野分立ちてにはかに 050 ★☆☆

2021-03-05

原文 読み 意味 桐壺05章01@源氏物語

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 常よりも思し出づること多くて 靫負命婦といふを遣はす

のわきたち/て/にはか/に/はだ/さむき/ゆふぐれ/の/ほど つね/より/も/おぼし-いづる/こと/おほく/て ゆげひ-の-みやうぶ/と/いふ/を/つかはす

野分が吹きにわかに肌寒さを感じる夕暮れ時、いつにもましてあのお方のことを思い出されることが多くて、帝は靫負命婦という女房をお遣わしになる。

文構造&係り受け

主語述語と大構造 て…を遣はす:二次

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 〈[帝]〉よりも思し出づること多く 靫負命婦といふを遣はす

機能語と係り受け

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 常よりも思し出づること多くて 靫負命婦といふを遣はす

  • 思し出づること多く→靫負命婦といふを遣はす

「夕暮れのほど」→「靫負命婦といふを遣はす」(「ほど」:時間を表す名詞は副詞的な働きをする。次文の「夕月夜のをかしきほどに 出だし立てさせたまひて/01-051」参照すると、「ほどに」は狭い時間(at)を差し、「ほど」(in)は広がりのある時間を示すというニュアンスの違いを感じる。

野分立ちにはかに肌寒き夕暮ほど 常より思し出づること多く 靫負命婦いふ遣はす

助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞

助詞・助動詞の識別:φ

敬語の区別:思し出づ 遣はす

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 常より も思し出づること多くて 靫負命婦といふを遣はす

尊敬語 謙譲語 丁寧語

古語探訪;失われた意味を求めて

野分立ちて 01-050:清音か濁音か

「野分たつ」と「野分だつ」の二説がある。清音なら野分が吹いての意味。過去の助動詞が使われていないからといって、現在吹いている必要はない。夕暮になる前に吹けば、今朝でもよく数日前でもかまわない。現在形がおおう範囲は広い。これに対して、濁音なら、野分のような風が吹いて、吹き始めたのが「にはかに肌寒き」の直前になる。「たつ」は今目の前で立ったという変化と、すでに立って終わったあとの状態の両方を意味するが、「だつ」は今目の前で起こった変化の感覚が強い。もうひとつは、清音は野分そのもの、濁音は野分に似たものとの違いがある。ここのみで、野分だったのか、野分風であったのか論じても意味がない。しかし、後に「野分にいとど荒れたる心地」とあって、いつとは判明しないが、最近野分が吹いたことは明白に述べられている。それとは別に、今また野分ふうの風を想定する理由はないと思う。
野分は劇的な変化を呼び込む仕掛けとして、源氏物語でよく用いられる。亡き桐壺の更衣を思い、桐壺の末期の歌に返歌を詠む場面がクライマックスで、そのプレリュードとして命婦が使いに出る。長恨歌の道士に見立てられた命婦が、月は美しく地は野分に荒れた幻想的な風景こそが場面に相応しい。この帝の歌により、物語が劇的に変化することは歌の解釈で述べる。

耳からの情報伝達;立ち現れる〈モノ〉

語りの対象:

直列型:A→B→C:A→B→C

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど》 A
野分が吹きにわかに肌寒さを感じる夕暮れ時、


常よりも思し出づること多くて・靫負命婦といふを遣はす》B・C
いつにもましてあのお方のことを思い出されることが多くて、帝は靫負命婦という女房をお遣わしになる。

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