限りとて別るる道 桐壺03章08
原文 読み 意味
限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかばと
01031/難易度:★★★
かぎり/とて/わかるる/みち/の/かなしき/に/いか/まほしき/は/いのち/なり/けり
いと/かく/おもひ/たまへ/ましか/ば/と
《生不生は運命が決するもの 別れる道に来た今こうもわたしは悲しいのに 死出の旅を目指すのはこのはかない命なのです》
お約束通りいつまでも一緒にいたいと心からそう願うことができましたならと。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- に…は命なりけり 二次構造|と 二次元構造
限りとて 〈別るる道〉の悲しきに 〈いかまほしき〉は命なりけり | 〈[女]〉いとかく思ひたまへましかばと
助詞と係り受け
限りとて 別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり|
いとかく思ひたまへましかばと
- 限りとて→別る+道の悲し+に→いかまほし+は→命なりけり
- いとかく思ひたまへましかば→結びは省略(「あらまほしきものを」など)
- いとかく思ひたまへましかばと→結びは省略(「なむ言へる」など)
限りとて 別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり いとかく思ひたまへましかばと
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:まほしき なり けり ましか
- まほしき:願望・まほし・連体形
- なり:断定・なり・連用形
- けり:呼び起こし・けり・終止形
- ましか:反実仮想・まし・未然形
敬語の区別:たまふ
限りと て 別るる道の悲しきに いかまほしき は命なり けり いとかく思ひたまへましか ば と
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり 01031:絶唱のスワン・ソング
諸注ともに上の句に対しては、さしたる違いはない。「限り」は寿命。「別るる道」は内裏をあとにすることではなく、死に別れる道。生死の分岐点に立っているとの認識である。「に」は下の句との関係だから、そちらを決定しないと解釈はできない。問題は下の句である。 「いかまほしきは命なりけり」について。「AはBなりけり」は和歌の定型句(源氏物語の歌の使用例十首)で、ああAとはBのことだったのかと、認識を新たにする時の表現である。 Aは既知情報、Bが今再認識した新情報。もちろん感動の核はBにある。この文構造を無視した解釈は間違いであるが、ほとんどの解釈はAを歌の核にしている。 「いかまほしき」について。この言葉は、帝の言葉「うち捨ててはえ行きやらじ」との訴えに対する桐壺の答えであることは自明であろう。「いかまほしき」を「生きたいのです」とほとんどの注釈が受け取るが、和歌の技法として「行く」に「生く」を掛けた例はない。第一、「私を置いて行ったりしないでしょ」との訴えに、「生きたいのです」と答えたのでは支離滅裂である。「いかまほしき」は「行きたいのは」「行きたいと願うのは」と素直に読む以外ないのだ。であれば、この歌の眼目は、「命なりけり」をどう解釈するかの一点に尽きることになる。 言葉を補って、訳してみよう。 「今生ではこれが限りなのですから、あなたと死に別れる道に立つわたしは、あなたにまけないくらい悲しいのです、遅れ先立たないと口にした約束は忘れるものですか、ですが、死出の道を歩みたがっているのはこの命なんです。わたくしだってかなうことなら、そばを離れたくありません」 この歌の魅力については、「魂のありか」を参照。
いとかく思ひたまへましかば 01031
死を前にした最後の願いである。「これまで周囲の人々の思惑に気兼ねしながら過ごして来たが、もっと自己の心に従順に帝との愛に徹すればよかったと思う後悔の念」、「こうなることがわかっていれば、なまじ帝の寵愛をいかただかなければよかった」、「かく=生きたい。生きる希望を満たされるならうれしかろうに」、「こんなふうになると存じていましたならばおそばに参るのではございませんでした」と、諸注は百花繚乱である。歌だから、相手の気持ちを受け止めたうえで、自分の気持ちを伝えるのが原則。諸注の説明は全く、帝の気持ちを取り入れていない。その点のみで判断しても歌の解釈としていただけない。 歌の心さえつかめば、ここは何でもない。後れ先立たじと約束しました通り、わたしだって帝の側を離れたくありませんというのが歌の気持ちであった。「ましかば」はかなわない願望(反実仮想)。かなわぬとは知りつつ、わたしだって一緒にいたいと心から願っております、ということ。
限り 01031
寿命。「限りあらむ道にも後れ先立たじ/01030」との帝との約束を受けた表現。
別るる道 01031
内裏をあとにすることではなく、死に別れる道。死と生の分岐点に今自分は立っているとの認識。
〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景
魂のありか 01031
まさに今消えゆかんとする命を見つめているところにこの歌の特異性がある。「我かの気色」とは、魂が抜け出しかけた状態。その時にしも、今生の命を見つめる視点を得たのである。一方で、心はここにいたいと願う。帝の側にいて、若宮の成長を見守りたい。だが、この命は死出の旅に出たがっている。心と肉体が引き裂かれて行くところにこの歌のすごみがある。肉体は里に下り、野辺送りとなるが、ここにいたいという思念が魂をここに残すのだ。この歌を受けて、「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」と帝も歌を返す。今生では死に別れることとなったが、自分も行く行くあなたの魂のありかを探しにまいります、という生死を超えた約束である。そしてその約束は、光源氏という「つて」を通して果たされる。別けても、光源氏が人生最大の困難に陥った須磨において、帝の霊力が救いの手を差し伸べることで果たされるのだ、とわたしは考える。源氏物語の第一部の構造は占いの成就にあると見られているが、占いの見立ては高い資質を持ちながらも将来を見通すことができないというものであった。桐壺との約束を果たそうとする帝の思念こそが生死を超えて、光源氏を見守り帝に並ぶ地位につけるのである。
死に瀕してはひたすら仏に後世を願うのが常であった時代に、二人の歌の力のすさまじさには驚嘆させられる。別けても桐壺は、光源氏を産んだことと、この歌を残したことで帝の心をつなぎ止めたのだ。源氏物語の歌の中でも絶唱のひとつである。
特にこの歌は本文と緊密に関連しているので、その呼応関係をあげておく。
・かぎりとて……限りあらむ道
・別るる……後れ先立た(じ)・うち捨てて
・道……道
・悲しき……いといみじ
・いかまほしき……後れ先立たじ・え行きやらじ
・命……あるかなきかに消え入りつつ、我かの気色、(女)