室解釈は上のごときだが、本来あるべき自動詞の解釈ではなくなっている点、落ち着きが悪い。
明石入道が娘に、光源氏の出生を説明するくだりがある。
「[桐壺更衣を]宮仕へに出だしたまへりしに 国王すぐれて時めかしたまふこと 並びなかりけるほどに」(「須磨」)
「いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ」(桐壺冒頭)
同じ内容を、片や自動詞「時めく」を使い、片や他動詞「時めかす」を使って、述べたことはあきらかであろう。整理する。
一、「時めく」:更衣が主体
二、「時めかす」:更衣が主体、帝は客体
後宮女性にとって一番大切なことは、帝の夜のつとめである。今宵の伽役に選んでもらうためには、性的魅力を高めておくことが必要だった。夜が明けても政治を投げ出し更衣を離さなかったなど、帝の尋常ならざる没入度合いからして、二人の性的相性はよほどよかった。つまるところ、
一、「時めく」:桐壺更衣は性的魅力が抜きん出て高かった
二、「時めかす」:帝を発情させる力が抜きん出て強かった
家格もさほどではなく後見もいない女性が、後宮の中で抜きん出る手段は、女としての魅力以外にない。蛾眉に顔作り水浴みする楊貴妃の姿がまさしく玄宗皇帝の情意をかき立てた。後宮の実情を思い描くならば、「時めく」には性的要素が多分に含まれることは論を俟たないと思うが、いかがか。
今、娼婦性として論じたが、娼婦は性交渉のたびに穢れてゆくわけではない。その都度、処女性を取り戻すからこそ、いつまでも魅力を保持しうるのだ。従って、娼婦性が主で、その中に処女性を持つと考える方が自然である。記号化すれば「娼婦性/処女性」とでもなろうか。この性情を受け継ぐのが夕顔である。また、桐壺更衣と瓜ふたつとされる藤壺は、光源氏にとって喪失した母性の対象とされるが、処女性の中に娼婦性を宿す「処女性/娼婦性」と考えるべきであろう。父帝と光源氏を虜にするのは、娼婦と聖女を行き来するからである。この弁でゆくと、元来聖女であった六条御息所は、反聖女性が強く出てしまうことで、光源氏を辟易させてしまう。すべての女性にはその両面を共有するであろうが、ことにこの三人は、性において光源氏を虜にして離さないのだ。

桐壺 注釈 第1章01

女御 01-001

帝の正妻候補。親王や大臣などの上流貴族の娘(三位以上)がなる。露顕(ところあらわし)の際に宣旨を受けるため、宣旨を受けない更衣よりも公的性格を帯びる。女御の中から正妻が一人ないし二人(皇后と中宮)選ばれる。皇后と中宮に優劣はない。

更衣 01-001

大納言以下の中流貴族の娘(四位または五位)がつく位で、帝の正妻にはなれない。しかし、そうしたルールなどなきがごとくに、帝は中流の桐壺更衣を熱愛する。物語のこの時点では、皇后・中宮ともに空位であり、東宮も冊立されておらず、桐壺更衣が御子をもうけようものなら、正妻の地位があやういばかりか、更衣腹の御子が東宮に擁立されかねないと、女御たちは恐々としている。

あまた 01-001

余りと同根。余るくらい多く。表舞台で日の目を見る女房と、裏舞台にいて日の目を見ない女房がいることを暗示させる。呪いなどの手を汚す仕事は、この裏舞台にいる女房たち。

やむごとなき 01-001

止むことがないの原義で、この上なく高貴な。

際 01-001

筋と筋の境目、それがはっきりしているのが「際立つ」。ここでは、区別がはっきりしている身分をいう。

すぐれて 01-001

人に優れて。ひときわ。比較級で述べられているが、文脈上は最上級と考えてよく、一身に。

情報の階層&係り受け

構文:に…ありけり/三次

/いづれの御時にか/ 〈女御更衣〉あまたさぶらひたまひけるなか いとやむごとなき際にはあらぬ 〈[更衣]〉が すぐれて時めきたまふ  ありけり

主〉述:一朱 二緑 三青 四橙 五紫 六水 [ ]: 補 /: 挿入 :分岐

係り受け&主語述語

「いづれの御時にか」:挿入(「にか」の後ろの省略語を考えることになる)


「いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ」(AがB連体形):「が」は主格。ただし通例「が」は同格とする(「同格ってなんだ/01-002」参照)


「すぐれて時めきたまふ」「ありけり」:主語・述語

挿入とは

「いづれの御時にか」は、「述語がない」Aと考えるか、述語はあるが「省略されている」Bと考えるかで、読み方が変わる。Aの場合、ない述語を補うために、かかる先として述語を探すことになる。この場合は「ありけり」がかかる先となる。Bの場合、省略された述語Xを考える。「いづれの御時にか[X]」で文要素は完備されるので挿入であり、かかる先はない。

語りの対象&構造型

対象:原点設定他の女御更衣桐壺更衣

いづれの御時にか》A
いづれの御代とも申しかねますが、


女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに》B
女御更衣があまた宮仕えなさっているなかに、


いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ》C
取り立てて高貴ではないお方が、今を時めき帝の寵愛をひと際お集めになって


ありけり》D
おられました。

中断型:[A<]B<C<D:A、B<C<D

 A<B:AはBに係る Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉
 ※係り受けは主述関係を含む


〈直列型〉<:直進 :倒置 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列
〈中断型〉φ:独立文 [ ]:挿入 :中止法


〈反復型〉~AX:Aの置換X A[,B]:Aの同格B 〈分配型〉A<B|*A<C ※直列型以外は複数登録、直列型は単独使用

読解の要点

・「Aがかかる先B」:A内に欠如した要素Bである
・「挿入」:接続詞や接続助詞を介さい接触節
・「挿入」には欠如要素がないためかかる先がない
・「時代」=「帝の名」
・「永遠の今的存在」:在位中の天皇に固有名はない
・「歴史」:過去の出来事を過去として描く
・「物語」:過去に時間を合わせ現在進行として描く
・「けり」:過去から今に至る継続を表す。
・「あった」:過去の意味と過去からの継続の意味がある

附録:助詞・敬語の識別・助動詞

助動詞:なり(断) けり 

いづれ御時  女御更衣あまたさぶらひたまひけるなか いとやむごとなき際 あら  すぐれて時めきたまふ ありけり

助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞

敬語: さぶらふ たまふ

いづれの時にか 女御更衣あまたさぶらひ たまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり

尊敬語 謙譲語 丁寧語

2020-07-0101 桐壺,,なり(断)

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