朝廷よりも多くの物 桐壺08章19
原文 読み 意味
朝廷よりも多くの物賜はす おのづから事広ごりて 漏らさせたまはねど 春宮の祖父大臣など いかなることにかと 思し疑ひてなむありける
01124/難易度:★★☆
おほやけ/より/も/おほく/の/もの/たまはす おのづから/こと/ひろごり/て もらさ/せ/たまは/ね/ど とうぐう/の/おほぢ/おとど/など いかなる/こと/に/か/と おぼし-うたがひ/て/なむ/あり/ける
朝廷からも多くの品物が高麗人に下賜された。おのずとこのことは世間に広がって、帝は何もお漏らしにならないのに、東宮の祖父の大臣などは何を企んでおいでかと東宮の身を危ぶんでおいででした。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- ど…と思し疑ひてなむありける 三次元構造
朝廷よりも多くの物賜はす おのづから〈事〉広ごりて @ 〈[帝]〉漏らさせたまはねど@ 〈春宮の祖父大臣など〉 いかなることにかと 思し疑ひてなむありける
助詞と係り受け
朝廷よりも多くの物賜はす おのづから事広ごりて 漏らさせたまはねど 春宮の祖父大臣など いかなることにかと 思し疑ひてなむありける
「事広ごりて」→「春宮の祖父大臣など…思し疑ひてなむありける」
朝廷よりも多くの物賜はす おのづから事広ごりて 漏らさせたまはねど 春宮の祖父大臣など いかなることにかと 思し疑ひてなむありける
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:せ ね に ける
- せ:尊敬・す・連用形
- ね:打消・ず・已然形
- に:断定・なり・連用形
- ける:呼び起こし・けり・連体形(「なむ」の結び)
敬語の区別:賜はす せたまふ 思す
朝廷より も多くの物賜はす おのづから事広ごりて 漏らさせたまはね ど 春宮の祖父大臣など いかなることに か と 思し疑ひて なむありける
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
朝廷よりも 01124:贈る相手は相人ではない
通例、「朝廷からも相人に多くの贈り物を贈った」と解釈されている。この文はもちろん前文「御子もいとあはれなる句を作りたまへるを (相人は)限りなうめでたてまつりて いみじき贈り物どもを捧げたてまつる/01123」を受けた表現である。相人が光源氏に贈り物をした。「朝廷よりも」とあれば、光源氏に贈り物をしたと読むのが、極々自然である。光源氏はあくまで「右大弁の子」であって、決して東宮候補と知られてはならないはずだ。次期天皇候補の将来を異国の人に占わせることは、この国の将来を見定められることであり、国の存立を脅かしかねない事態を招くことである。国と国の関係「朝廷と高麗人」と、私と私の関係「右大弁の子と相人」は全く別の論理で成り立っている。右大弁の子が奇瑞の相をしているからといって、朝廷が出て行く理由がない。「賜はす」とあるからには、帝が宣旨を行い、正式な手続きを経た上で贈られたのである。相手の相人にどんな理由で、規定以上の贈り物ができるだろうか。ここでは、朝廷から高麗人との良好な関係を築いた功績により、右大弁の子に贈られたと考える以外にないのである。
念のために「賜はす」の使用例を確認しよう。形は右大弁の子だが、その実は光源氏に贈られたのだから、対象敬語である謙譲語を必要としないのかの確認が必要であろう。源氏物語全体で11例あり、そのほとんどが禄に関する。「禄ども 上達部親王たちには 主上より賜はす(宿木@)」とあり、相手が親王でも謙譲語を必要としないことがわかる。親王宣言していない光源氏に対してまして謙譲語は必要ないのだ。そもそもこの「賜はす」は「賜ふ」という行為を命婦など帝と臣下との間をとり持つ者を通して与えるという使役から来るものである。帝から配下に禄を与えるという階級差がはっきり現れた行為であり、対象敬語により相手を敬うという構造とはそぐわない行為である。仮にこれを高麗人に使用したなら、これは宗主国と属国との関係となろう。そうした関係を汲み取った上で、朝廷から相人に贈り物をしたと読むべき箇所であろうか。
多くの注釈が古文を現代文に直すことだけで事足れりとしている。訳した文の意味する内容を、自分の頭で考えることが何より重要である。
事広ごり 01124
光の君が高麗の使節の一行と密かに会い、将来を占わせた上で、漢詩のやりとりをして、宮中から多くの贈り物をしたことが広く知れ渡った。
春宮の祖父大臣 01124
春宮の母が弘徽殿の女御で、その父の右大臣。
いかなることにか 01124
国を代表して使節と会したと受け取られてもおかしくない。そうなると、東宮をすげ替える密談でもしているのかという疑念が生まれる。東宮が決定しても、親王としての資格を有する限り、光の君は常に疑いをもってみられつづける。
〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景
漏らさせたまはねど 01124:不連続面が語ること
「漏らさせたまはねど」をなぜ挿入する必要があったのだろうか。意味的には、これを省略して、「おのずとこのことは世間に広がって、東宮の祖父の大臣などは何を企んでおいでかと東宮の身を危ぶんでおいででした」で、十分通る。あるいは、「漏らさせたまはねど、おのづから事広ごりて」の方が自然な表現である。明確な答えはないが、おそらく、光を秘密裏に相人に見せたという風評が立ち(それが「おのづから事広ごりて」の実質的な意味)、弘徽殿を通してそうした事実の当否の確認を帝にしたのだろう。無論、帝は黙して語らない。それが「漏らさせたまはねど」である。帝と右大臣勢力の間に、語られてはいないが、悶着があり、挿入という不連続によって匂わせているのではないかと、思えるのだ。今、悶着と言ったが、おそらく、日常会話の延長で表面的には波風さえ立ってはいなかったろう。しかし、水面下に反光源氏勢力の強大さを、帝はひしと感じ取ったに違いない。それが臣籍降下の考えを後押ししたであろうし、さらには左大臣を味方につけることを真剣に考え出す機縁となったのではないか。