いづれの御時にか 桐壺01章01
〈テキスト〉を紡ぐ〈語り〉の技法
挿入とは 01001
「いづれの御時にか」は、「述語がない」Aと考えるか、述語はあるが「省略されている」Bと考えるかで、読み方が変わる。Aの場合、ない述語を補うために、かかる先として述語を探すことになる。この場合は「ありけり」がかかる先となる。Bの場合、省略された述語Xを考える。「いづれの御時にか[X]」で文要素は完備されるので挿入であり、かかる先はない。
同格ってなんだ 01001
英語ではAとBが同格という時、BはAの言い換えである。しかし、国文法では、Aに対して追加説明したものを同格という。同格とは、Aが主格ならBも主格というように、文中の働き(格という)が同じであることから来た呼び名なのだろう。今挙げた二点が同格を考えるポイントとなる。
一、前が主情報、後が追加情報
二、文中で同じ格として働く
「いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ/ありけり」
同格の場合:「(A+B)/ありけり」
A:「いとやむごとなき際にはあらぬ[人]が/ありけり」
B:「すぐれて時めきたまふ[人]/ありけり」
情報の重みは A=B または A>B
主格の場合:「AがB(する)[こと]/ありけり」
A:「いとやむごとなき際にはあらぬ[人]が」
B:「すぐれて時めきたまふ[こと]」
情報の重みは述語が重く A<B
「宮中にさして高貴でない女性がいた」という情報と、「宮中で帝の寵愛を独占する女性がいた」という情報の、どちらに重きをおいて読むかで〈同格説〉〈主格説〉が決まる。決して形だけで決められるものではない。
同格の訳「で」ってどこから 01001
同格は「…で~する人がいた」と訳す。この「で」は断定の「だ」の連用形。本来は「であり」という形だが、文末の「ありけり」にかかるため「あり」が欠落して「で」が残った。
源氏物語には「連体形+ありけり」が三例あり、いずれも「こういう人があった」と想起している時の表現である。
一、「この姫君の母北の方のはらから 世におちぶれて受領の北の方になりたまへる ありけり」(蓬生)
二、「この御後見どもの中に 重々しき御乳母の兄 左中弁なる かの院の親しき人にて 年ごろつかうまつる ありけり」(若菜上)「親しき人にて」は「近臣として」の意味。
想起とは、「こういう」事態を起こした「人があった」と思い出すこと。「人/ありけり」(存在文)+「~する」(事態)と考えられる。
一、「はらから/ありけり」(存在文)+「なりたまへる」(事態)
二、「御乳母のせうと/ありけり」(存在文)+「つかうまつる」(事態)
冒頭「際にはあらぬ[女性]が/ありけり」(存在文)+「時めきたまふ」(事態)
同格では「…の人で、~する人がいた」と訳す。
主格では「…の人が~することがあった」と訳す。(「…の人がいて、~した」)
結局のところ、存在に重きをおくか(「ありけり」の意味が強い)、事態の発生(「ありけり」は形式化)に重きをおくかにかかっている。
耳からの情報伝達;立ち現れる〈モノ〉
語りの対象:原点設定/他の女御更衣/桐壺更衣
中断型:/A→/B→C→D:A、B→C→D
《いづれの御時にか》A
いづれの御代とも申しかねますが、
《女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに》B
女御更衣があまた宮仕えなさっているなかに、
《いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ》C
取り立てて高貴ではないお方が、今を時めき帝の寵愛をひと際お集めになって
《ありけり》D
おられました。
- 〈直列型〉→:修飾 #:倒置
- 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列
- 〈中断型〉//:挿入 |:文終止・中止法
- 〈反復型〉~AX:Aの言換えX ,AB:Aの同格B
- 〈分配型〉A→B*A→C
A→B:AはBに係る
Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉
※係り受けは主述関係を含む
※直列型は、全型共通のため単独使用に限った