年ごろ常の篤しさに 桐壺03章02
原文 読み 意味
年ごろ常の篤しさになりたまへれば 御目馴れてなほしばしこころみよとのみのたまはするに 日々に重りたまひて ただ五六日のほどにいと弱うなれば 母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ
01025/難易度:★☆☆
としごろ/つね/の/あづしさ/に/なり/たまへ/れ/ば おほむ-め/なれ/て/なほ/しばし/こころみ/よ/と/のみ/のたまはする/に ひび/に/おもり/たまひ/て ただ/いつ-か/むゆ-か/の/ほど/に/いと/よわう/なれ/ば ははぎみ/なくなく/そうし/て/まかで/させ/たてまつり/たまふ
何年来ご不調が常のご様子でいらっしゃったために、見慣れておいでの帝は、もうしばらく様子をみよとだけお命じになられるが、病態は日に日に悪化し、わずか五六日のうちにひどく衰弱してしまわれたので、母君が泣く泣く帝に奏上し、退出なされるようにしておあげになりました。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- ば…奏してまかでさせたてまつりたまふ 四次元構造
〈[御息所]〉年ごろ常の篤しさになりたまへれば 〈[帝]〉〈御目〉馴れて@なほしばしこころみよ@とのみのたまはするに 〈[御息所]〉日々に重りたまひて ただ五六日のほどにいと弱うなれば 〈母君〉泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ
助詞と係り受け
年ごろ常の篤しさになりたまへれば 御目馴れて 「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに 日々に重りたまひて ただ五六日のほどにいと弱うなれば 母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ
- 年ごろ常の篤しさになりたまへれば→御目馴る+て→「なほしばしこころみよ」(直接話法)とのみのたまはす+に→日々に重りたまひて・ただ五六日のほどにいと弱うなる/並列+ば→母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ
年ごろ常の篤しさになりたまへれば 御目馴れてなほしばしこころみよとのみのたまはするに 日々に重りたまひて ただ五六日のほどにいと弱うなれば 母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ
助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
助動詞の識別:れ させ
- れ:存続・り・已然形
- させ:使役・さす・連用形
敬語の区別:たまふ 御 のたまはす たまふ 奏す まかづ たてまつる たまふ
年ごろ常の篤しさになりたまへれ ば 御目馴れてなほしばしこころみよと のみのたまはするに 日々に重りたまひて ただ五六日のほどにいと弱うなれば 母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ
尊敬語 謙譲語 丁寧語
- のたまはす:のたまふ+す/「のたまふ」単独より敬意が高い
古語探訪
奏してまかでさせたてまつりたまふ 01025
「動詞A+て+動詞B」では主体が変わらないのが一般的である。従って「奏し」たのが母君であれば、「まかでさせ」た主体も母君と読むのが自然である。「まかでさせ」た行為に対して、「たてまつり」は客体の更衣に、「たまふ」は主体の母君に、敬意を及ぼす。意味上、「まかでさせ」る権限をもつのは帝のみであるが、地の文で「たてまつり」という客体敬意はなじまない。「奏する」と「まかでさせ」の主体を変えるなら、「奏するに、まかでさせたまふ」「奏したまへば、まかでさせたまふ」などとなる。
年ごろ 01025
この何年来。
常の篤しさ 01025
病気が慢性化していること。
なほ 01025
これまで同様、なおもう少し。桐壺更衣の死の予感、あるいは更衣自身さえ気づいていない運命の急転換(呪いによる不自然死)と、帝の認識にズレがあることからドラマ性が生じる。
ただ五六日のほどにいと弱うなれば 01025
桐壺更衣の母の言葉「横様なるやうにてつひにかくなりはべりぬれば//01070」、藤壺の宮の母の言葉「桐壺の更衣のあらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう/01129」から、呪詛などによる不自然死が想定される。