朝夕の宮仕へにつけ 桐壺01章04
原文 読み 意味
朝夕の宮仕へにつけても 人の心をのみ動かし恨みを負ふ積もりにやありけむ いと篤しくなりゆきもの心細げに里がちなるを いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしりをもえ憚らせたまはず 世のためしにもなりぬべき 御もてなしなり
01004/難易度:★☆☆
あさゆふ/の/みやづかへ/に/つけ/て/も ひと/の/こころ/を/のみ/うごかし/うらみ/を/おふ/つもり/に/や/あり/けむ いと/あづしく/なり/ゆき/もの-こころぼそげ/に/さとがち/なる/を いよいよ/あかず/あはれ/なる/もの/に/おもほし/て ひと/の/そしり/を/も/え/はばから/せ/たまは/ず よ/の/ためし/に/も/なり/ぬ/べき おほむ-もてなし/なり
朝夕の宮仕えにつけても、女房たちの心を掻き乱し、恨みをこうむることが度重なったせいだろうか、具合はひどくなるばかりで、後見のない心細さに打ちひしがれながら里へ帰りがちになる姿に、帝はますます癒しようもなく愛しさをつのらせ、周囲がもらす陰口も気にとめるご様子なく、後の世までの語り種ともなりかねないご寵愛でした。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- 御もてなしなり 四次元構造
/〈[桐壺更衣]〉朝夕の宮仕へにつけても 人の心をのみ動かし恨みを負ふ積もりにやありけむ/ いと篤しくなりゆき もの心細げに里がちなるを 〈[帝]〉いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしりをもえ憚らせたまはず 〈[その寵愛]〉世のためしにもなりぬべき 御もてなしなり
助詞と係り受け
/朝夕の宮仕へにつけても 人の心をのみ動かし恨みを負ふ積もりにやありけむ/ いと篤しくなりゆきもの心細げに里がちなるを いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしりをもえ憚らせたまはず 世のためしにもなりぬべき 御もてなしなり
- 朝夕の宮仕へにつけても→人の心をのみ動かし・恨みを負ふ/並列+積もりにやありけむ:挿入、「や…けむ」は挿入の目印。
- いと篤しくなりゆき・もの心細げに里がちなる/並列+を→いよいよあかずあはれなるものに思ほす+て→人のそしりをもえ憚らせたまはず→世のためしにもなりぬべし+御もてなしなり
もの心細げに→里がちなる
「ものもの心細げなる」状態で「里がちなる」(一般には「もの心細げに」「里がちなる」は並列)
朝夕の宮仕へにつけても 人の心をのみ動かし恨みを負ふ積もりにやありけむ いと篤しくなりゆきもの心細げに里がちなるを いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしりをもえ憚らせたまはず 世のためしにもなりぬべき 御もてなしなり
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:に けむ ず せ ぬ べき なり
- に:断定・なり・連用形
- けむ:過去推量・けむ・連体形/「や…けむ」は挿入の目印
- ず:打消・ず・連用形→思ほす
- せ:尊敬・す・連用形/「せたまふ」:最高敬語
- ぬ:強意・ぬ・終止形
- べき:当然・べし・連体形
- なり:断定・なり・終止形
敬語の区別:思ほす せたまふ 御
朝夕の宮仕へにつけても 人の心をのみ動かし恨みを負ふ積もりにやありけむ いと篤しくなりゆきもの心細げに里がちなるを いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしりをもえ憚らせたまはず 世のためしにもなりぬべき 御もてなしなり
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
心細げに 01004:母になる不安
漠然とした不安ではなく、後見がないことに対する孤独感・将来不安。「心細再考」参照。
里がちなる 01004:懐妊の兆し
一般には病気による里帰りと考えられているが。「懐妊と里下がり」参照。
あはれなるもの 01004:終わりなき愛慾
愛玩物であると注されることが一般的だが、「あはれ」という言葉が物化してそこにあるというニュアンス、「あはれそのもの」。やはり意思疎通ができないという「もの」がもつ特性を有し、それゆえ「あかず」愛しさがつのる。
世のためし 01004:王朝人の歴史意識
悪い行動の見本・規範として世に広まりかねないこと。要するに歴史に悪名をとどめることをおそれる意味。「楊貴妃の例/01005」「人の朝廷(みかど)の例/01105」と出てくるように、いったん規範として固定化してしまえば、後の世にも語り継がれてしまう。帚木の冒頭でも、「かかる好きごとどもを、末の世にも聞き伝へて、軽びたる名をや流さむと、忍びたまひける隠ろへごとをさへ(こんな色恋沙汰の数々を、後の世でも伝え聞き、浮名を流すことになるのかと、お隠しになっておられた秘密までも)/02001」とあり、当時の貴族たちが、後世に悪名が残ることを極度に恐れていたことが知られる。それは後世に障るからであろう、王朝社会の基底に流れる感覚である。
朝夕の宮仕へにつけても 01004
桐壺更衣の夜伽が人の心を動かしたのは言うに及ばず、朝夕の宮仕えをするにつけても。
人の心 01004
周囲の人の気持ち。「人」は人間一般をさすのではなく、あれやこれやと特定できる人々を指す。ここでは、女御や更衣やそのお付きの女房たち。その中心は弘徽殿の女御。
負ふ 01004
背負う、担う、引き受ける。
積もり 01004
つもりつもった結果。
篤しく 01004
病が思い状態
もの 01004
「なんとなく」の意を添える接頭語的役割と注されることが一般的だが、「もの」は「人」と対立し、動かしがたさ、でんと居座るニュアンス。
あかず 01004
あくことなく、満ち足りることなく、満足できずに。
そしり 01004
面と向かった意見ではなく、陰口。この後に、臣下である上達部や殿上人も視線を外し、「楊貴妃の例(ためし)/01005」まで引き合いに出しかねない様子だったとあり、弘徽殿の女御以外は、帝にはっきり意見は言えなかった。従って非難する等の注は考えものだ。
〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景
懐妊と里下がり 01004
少し後のくだりとなるが、帝は死に瀕した桐壺更衣の退出を許さず、宮中の禁を犯してまで成り行きを見届けようとしたのに、ここではどうして幾度となくあっさり里帰りを許したのか、どうにも腑に落ちない。
源氏物語の手法として、その人物では省筆したエピソードを、別の人物で同一場面を設定して描くということがよくある。桐壺と生き写しとされる藤壺の退出場面は参考にならないか見てみよう。
「藤壺の宮悩みたまふことありてまかでたまへり」(「若紫」)
「悩みたまふ」に対して、帝はうろたえながらも、里帰りを止めた様子はない。この里帰り中に光源氏と二度目の密会が行われ、不義の子を宿すことになる(一度目の密会は省筆されているが、空蝉を強姦する場面が藤壺との初回での様子を連想させるように思う)なるのだが、実は、「悩み」は病気ではなく、妊娠二か月の体調不良を管理する目的であったことが読者に伝わる仕掛けになっている。もし帝の子を宿していたという事実がなくて、突然里帰りで妊娠が発覚したとなれば、不義の子の烙印は免れまい。宮中から女御更衣が退出するとは、懐妊の兆しを意味した。それは暗黙の了解であり、ことさら語り手が説明するまでもない常識であったのでないか。通常の病であれば、医師も薬も揃っている宮中で静養する方がよいだろう。しかし、懐妊となれば白不浄であり、帝としても退出を止められない。桐壺の場合も、懐妊の兆しと考えるのが自然ではないだろうか。
「心細」再考 01004
桐壺の帖には「心細」が他に三例をある。
一、(桐壺更衣は父を亡くし、母こそ存命ではあるものの)とりたててはかばかしき後見しなければ事ある時はなほ拠り所なく心細げなり
二、(桐壺の例もあるから娘藤壺の入内を拒んでいた母)后も亡せたまひぬ。(両親を失った藤壺は)心細きさまにておはしますに(例三のつづく)
三、さぶらふ人びと御後見たち御兄の兵部卿の親王など かく心細くておはしまさむよりは内裏住みせさせたまひて御心も慰むべく
「心細」は、両親(特に父)など確たる後見人がないことと関わりが深くかかわる表現であり、しかも「事ある時はなほ」とある通り、人生の大事にあたって強く感じる、とある。桐壺にとって人生の大事とは何か、宮中行事などの催しもさることながら、懐妊・出産こそが「事ある時」ではなかろうか。藤壺の例でみたように、妊娠二ヶ月で里帰りとなっている。想像の域は出ないが、病弱な桐壺は幾度か懐妊と流産を繰り返していてもおかしくない。「里がち」と複数形にそれがうかがえる。懐妊は悦びであると同時に産めない体にとっては苦であろう。「もの心細げ」は出産にたどり着けない身(運命)を呪うニュアンスがくみ取れる。案じたとおり、今度も出産に至らなかった。病気から回復して宮中に戻るのではない、流産で身も心もずたずたになりながら帝以外に頼る当てなく戻るのだ。ここにますます帝の情は深まる。他の意見を寄せ付けなくなっても不思議はないであろう。