かうやうの折は御遊 桐壺05章03

2021-04-30

〈テキスト〉を紡ぐ〈語り〉の技法

中止法って? 01052

現代文では「終止形+読点」で文を結ぶ。実際、ものを書く場合、誰しも文という単位を意識して書く、そのように訓練させられてきた、だから文は自然な単位。しかし、これが話し言葉になると、その瞬間瞬間頭に浮かんだフレーズを繰り出しているだけで、文単位を意識して話すことはないから、会話に読点をつけるのは難しい。話し言葉の類推から古文について想像してみてほしい。古典にはまず読点がない。文という単位がそもそもあったのか不明である。終止形はあるにはあるが、挿入など文を飛び越えて係るということがよくある。源氏物語の現状に合わせるなら、読点を打つことはためらわれる。
終止形の問題を前置きにして中止法。一般には用言を修飾する連用法と、中止法の区別を立てない立ち場もあるが、ここでは、中止という言葉を重んじ、中止法とは修飾語ではないので後ろには係らず、意味もそこで休止する、しかし、文は終わらず、そこから本当に言いたいことがはじまる、そういう技法の一種と考える。前座と真打ちの関係みたいなもの、中止法がくると小休止が入って、ざぶとんが返され、いよいよ真打ちだなと思うと十中八九いけるだろう。このように連用形には連用修飾語と中止法がある。形が同じなので、連用形の修飾先を探して読み進んでもみつからない。文意もなんだか前と変わってしまっている。中止法では目先が変わるので注意を要する。これも分岐の一種である。この文「掻き鳴らし」をそれを受ける用言がない。「聞こえ出づる」にかけたのでは「言の葉も」の「も」が行き先を失う。「劣りけり」に掛けたのでは意味をなさない。「掻き鳴らし」は中止法で、状況説明である。真打ちはその後で、思い出の中の愛の言葉、今しも月の面にだぶってみえる幻の姿、そのどちらもが夢の逢瀬よりもさらにはかないものだった。

耳からの情報伝達;立ち現れる〈モノ〉

語りの対象:桐壺更衣他の女御・更衣帝の心持ち

分岐型:X+Y→I(A→B+C→D=X、E→F→G→H=Y):X+Y→I

かうやうの折は御遊びなどせさせたまひしに》 A
このような折には管弦の遊びなどを催しになられましたもので、

心ことなる物の音を掻き鳴らし・はかなく聞こえ出づる・言の葉も》B・C・D
あの方は人より豊かな感情を込めて琴を爪弾し、はかなく消えてしまったその時歌った愛の言葉にしても、

よりはことなりし・けはひ容貌の・面影につと添ひて・思さるるにも》E・F・G・H
人とは異なる色香漂うお顔立ちが幻のように月の面と重なるのを御覧になるにつけても、

闇の現にはなほ劣りけり》I
歌にある闇中の逢瀬よりも更に実在感に乏しいものでした。

  • 〈直列型〉:修飾 :倒置 
  • 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列
  • 〈中断型〉//:挿入 :文終止・中止法
  • 〈反復型〉~AX:Aの言換えX ,AB:Aの同格B
  • 〈分配型〉A→B*A→C

 A→B:AはBに係る
 Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉
 ※係り受けは主述関係を含む
 ※直列型は、全型共通のため単独使用に限った

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