御子はかくてもいと 桐壺04章01
原文 読み 意味
御子はかくてもいと御覧ぜまほしけれど かかるほどにさぶらひたまふ例 なきことなれば まかでたまひなむとす
01036/難易度:★☆☆
みこ/は/かくて/も/いと/ごらんぜ/まほしけれ/ど かかる/ほど/に/さぶらひ/たまふ/れい なき/こと/なれ/ば まかで/たまひ/な/む/と/す
御子のことはこんな場合でもご覧になっていたいと強くお望みだが、母の喪中に帝のお側にお仕えする前例はないことなので、宮中を後にすべきということでその運びとなる。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- ばまかでたまひなむとす 四次元構造
〈[帝]〉御子はかくてもいと御覧ぜまほしけれど かかるほどにさぶらひたまふ〈例〉 なきことなれば 〈[御子]〉まかでたまひなむとす
助詞と係り受け
御子はかくてもいと御覧ぜまほしけれど かかるほどにさぶらひたまふ例 なきことなれば まかでたまひなむとす
- 御子はかくてもいと御覧ぜまほしけれど→(かかるほどにさぶらひたまふ例なきことなれば→まかでたまひなむとす)
御子はかくてもいと御覧ぜまほしけれど かかるほどにさぶらひたまふ例 なきことなれば まかでたまひなむとす
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:まほしけれ なれ な む
- まほしけれ:願望・まほし・已然形
- なれ:断定・なり・已然形
- な:強意・ぬ・未然形
- む:当然・む・連体形/光源氏はまだ三歳だから、自らの意思で宮中を退出しようとしたわけではない。次文「何事かあらむとも思したらず さぶらふ人びとの泣きまどひ 主上も御涙のひまなく流れおはしますを あやしと見たてまつりたまへる(を)/01037」とあり、母の死もわからず、帝などが泣いている様子を不思議に御覧になっているとの描写からも、それははっきりしている。「むとす」=「…しようとする」という公式が多くの辞書に載っており、多くの注釈がこの公式を採用している。文脈上に無理があることは上で述べた通りだが、それに気付いた注釈の中には、お付きの者たちの意思をもって御子の意思としたものと、意味不明な説明を加たりする。付き人が御子の意思に従うことはあっても、逆はありえない。むろん、語り手の意識の上でも、それは同じである。ここで見逃してならないのは、「むとす」の別の使用例である。「御息所はかなき心地にわづらひて まかでなむとしたまふ(を)/01024」。「まかでたまひなむとす:A」と「まかでなむとしたまふ:B」では、尊敬語の「たまふ」の場所が違う。ここで重要なルールを復習しておく。
- 「同じ主体の動作が続く場合には、最後に「たまふ」を用いるのが原則」というルール。このルールを適用すると、最後に「たまふ」が付いているBは、「まかでなむ」と「す」の主体が同じ、すなわち、共に御息所の動作と考えなければならない。「む」と「す」主体が同じゆえ、「む」は一人称の意思となる。一方Aは、「まかでたまひなむ」と「す」の主体は別と考えなければならない。すなわち「す」は語り手の敬意の対象外の人である。「す」の主体は次の文中にある語だが、「さぶらふ人びと」を当てるのが一番自然だろう。「まかでたまひなむ」は、御子に向かって「さぶらふ人びと」が勧めた言葉である。「宮中から退出なさるのがよろしいかと勧め、お付きの者たちはそうしようとした」。「む」は御子に向き合う二人称の用法で勧誘を表す。「とす」は「これからしようとする」であって、まだ実際には退出する前のこと。自動詞の「す」は、自然な流れとしてそのように進行するという意味が基本であるので、自然な流れとしてそういう段取りになる、手はずとなるなど、無人称で訳してもよい。その場合でも「む」の二人称の用法は変わらない。
- なお、上のルールを原則としたのは例外があるからだ。
- 一、なし+たまふ
- 二、たまふ+なし
- 三、たまふ+たまふ
- 一はふたつの動作は同じ主体。二はふたつの動作は別主体。これに例外はない。問題は三で、上のルールでは別主体と考えるべきだが、同じ主体のことも少なくない。これは個別に判断すべきだが、同じ主体で「たまふ」が繰り返される時には、ふたつの動作に時間差があるなどの理由が考えられるように思う。
敬語の区別:御 ご覧ず さぶらふ たまふ まかづ たまふ
御子はかくて もいと御覧ぜまほしけれ ど かかるほどにさぶらひたまふ例 なきことなれ ば まかでたまひなむ とす
尊敬語 謙譲語 丁寧語
古語探訪
まかでたまひなむとす 01036
三才の光源氏に内裏から退こうという意思がないことは以下につづく文より明らかであるから、「む」は意思以外の用法となる。「なむとす」には、近未来が確実視される事柄を表す用法がある。三歳の御子の意思とは無関係に事が推移して行くことを表現していると考えれば、「なむとす」は実に適語と言えよう。
御子 01036
光源氏。
かくても 01036
こうなっても、母更衣が亡くなっても。
かかるほどに 01036
母の喪中に。
さぶらひたまふ 01036
帝に仕える。宮中に出仕する。
例なきこと 01036
延喜七年に七歳以下は喪に服さずともよくなるので、時代設定はそれ以前ということになるが、歴史上の事実はあくまで小説の道具に過ぎない。