世にたぐひなしと見 桐壺09章14
原文 読み 意味
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ 名高うおはする宮の御容貌にも なほ匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなるを 世の人 光る君と聞こゆ 藤壺ならびたまひて 御おぼえもとりどりなれば かかやく日の宮と聞こゆ
01140/難易度:★★★
よ/に/たぐひ/なし/と/み/たてまつり/たまひ なだかう/おはする/みや/の/おほむ-かたち/に/も なほ/にほはしさ/は/たとへ/む/かた/なく/うつくしげ/なる/を よのひと ひかる-きみ/と/きこゆ ふぢつぼ/ならび/たまひ/て おほむ-おぼエ/も/とりどり/なれ/ば かかやく-ひのみや/と/きこゆ
帝が世に類なしとお見立て申し上げる若宮であり、名高くいらっしゃっる東宮の御容貌であっても輝くように匂い立つ美質は比べようがなく愛らしく見えるので、世の人は、光の君とお呼び申し上げた。藤壺の宮は輝く美しさがこの君に並ぶもので、帝のご寵愛は引けを取ることがなかったので、世の人は、輝く日の宮とお呼び申し上げた。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- を…と聞こゆ 三次元構造|ば…と聞こゆ 三次元構造
〈[帝]〉世にたぐひなしと見たてまつりたまひ 名高うおはする宮の御容貌にも なほ〈匂はしさ〉はたとへむ方なくうつくしげなる[若宮]を 〈世の人〉光る君と聞こゆ | 〈藤壺〉ならびたまひて 〈御おぼえ〉もとりどりなれば 〈[世の人]〉かかやく日の宮と聞こゆ
助詞と係り受け
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ 名高うおはする宮の御容貌にも なほ匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなるを 世の人 光る君と聞こゆ 藤壺ならびたまひて 御おぼえもとりどりなれば かかやく日の宮と聞こゆ
「見たてまつりたまひ」「うつくしげなる」:並列でその後ろに省略された「体言[若宮]+を」にかかる
「世にたぐひなしと見たてまつりたまひ」:光源氏に対する帝の(主観的)絶対評価
「名高うおはする宮の御容貌にもなほ匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなる」:東宮と比べての相対評価(客観的事実として語る)
「ならびたまひて」:「匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなる」点で光源氏と並ぶ(客観的事実として語り手は紹介)
「御おぼえもとりどり」:帝の(主観的)絶対評価評価は光源氏と藤壺は同じランク。
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ 名高うおはする宮の御容貌にも なほ匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなるを 世の人 光る君と聞こゆ 藤壺ならびたまひて 御おぼえもとりどりなれば かかやく日の宮と聞こゆ
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:む
- む:仮定・む・連体形
敬語の区別:たてまつる たまふ おはす 御 聞こゆ たまふ 御 聞こゆ
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ 名高うおはする宮の御容貌に も なほ匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなるを 世の人 光る君と聞こゆ 藤壺ならびたまひて 御おぼえもとりどりなれば かかやく日の宮と聞こゆ
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ 01140:帝の一の宮に対する評価
一の宮に対して、「寄せ重く疑ひなき儲の君と世にもてかしづききこゆれどこの御にほひには並びたまふべくもあらざりければ(世の信頼が厚く、紛がうことなき次期皇太子だと、世間は大切に慈しみ申し上げているけれど、宮が放つ魅力には及ぶべくもないことなので)/01009」とあり、光源氏と「にほひ」が比較されている。一の宮が東宮になる前の時点での比較だが、「なほ」は以前と同様に東宮となった今でも。「日と光」参照。
匂はしさ 01140:光源氏の美質
発散する魅力。光で象徴される。
ならびたまひ 01140:光源氏と藤壺
「匂はしさはたとへむ方なくうつくしげなる」点で光源氏と藤壺の宮は並び立つ。それゆえに藤壺も光のイメージになる。光源氏と藤壺は「にほひ=光」で共通する。光源氏の次世代にも「にほひ」は受け継がれるが、「にほひ=香」にランクが下がる。世代によりランクが下がるという考え方は末法思想の影響かもしれない。
日の宮 01140:光の源
光源氏の母のイメージ。太陽があって、そこから光が生まれる。
とりどりなれ 01140
それぞれに固有の価値を有す。
〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景
日と光 01140
「見る」に関して、「女御が東宮を」「若宮が藤壺を」「帝が藤壺を」「帝が若宮を」など、桐壺の帖でももっとも解釈の別れる個所のひとつである。「名高うおはする宮」に対しても「藤壺」「一の宮」など一定しない。
この箇所だけで特定できないときは、この中からキーワードを選び、その語が使われている表現を他の箇所でどうなっているのか探してみるとよい。「たぐひなし」「名高し」「匂はしさ」「うつくしげなる」など、なるべく特定しやすいワードを選ぶのが秘訣。
「寄せ重く疑ひなき儲の君と世にもてかしづききこゆれど この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ(世の信頼が厚く紛がうことなき次期皇太子だと世間は大切に慈しみ申し上げているけれど、宮が放つ魅力には及ぶべくもないことなので)/009」と東宮と若宮の比較が「にほひ」の点でなされている。「名高うおはする宮」は東宮でよさそうだ。
「世にたぐひなしと見たてまつりたまひ」の主語は尊敬語があるから「世の人」ではない。「世に~なし」で強調表現。また「世にたぐひなし」は誰のことか、光源氏か東宮か。ここから絡んだ構造がほぐせそうだ。もし東宮が「世にたぐひなし」なら、光源氏が見劣りしなければならない。従って「世にたぐひなし」は光源氏である。東宮よりも上と見るのは、もはや帝以外いまい。
結局、この個所のテーマは光源氏と藤壺の宮の二人が帝にとっての「御思ひどち/01138」である点にある。「藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどり」とある通り。世の人が「光る君」「かかやく日の宮」と呼ぶのは、帝が「世にたぐひなし」と思い、帝の「御おぼえもとりどり」であるからである。