国の親となりて帝王 桐壺08章16
原文 読み 意味
国の親となりて 帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の そなたにて見れば 乱れ憂ふることやあらむ 朝廷の重鎮となりて 天の下を輔くる方にて見れば またその相違ふべし と言ふ
01121/難易度:★★★
くに/の/おや/と/なり/て ていわう/の/かみ/なき/くらゐ/に/のぼる/べき/さう/おはします/ひと/の そなた/にて/みれ/ば みだれ/うれふる/こと/や/あら/む おほやけ/の/かため/と/なり/て あめのした/を/たすくる/かた/にて/みれ/ば また/その/さう/たがふ/べし と/いふ
国の親となって帝王のこの上なき位に昇りつめる相をお持ちでいらっしゃる人ではあるが、その方から見立てると、国が乱れ民が憂うことになるやも知れぬ。かと言って臣下の身で朝廷の重責を担い国政を補佐する方面で見立をしたのでは、これまたお持ちの相と食い違うことになる、と口にする。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- と言ふ 四次元構造
〈[御子]〉国の親となりて 帝王の上なき位に昇るべき〈相〉おはします人の @〈[私=相人]〉そなたにて見れば 〈[国]〉乱れ憂ふる〈こと〉やあらむ@ @〈[御子]〉朝廷の重鎮となりて天の下を輔くる方にて見れば またその〈相〉違ふべし@ 〈[相人]〉と言ふ
助詞と係り受け
国の親となりて 帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の そなたにて見れば 乱れ憂ふることやあらむ 朝廷の重鎮となりて 天の下を輔くる方にて見れば またその相違ふべし と言ふ
「相おはします人の」に対する結びがない。すなわち、結論が出ない。
「にて見れば…やあらむ」「にて見れば…べし」は呼応関係。
「国の親となりて」「帝王の上なき位に昇るべき」(並列)→「相」
「相おはします人のそなた」:A同格「の」B(「相おはします人」「そなた」が同格)
「そなたにて見れば」「朝廷の重鎮となりて天の下を輔くる方にて見れば」:対の表現
国の親となりて 帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の そなたにて見れば 乱れ憂ふることやあらむ 朝廷の重鎮となりて 天の下を輔くる方にて見れば またその相違ふべし と言ふ
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:べき む べし
- べき:当然・べし・連体形
- む:推量・む・連体形(「や」の結び)
- べし:推量・べし・終止形
敬語の区別:おはします
国の親となりて 帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の そなたにて見れば 乱れ憂ふることやあらむ 朝廷の重鎮となりて 天の下を輔くる方にて見れば またその相違ふべし と言ふ
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
相・見・占 01121:若宮の持って生まれた相と占い師の見立てと結果予測
光源氏の生涯に関わる重要な卜占である。これまでの解釈は、「相」と「見(見立て)」と「占」の別に混乱があったように思う。「相」は、将来に向けての方向性であり、現時点でその人に認められる客観的な事柄である。若宮の場合、「帝王の上なき位にのぼるべき」相をしている。これをどう見立て、結論を出すかは解釈の領域であり、人相見の能力いかんに関わる。「そなたにて見れば」とは、若宮が人相通りに帝王の道を進んだ場合どういう運命が待ち受けているかを見立てるのである。その見立によれば「乱れ憂ふることやあらむ」が卜占の結果がでる。これはあまりに恐ろしい結果であるため、回避する方法を探ることになる。「天の下を補くる方にて見れば」がそれで、「国政の補佐をするという方面から将来を見立ててみると」の意味だが、しかし占いの結果は「その相違ふべし」と出た、そうした方向に向かうことは、若宮の人相上ありえないとの結論である。
通例、相人の見立て通り、帝にも臣下にもならない大団円が待っているとされ、これが源氏物語の第一部(位を極める)の大構造とされるが、高麗人には、帝になることもできない、臣下にもならないという見立てであって、それは匙を投げたのである。すでに述べたことだが、光源氏の将来の出世は、人生最大の危機である須磨明石の都落ちを経てなされる。これを救うのは死者である父帝の霊力である。それは死出の旅に向かう桐壺更衣との約束であった。「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」の返歌は、光源氏を見守ることで、桐壺更衣の魂と触れ合いたいとの願いである。占いよりも桐壺更衣と帝の生死を隔てた愛こそが、いっそう大きな構造として源氏物語の第一部を支配しているのではないか。
さて、これを聞き及んだ帝は、倭相や宿曜の達人たちの占いも同じような内容だったので、「乱れ憂ふること」を避け、次善の策として一世源氏(皇位継承権はないが、皇族の血が流れている点で藤原氏等の臣下とは同等でもない)になすことを決心することになる。