むなしき御骸を見る 桐壺04章04
原文 読み 意味
むなしき御骸を見る見る なほおはするものと思ふがいとかひなければ 灰になりたまはむを見たてまつりて 今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむと さかしうのたまひつれど 車よりも落ちぬべうまろびたまへば さは思ひつかしと 人びともてわづらひきこゆ
01039/難易度:★★☆
むなしき/おほむ-から/を/みる-みる なほ/おはする/もの/と/おもふ/が/いと/かひ-なけれ/ば はひ/に/なり/たまは/む/を/み/たてまつり/て いま/は/なき/ひと/と/ひたぶる/に/おもひ/なり/な/む/と さかしう/のたまひ/つれ/ど くるま/より/も/おち/ぬ/べう/まろび/たまへ/ば さは/おもひ/つ/かし/と ひとびと/もて-わづらひ/きこゆ
虚しくなった亡骸(なきがら)をよくよく見ることで、なおも生きていらっしゃるものと思うのは甲斐がないので、灰におなりになるのを見申し上げて、今は帰らぬ人ときっぱり思い切ろうと、心とは裏腹に気丈に挨拶なされたが、牛車より降りる際に転げ落ちそうにされたのを、そんなことだと思っていたと、人々は慰めようがなく持て余すのでした。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- ば…を見たてまつりて…ば…と…もてわづらひきこゆ 四次元構造
〈[母北の方]〉@むなしき御骸を見る見る @〈[娘]〉なほおはするもの @と思ふ〈[の]〉がいとかひなければ 灰になりたまはむを見たてまつりて @ 今は亡き人 @ とひたぶるに思ひなりなむ@とさかしうのたまひつれど 車よりも落ちぬべうまろびたまへば @ さは思ひつかし @と 〈人びと〉もてわづらひきこゆ
助詞と係り受け
むなしき御骸を見る見る なほおはするものと思ふがいとかひなければ 灰になりたまはむを見たてまつりて 今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむと さかしうのたまひつれど 車よりも落ちぬべうまろびたまへば さは思ひつかしと 人びともてわづらひきこゆ
- (むなしき御骸を見る見る→((なほおはするもの)と思ふ+が→いとかひなし+ば→(灰になりたまはむを見たてまつりて→(今は亡き人)とひたぶるに思ひなりなむ)))とさかしうのたまひつ+ど→車よりも落ちぬべうまろびたまふ+ば→(さは思ひつかし)と人びともてわづらひきこゆ
- 「むなしき御骸を見る見る なほおはするものと思ふがいとかひなければ 灰になりたまはむを見たてまつりて 今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ」:「のたまひつ」の直接話法による引用。
- 御骸を見る見る→今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ/「見る見る」は終止形を重ねた形で副詞的に働く。この場合は、何度も見ることでの意味。
- なほおはするものと思ふがいとかひなければ→今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ
- 灰になりたまはむを見たてまつりて→今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ/「て」は手段。見ることによって。
- さかしうのたまひつれど→(車よりも落ちぬべうまろびたまへば→人びともてわづらひきこゆ)/逆接の「ど」は母の発言の「さかしさ」に対して。それが「もてわづらふ=扱いに困る」という帰結になるのは、車より落ちそうになるという「さかしさ」とは逆の動作を意図せずしてしまったことが契機である。
むなしき御骸を見る見る なほおはするものと思ふがいとかひなければ 灰になりたまはむを見たてまつりて 今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむと さかしうのたまひつれど 車よりも落ちぬべうまろびたまへば さは思ひつかしと 人びともてわづらひきこゆ
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:む な む つれ ぬ べう つ
- む:婉曲・む・連体形
- な:強意・ぬ・未然形
- む:意思・む・終止形
- つれ:完了・つ・已然形
- ぬ:強意・ぬ・終止形
- べう:当然・べし・連用形のウ音便
- つ:完了・つ・終止形
敬語の区別:御 おはす たまふ たてまつる のたまふ たまふ きこゆ
むなしき御骸を見る見る なほおはするものと思ふがいとかひなければ 灰になりたまはむ を見たてまつりて 今は亡き人とひたぶるに思ひなりな む と さかしうのたまひつれ ど 車より も落ちぬ べうまろびたまへば さは思ひつ かし と 人びともてわづらひきこゆ
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
さかしう 01039:気丈な振る舞いの裏側
おおくの注釈が「利巧ぶって」と解釈するが、語り手は娘を亡くした母に同情こそすれ、非難がましいことをここで述べる必要はない。「けなげに」との解釈は文脈に沿うが「さかし」の意味から遠い。「しっかりとした口ぶりで」、「しっかりとした判断力や意志力を具えた様」、「冷静に」という解釈は、方向はよいが亡き更衣への悲しみとのギャップを説明しえていない。この「さかし」は、心情とは別の、しっかりとした、頭のみで作った、といったニュアンス。「いにしへの人のよしある」母の気位が体面を保つために無理にこしらえた挨拶言葉であり、心中は「同じ煙にのぼりなむ」である。「かけひき」参照。
さは思ひつかし 01039
「そんなことだろうと思っていた」は、母の言葉が心と乖離していることを知っていたとの意味であり、小馬鹿にしているわけではない。「きっとそうなる(落馬する)と案じた」との解釈は預言者でもなければ意味をなさない。
もてわづらひ 01039
車から落ちてしまうほど悲嘆にくれている気持ちと、裏腹の気丈な挨拶をお述べになるので、心か言葉かどちらを重視して対応してよいのか窮したということである。もちろんここも、同情心が基本の感情である。「かけひき」参照。
〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景
かけひき 01039
母北の方は「いにしへの人のよしあるにて」とあり、教養がありしっかり者のイメージだが、ここではそうした面が空回りしたのか、気持ちをしっかり持とうとするあまり、周りの同情や共感を寄せ付けない頑迷さが見られる。
この後、若宮と一緒に宮中へ戻ってほしいとの帝の申し出を、再三再四拒む。若宮は帝の子であり、宮中で育って東宮争いの候補に名乗り出ることこそ、母更衣一族の願いであり、父帝もそれを強く望んでいたから、若宮を宮中に連れ戻したいという帝の要請を母北の方が拒む積極的な理由は見つからない。しかし、再三再四拒むことから、靫負命婦が使者に立てられ、古来名文の誉れ高い「野分」のドラマが生まれるのである。このストーリー展開に無理がないためには、母北の方の性格作りとして、寄せ付けなさや頑迷さというものが読者と共有されている必要がある。この場面を単に物笑いの種と読んでしまうと、この場の母親の行動はエキセントリックで終わってしまう。
しかし、実のところ母北の方が帝の要請を拒んだのは、筋の展開が要請する頑迷さによるだけではなかった。御子にとって、今すぐに渡さないという選択こそが、若宮の価値を上げることを母北の方は理解していたし、亡くなった妻のために政治を投げ出す今の帝では、大事を託す相手として安心出来なかったのである。こうした読み方は、母北の方の歌「荒き風ふせぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ静心なき/01086」から読み取れるのだが、それは後述する。