参う上りたまふにも 桐壺02章11

2021-04-18

原文 読み 意味

参う上りたまふにも あまりうちしきる折々は 打橋渡殿のここかしこの道に あやしきわざをしつつ 御送り迎への人の衣の裾 堪へがたくまさなきこともあり

01017/難易度:★☆☆

まう-のぼり/たまふ/に/も あまり/うちしきる/をりをり/は うちはし/わたどの/の/ここ-かしこ/の/みち/に あやしき/わざ/を/し/つつ おほむ-おくり-むかへ/の/ひと/の/きぬ/の/すそ たへ/がたく/まさなき/こと/も/あり

更衣から帝のもとへ参上なさる場合にも、あまりたび重なる折りには、廊下の掛け橋や渡り廊下のそこここに、汚らわしい仕掛けをしては、送り迎えに立つ女官の裾は、耐えがたく今宵の段取りが台無しになることもしばしばで、

文構造&係り受け

主語述語と大構造

  • は…に…をしつつ…こともあり 二次元構造

〈[桐壺更衣]〉参う上りたまふにも あまりうちしきる折々  〈[他の更衣]〉打橋渡殿のここかしこの道 あやしきわざをしつつ  御送り迎への人の〈衣の裾〉 堪へがたくまさなき〈こと〉もあり

助詞と係り受け

参う上りたまふにも あまりうちしきる折々は 打橋渡殿のここかしこの道に あやしきわざをしつつ 御送り迎への人の衣の裾 堪へがたくまさなきこともあり

  • 参う上りたまふにも/大条件→(あまりうちしきる折々/小条件→打橋渡殿のここかしこの道にあやしきわざをす)+つつ→御送り迎への人の衣の裾堪へがたくまさなきこともあり/「つつ」はここでは反復を表し、「こともあり」と呼応する。繰り返されるうちには…することもあったの意味。

参う上りたまふにも:「御前渡り/01016」の場合との対比


堪へがたく・まさなし:並列

参う上り たまふ あまりうちしきる折々 打橋渡殿ここかしこ あやしきわざつつ 御送り迎へ裾 堪へがたくまさなきことあり

助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞

助動詞の識別:φ

敬語の区別:参う上る たまふ 御

参う上りたまふに も あまりうちしきる折々は 打橋渡殿のここかしこの道に あやしきわざをしつつ 送り迎への人の衣の裾 堪へがたくまさなきこともあり

尊敬語 謙譲語 丁寧語

古語探訪

あやしきわざ 01017:赤不浄

諸注によると、着物を何かでひっかけて裾を切るとか、糞尿を巻くなどしたとする。しかし、悪質であってもいたずらの域を出ない。狙いは何か。端的に言えば、帝が更衣を抱けない体にすること、子を宿しているなら流産させることである。むろん、直接手を下すわけにはいかないが、呪詛という手段があるのだ。従って、ここは糞尿ではなく、月のものを撒いたと考えるべきだ。「あやしきわざ」は「妖しき業」である。汚れるのが「御送り迎への人」とあって、更衣の裾となっていない点が気になるが、更衣が直接穢れれば、呪詛が帝にまで及びかねない、それを避けたのだと思う。

参う上りたまふ 01017

「何事にもゆゑある事のふしぶしにはまづ参う上らせたまふ/01011」とあり、「参う上る」は桐壺が帝の元に参上すること。前文「御前渡り/01016」は帝が桐壺の元に行くことと対比をなす。

打橋 01017

南面する帝がおられる寝殿と、その東西両側にある夫人方の住む対屋(たいのや)とをつなぐ屋根つきの廊下。

渡殿 01017

建物と建物をつなぐ取り外し可能な橋。

しつつ 01017

「つつ」は繰り返された行為を表す。

御送り迎への人 01017

「参う」は帝に向かってゆくことであるから、帝が移動するわけではないので、夜、更衣の方から清涼殿に行くときの模様である。清涼殿に行くときの迎えは帝つきの女房、送りは更衣つきの女房であろう。

まさなき 01017

予想・予期したことから外れるが原義。不都合な場合をいう。具体的には帝への夜の務めができなくなったことを言う。

〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景

経血の呪い 01017

宮中では「死」や「出産」が忌避されていることは、源氏物語の中でも明らかである。血や月経に関しては、描写がないので判然とはしないが、延喜式などによると、人の死に触れた場合は三十日間、出産に立ち会った場合は七日間、神事から外れる規定になっている。月経に関しては懐妊月事条として穢れとされているが、明確にどうすべきか判明しない。血に関しても、死をイメージする場合は穢れと認識されているが、命の源のようによいイメージもあり、量にもよるだろうが血それ自体は穢れの対象ではない。ただし、宮中では、内裏で「血下の穢(月経だろう)」があったために、賀茂祭の勅使や斎王が内裏に入るのを止められ(839年)、また宮中の神事である園韓祭で鼻血のため官人の交代した(851年)(いずれも『西宮記』)とある。『古事記』景行天皇には、「さ寝むと吾は思へど 汝が着せる意須比の襴(スソ) 月たちにけり」とヤマトタケルノミコトがミヤズヒメとの結婚に際して、すそが月経で汚れていることを指摘し、躊躇する場面がある。ただしその後、比売の歌に感応して、関係を結ぶことにはなる。道教では経血は明らかに穢れとされており、道教と深くかかわる宮中でもそれが言えるのではないか。糞尿は管理されているが、経血は誰かかれが月経であるだろうから宮中では手に入りやすかったのではないか。

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