野分立ちてにはかに 050 ★☆☆

2020-09-0701 桐壺01章~10章★☆☆:語義の洗い直しから01 桐壺01章~10章

桐壺 原文 かな書き 現代語訳 第5章01

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 常よりも思し出づること多くて 靫負命婦といふを遣はす

のわきだち/て/にはか/に/はだ/さむき/ゆふぐれ/の/ほど つね/より/も/おぼし-いづる/こと/おほく/て ゆげひ-の-みやうぶ/と/いふ/を/つかはす

野分が吹きにわかに肌寒さを感じる夕暮れ時、いつにもましてあのお方のことを思い出されることが多くて、帝は靫負命婦という女房をお遣わしになる。

解釈の決め手

野分立ちて:清音か濁音か

「野分たつ」と「野分だつ」の二説がある。清音なら野分が吹いての意味。過去の助動詞が使われていないからといって、現在吹いている必要はない。夕暮になる前に吹けば、今朝でもよく数日前でもかまわない。現在形がおおう範囲は広い。これに対して、濁音なら、野分のような風が吹いて、吹き始めたのが「にはかに肌寒き」の直前になる。「たつ」は今目の前で立ったという変化と、すでに立って終わったあとの状態の両方を意味するが、「だつ」は今目の前で起こった変化の感覚が強い。もうひとつは、清音は野分そのもの、濁音は野分に似たものとの違いがある。ここのみで、野分だったのか、野分風であったのか論じても意味がない。しかし、後に「野分にいとど荒れたる心地」とあって、いつとは判明しないが、最近野分が吹いたことは明白に述べられている。それとは別に、今また野分ふうの風を想定する理由はないと思う。
野分は劇的な変化を呼び込む仕掛けとして、源氏物語でよく用いられる。亡き桐壺の更衣を思い、桐壺の末期の歌に返歌を詠む場面がクライマックスで、そのプレリュードとして命婦が使いに出る。長恨歌の道士に見立てられた命婦が、月は美しく地は野分に荒れた幻想的な風景こそが場面に相応しい。この帝の歌により、物語が劇的に変化することは歌の解釈で述べる。

語りの対象&構造型

対象:

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど》 A
野分が吹きにわかに肌寒さを感じる夕暮れ時、


常よりも思し出づること多くて・靫負命婦といふを遣はす》B・C
いつにもましてあのお方のことを思い出されることが多くて、帝は靫負命婦という女房をお遣わしになる。

直列型:A<B<C:A<B<C

 A<B:AはBに係る Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉
 ※係り受けは主述関係を含む


〈直列型〉<:直進 :倒置 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列
〈中断型〉φ:独立文 [ ]:挿入 :中止法


〈反復型〉~AX:Aの置換X A[,B]:Aの同格B 〈分配型〉A<B|*A<C ※直列型以外は複数登録、直列型は単独使用

情報の階層&係り受け

構文:て…を遣はす/二次

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 〈[帝]〉よりも思し出づること多く 靫負命婦といふを遣はす

主〉述:一朱 二緑 三青 四橙 五紫 六水 [ ]: 補 /: 挿入 :分岐

附録

助詞の識別

野分立ちにはかに肌寒き夕暮ほど 常より 思し出づること多く 靫負命婦いふ遣はす

助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞

敬語の識別

野分立ちてにはかに肌寒き夕暮のほど 常より も思し出づること多くて 靫負命婦といふを遣はす

尊敬語 謙譲語 丁寧語