サイデンステッカー英訳桐壺を読む

2021-05-13

無料で公開されている英文テキスト(https://ebooks.adelaide.edu.au/m/murasaki-shikibu/tale-of-genji/)を使用し、EVERYMAN’S LIBRARYの1992年版を参照した。

初めに アーサー・ウエイリー訳との比較

〈ウェイリー訳英文〉

 At the Court of an Emperor ( he lived it matters not when ) there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one, who though she was not of very high rank was favoured far beyond all the rest; so that the great ladies of the Palace, each of whom had secretly hoped that she herself would be chosen, looked with scorn and hatred upon the upstart who had dispelled their dreams. Still less were her former companions, the minor ladies of the Wardrobe, content to see her raised so far above them.

訳)(いつの時代かはともかく実在した)ある帝の宮廷に、帝の衣装と部屋がご担当の多くのご夫人方の中に、独りの夫人がおり、とても高い位には属さぬものの、他のお方とははるかに抜きん出て寵愛なされ、それがため、上流貴族である貴婦人方は、われこそ帝の目にとまらんと一人びとりがひそかに望んでいたため、自分たちの夢を打ち砕いたこの成り上がり者を蔑みの目で見、憎しみを向けるのであった。かつての同僚である下層の更衣たちは、彼女をはるか上に仰ぎ見ることは、ましてこころよしとしえなかった。

〈注釈〉

  • Courtは大文字で国王の宮廷。ロマンスの展開を予想させる訳語である。
  • Emperorは帝と訳したが皇帝であり、シーザーやナポレオンのイメージ。
  • he lived it matters not when~はit matters not when he lived(彼が生きた時代は問題でない)の変形であるが、含みが違う。英文は左から右に読むため、he livedで一呼吸入り、「彼は生きていただの、いつかは問題でないが」となる。さらに、カッコ内に入っているため、物語の地の文とは遮断されることで、これが注釈として働き、「彼は実在したのだ、いつの時代かはさておき」というニュアンスになる。この英訳は、「いづれの御時か」が疑問文に対して肯定文であること、Courtが「御時」の訳語として不正確であること、勝手にカッコ内にいれたこと、he livedの倒置が馴染めないなど、日本の研究者からは不評が出ているが、これらはどれも、安易に犯した誤訳でなく、ウエィリーが意図をもって工夫した訳文であり、英文として見ても簡潔で美しい。

翻訳には直訳と意訳の二種類の方向がある。日本人は漢文を訓読してきた長い伝統から、逐語訳こそ翻訳の正しいあり方だ考えるきらいが強い。しかし、直訳が可能なのは、文化の差が少ない場合である。例えば、「御時」の訳文は、ある比較文学の研究書によれば、reignが正しいそうだ(確かにサイデンステッカーはそう訳している)。しかし、物語の冒頭にあって、Courtがロマンスの展開を予想させるのに比し、reignから受けるニュアンスは歴史的である。ウエィリーの訳文の高貴さは、こうしたロマンス的訳語で統一されているからであり(Emperor, Wardrobe, Chamber, Palaceなどすべてロマンスを意識した訳語づくりであろう)、Courtをreignに替えれば足れりという問題ではない(他国語間で一語同志の交換が可能であると見えるのは、漢語を多量に受け入れた和漢の特殊な関係を普遍化した誤りである)。源氏物語をロマンス的に解釈するか、歴史的ドラマとして解釈するかは、それぞれの源氏解釈によるであろう。だが、少なくともウエィリーが源氏物語を翻訳し始めた段階で、これを歴史小説として提出したのであれば、世界に冠たる源氏の栄誉を得られたかどうか疑問が残る。これはサイデンステッカー訳が劣るという話ではない。ウエィリー訳を受け入れた当時の読者は、サイデンステッカー訳を望まなかったろうというに過ぎない。これは受け入れる側の文化が、フィクションを好むか否かという問題でもある。『アーサー王の死』は中世ロマンス文学再発見の魁となり、ロマン主義文学の濫觴ともなった重要な翻訳であるが、訳された時期や訳し方が違えば、その文学史的意義はかなり違ったであろう。源氏物語にもそれが言えるのである。

物語の最初に位置する語はことほど左様に重要である。ともあれ、カッコに入れた意味と、he livedを前に出した意図はあった。ロマンスとして読ませるからこそ、カッコに入れたhe livedが、絵空事でないことの注として働くのである。注釈を続けよう。

  • the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamberは女御更衣の訳であるが、この英文ではgentlewomon一人一人が帝の衣装と部屋を同時に受け持っている感じがする。Chamberの前にtheを入れたい。WardorobeとChamberは帝付きの意味で大文字にされている。
  • oneはgentlewomanを受ける。文章全体の構文は、there was one among複数。oneはamong~Chamberまでが長いので後置された。
  • so thatは結果を表す。
  • the great ladies of the Palaceは次のthe minor ladies of the Wordrobeと対比される。the Wordrobeが更衣という階級なので、the Palaceも王宮でなく、高級官僚という階層を示す。ofは同格。looked with scorn and hatred uponのandはlooked with scornとhatredをつなぐ。
  • Still less were ……は倒置。
  • her former companionsとthe minor ladies of the Wardrobeは同格。
  • to see her raisedは第五文型、raisedは形容詞と考えるとわかりやすい(過去分詞と考えてもよいが受身でなく結果として使われている)。

全体として、西洋には不明な異国の文化風俗をどうにか西洋人にもわかりやすいように咀嚼されている。しかし、gentlewomenとgreat ladiesの訳し分けはわかりにくい。そもそも西洋には、貴族の娘を宮廷に奉公させるという後宮制度はなじまない。このgreat ladiesは未婚なのか既婚なのか不明であるが、日本では帝と婚姻関係にある。そうした文化の違いは感じるものの、スタイリッシュな美しい文章である。

第一回 ?いづれの御時にか/ In a certain reign

〈原文〉

01001?いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ、ありけり。
01002 はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。
01003 同じほどそれより下?の更衣たちはましてやすからず。

〈サイデンステッカー訳英文〉

In a certain reign there was a lady not of the first rank whom the emperor loved more than any of the others. The grand ladies with high ambitions thought her a presumptuous upstart, and lesser ladies were still more resentful.

訳)ある御代に、一流の位ではないが、帝から他のどんな女性よりも愛された女性がいた。高望みを抱く権勢家の娘たちはその女を生意気な成上り者だと見ていたし、それほど高くない位の娘たちはなおさら憤慨していた。

ウェイリー訳のCourtが宮廷ロマンス的響きがあるとすれば、reignはやや歴史物語的な感じがする。

  • the grand ladiesは既出の名詞がないので特殊用法。the形容詞+名詞は、その形容詞に属す属さないで世界を二分し、そのうちの形容詞側(この場合grand「勢力のある」側)の意味。
  • lesser ladiesにtheがあれば、二分された残り、すなわち、勢力のないすべて女性の意味となるが、theがないので、勢力のない側の何人か。lesserはlittleの特殊な比較級で、地位の低い。
  • resentfulは憤慨する。

全体として、ウェイリー訳よりシンプルであり、思わせぶらず、淡々と話を進めて行く感じがする。ただ、with high ambitionsは「思ひあがりたまへる」の訳語であろうが、何を思いあがっているのか具体性がなく、文意を得にくい。ここは帝の后になるというのぞみである。

初回なので、ウエィリー訳とサイデンステッカー訳の比較を試みた。ウエィリー訳は英文としてソフィスケートされており、英文精読のテキストとして注のつけ甲斐があるが、初学者向きでない。片やサイデンステッカー訳は、現代英語としてシンプルな美しさがある。

本サイトの狙いは、サイデンステッカーの英訳をテキストとして英語を読む力を養うことにある。したがって、以下の説明においては、英訳文と源氏物語の原文とのズレを注することはない。また訳文を見れば事足りる単語には注をつけないこともあるが、解釈上重要な語句はやさしくても説明した。特に仮定法や時制の一致(また主節と従属節の時制の違い)など英文を読む際に極めて大切でありながら、類書であまり説明されていない事項については、これ以上はできないほど丁寧に説明するつもりでいる。

第二回 いと篤しくなりゆき/she fell seriously ill

01004 朝夕の宮仕へにつけても人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。

Everything she did offended someone. Probably aware of what was happening, she fell seriously ill and came to spend more time at home than at court. The emperor’s pity and affection quite passed bounds. No longer caring what his ladies and courtiers might say, he behaved as if intent upon stirring gossip.

訳)女性は何をしてもことごとく人の反感を買った。おそらく事態のなりゆきに気づいたからだろう、ひどく気を病み、宮廷より自宅で過ごすことが増えた。帝の哀れみと情愛は誠に常軌を超えておられた、もはや王妃や臣下の者たちが何を言おうと聞く耳なく、あたかも世の評判を弄ぶがごとくに振舞われるのだった。

  • offendは社会的・道義的に受け入れ難いことをして人を怒らせること。everythingはやることなすこと全てで、allがことの全体をひとくくりにして考えるのに対して、everyは個々の出来事をひとつずつ考慮に入れているニュアンスがある。evrything=all the things
  • what was happeningは具体性にとぼしく意味をとりにくい。宮中で進行しつつあるできごとの意味。
  • careは気にする。この意味の場合、疑問文か否定文で使われるのが普通である。mightは仮定法のニュアンスを強める。
  • behave as ifはあたかも~のように振舞う。
  • intent upon ~ingは熱心に~する。熱心にゴシップを掻きたてるかのように
  • stirrはかきたてる。

第三回 かかる事の起こり/such an unreasoning passion

01005 上達部上人などもあいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にもかかる事の起こりにこそ、世も乱れ悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。

His court looked with very great misgiving upon what seemed a reckless infatuation. In China just such an unreasoning passion had been the undoing of an emperor and had spread turmoil through the land. As the resentment grew, the example of Yang Kuei-fei was the one most frequently cited against the lady. She survived despite her troubles, with the help of an unprecedented bounty of love.

訳)臣下の者たちは非常な不安をもって、向こう見ずな溺愛と思えるその振舞いを見守った。唐土ではそうした為政者の不当な私情こそが、皇帝の首をすげかえる原因であり、全土に混乱を広めてきたのである。宮中における公憤が高まるにつれ、楊貴妃の例がもっとも頻繁に引き合いに出され、この女性の批判にあてられた。女性はつらくはあったが、前例のない帝の寵愛に助けられ、どうにか日を送るのであった。

  • look on 物 with 感情は、物を感情をもって見る。
  • what seemed a reckless infatuationは、whatが主語。whatが補語である場合は、what? the reckless infatuation seemed 〔to be〕となる。
  • infatuationは不当に熱愛すること。
  • had spread turmoil through the landのturmoilは目的語で、主語はjust such an unreasoning passion。turmoilを主語にするには、had the turmoil spread through the landの語順になる。すなわち、第一第二文型の倒置は、疑問文と同じく助動詞+SVという語順になる。
  • resentmentは不当なことへの怒り。
  • exampleには誡めの意味がある。
  • the oneは唯一の誡め。oneはexampleを受ける。
  • againstは反対意見。賛成はfor

第四回 事ある時はなほ拠り所なく心細げなり/ she was next to defenseless

01006 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具しさしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなければ、事ある時はなほ拠り所なく心細げなり。

Her father, a grand councillor, was no longer living. Her mother, an old-fashioned lady of good lineage, was determined that matters be no different for her than for ladies who with paternal support were making careers at court. The mother was attentive to the smallest detail of etiquette and deportment. Yet there was a limit to what she could do. The sad fact was that the girl was without strong backing, and each time a new incident arose she was next to defenseless.

訳)女性の父は偉大な参議官で、すでにこの世になかった。母は家格ある出の古風な考えの女性であり、父親の援助によって宮中で出世してゆく女性たちに比して、娘の旗色が悪くなるようには決してすまいと決めていた。かかる母であったがために、細部に至るまで娘の作法や起居に神経を遣うのであったが、なしうる限界があった。哀しいかな、娘には強い後ろ盾がなく、こと新しき出来事が起こるたびに、よりどころがないに等しいのであった。

  • mattersは複数形で事態の意味。
  • of good lineageは家柄がよい。
  • determinedは形容詞、あるいはS determined her thatが受身になった構文。彼女はthat以下を確信している。いわゆる提案のshouldを使わない仮定法現在、アメリカ語法である。that節の中は、事実に反することなので、仮定法現在が使われている。(仮定法現在は節の中では主節と同時、すなわちwasと同じ過去を示す)
  • forは前回のagainstの逆。支持のfor。for herは彼女に有利に働く。この構文はやや難しい。もとの比較文はmatters for her be no different from matters for ladies who ……である。比較では省略文が好まれるので、後のmattersを省略し、for herとfor ladiesを後にまわして対比させた。ここで重要なのはfromは前置詞であり目的語として前置詞句を取れない点。すなわち、from for ladiesとできないのである。そのためthanに置きかえられた。
  • the motherは母という性質を抽象的に取り出すときにtheをつける用法がある。母的なるもの、母性などで普通は意味が通るが、このthe motherはher motherの言い換えに過ぎない。
  • be attentive toは注意を払う。
  • next toは否定的文脈で「ほとんど」の意味。

第五回 世になく清らなる玉の男御子/ a beautiful son, a jewel beyond compare

01007 先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。
01008 いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌なり。

It may have been because of a bond in a former life that she bore the emperor a beautiful son, a jewel beyond compare. The emperor was in a fever of impatience to see the child, still with the mother’s family; and when, on the earliest day possible, he was brought to court, he did indeed prove to be a most marvelous babe.

訳)女性は前世における絆のおかげで、帝との間に美しい皇子を、比類なき玉のような皇子を生んだ。帝はその子に会いたくてならないご様子であったが、皇子は母の実家で静かに過ごしておられた。やがて参内が可能となった最初の日に、宮中へ連れて来られたが、実際、真に驚嘆せる幼子(オサナゴ)であることが明らかとなった。

  • It may have been …… thatは強調構文。
  • may + have 過去分詞は過去の推量。mayには過去形mightがあるが、mightは従属節での時制の一致以外ではmayの過去として働かない。
  • bear 人 + 子供の第四文型で、人に子供を産むの意味。
  • a jewelはsonと同格。
  • in a fever ofは夢中になって。
  • stillは前にコンマがある以上、seeの目的格補語と考えることはできない。またstillを接続詞相当句と考えるならば、with the mother’s familyは主語であるthe emperorの付帯状況となってしまうので、これも意味的におかしい。考えられるのはchildに対する付帯状況である。the child, who was still with the mother’s familyのwho wasを省力したものと考える。なおこのwho wasは接続詞に代えるならばbut heとなり、上のような訳文となるわけ。ただ原文にはそんな意味はなく、英文として読んでも何を言いたいのかわかりにくい。
  • possibleは最上級と呼応して、あたうかぎりの。
  • didは強調。
  • a most marvelous bebeのmostはveryの意味。よくa most=veryと熟語のように教えられることがあるが、ナンセンス。aは普通の冠詞。bebeが複数ならmost marvelous bebesとなり、aは消えるが、mostの意味は変らない。

第六回 この君をば私物に思ほし/?The new child was a private treasure

01009 一の皇子は右大臣の女御の御腹にて寄せ重く、「疑ひなき儲の君」と世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。

The emperor’s eldest son was the grandson of the Minister of the Right. The world assumed that with this powerful support he would one day be named crown prince; but the new child was far more beautiful. On public occasions the emperor continued to favor his eldest son. The new child was a private treasure, so to speak, on which to lavish uninhibited affection.

訳)帝の第一皇子は右大臣の孫であった。かかる実力者の後ろ盾があるからは、いつか皇太子に指名されるものと世間は確信していたが、この若君は比較を絶して美しかった。公の場では第一皇子に目をかけ続けた帝も、この若君はいわば秘蔵っ子であり、その上には惜しげもなく愛情が注がれるのだった。

  • wouldは冒頭にwithがあるからと言って、仮定法ではない。時制の一致でwillがwouldになっているだけである。主節の時制である過去においての未来である。
  • nameは指名・任命する。この意味の動詞は第五文型をつくる。
  • crown princeは皇太子。
  • assumedとbutは呼応する。世間の思惑に反するのがbutという接続詞の導入であるが、「はるかに美しかった」では呼応関係は終息しない。宙ぶらりんの状態は次の文に持ち越されるが、ここでも満たされず、それのみか、n publicという副詞が先頭に来ることで、on privateが期待され、結局その次の文がすべてを引きうけることになる。サスペンス(宙ぶらりん)の技法である。

第七回 いと心ことに思ほしおきてたれば/?it became yet clearer that she was the emperor’s favorite

01010 初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。
01011 おぼえいとやむごとなく上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折々何事にもゆゑある事のふしぶしにはまづ参う上らせたまふ。ある時には大殿籠もり過ぐしてやがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、
01012 この御子生まれたまひて後はいと心ことに思ほしおきてたれば、「坊にもようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と一の皇子の女御は思し疑へり。
01013 人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諌めをのみぞなほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。

The mother was not of such a low rank as to attend upon the emperor’s personal needs. In the general view she belonged to the upper classes. He insisted on having her always beside him, however, and on nights when there was music or other entertainment he would require that she be present. Sometimes the two of them would sleep late, and even after they had risen he would not let her go. Because of his unreasonable demands she was widely held to have fallen into immoderate habits out of keeping with her rank. With the birth of the son, it became yet clearer that she was the emperor’s favorite. The mother of the eldest son began to feel uneasy. If she did not manage carefully, she might see the new son designated crown prince. She had come to court before the emperor’s other ladies, she had once been favored over the others, and she had borne several of his children. However much her complaining might trouble and annoy him, she was one lady whom he could not ignore.

訳)この君の母は、帝の私的な用向きに仕えるほど低い身分ではなかった。一般的に見て上流の階層に属していたが、それでも帝からはいつも側にいるよう仰せつけがあり、管弦の宴やらなにやら行事のある宵には決まってお召しがかかった。時には、ふたりともに寝過ごすことがあり、目が醒めたあとでさえ、どうしても側から離そうとはされなかった。そうした帝の不当なご要望のために、節度なくもとの身分から出外れる悪習がそなわったのだと広く見られるに至ったが、この皇子の誕生により、帝の寵愛はいっそう確かなものとなり、第一皇子の母は不安を覚え始めるのだった。慎重にことを進めなければ、この若君が皇太子に任命されるという憂き目を見かねない。他の女房より先に参内を果たし、かつては誰よりも帝の寵愛を得、子供も幾人か恵まれていた。その不平が帝をどんなに困らせ悩ませようと、帝には無視しようにもしえないただ一人の女性であった。

  • attend uponは仕える。
  • he would requireおよびthe two of them would sleep lateのwouldは過去の習慣。
  • he would not let her goのwouldは意思。
  • was widely held toのholdは考える。
  • fall into the habit of ~ingは、~する習慣を身につける。
  • habits out of ~ingは、~をやめる習慣。
  • keep withは持続する。
  • however much S mightは譲歩構文。
  • one ladyは唯一のではない。その意味ではthe one lady。a ladyと同意だが、読む際にはoneとladyの両方にアクセントがあり、one of the ladies whoの意味。

第八回 なかなかなるもの思ひをぞしたまふ/?She was in continuous torment

01014 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、落としめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。

Though the mother of the new son had the emperor’s love, her detractors were numerous and alert to the slightest inadvertency. She was in continuous torment, feeling that she had nowhere to turn.

訳)この君の母は帝の寵愛を得てはいたものの、これを貶めようとする者は多く、極些細な過ちをも見落とさぬよう目を光らせている者がいたため、耐えざる苦しみの中にあり、やり場のなさを感じていた。

  • detractorはdetract「注意をそらす」の派生語。人の関心をそらせるから、中傷する意がでる。この場合、帝の愛情をそらせるためにあれこれ立ち働くわけである。
  • alert to ~は、~に対して見逃さぬよう注意をはらうこと。detractの反意語である。
  • nowhere to turnは、普通not know which way〔where〕to turnという形。どうすればよいか分からないの意味。状況を変える方法が見つからないのである。

第九回 御局は桐壺なり/ She lived in the paulownia Court

01015 御局は桐壺なり。
01016 あまたの御方がたを過ぎさせたまひてひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふもげにことわりと見えたり。
01017 参う上りたまふにもあまりうちしきる折々は、打橋渡殿のここかしこの道にあやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾堪へがたくまさなきこともあり。
01018 またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめこなたかなた心を合はせてはしたなめわづらはせたまふ時も多かり。
01019 事にふれて数知らず苦しきことのみまさればいといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を、他に移させたまひて、上局に賜はす。
01020 その恨みましてやらむ方なし。

She lived in the paulownia Court. The emperor had to pass the apartments of other ladies to reach hers, and it must be admitted that their resentment at his constant comings and goings was not unreasonable. Her visits to the royal chambers were equally frequent. The robes of her women were in a scandalous state from trash strewn along bridges and galleries. Once some women conspired to have both doors of a gallery she must pass bolted shut, and so she found herself unable to advance or retreat. Her anguish over the mounting list of insults was presently more than the emperor could bear. He moved a lady out of rooms adjacent to his own and assigned them to the lady of the Paulownia Court and so, of course, aroused new resentment.

訳)女は桐壺に住んでいた。帝がそのもとへ通うには、他の女たちの部屋を越して行かねばならず、その耐えざる行き来に女たちが腹を立てるのも無理からぬことと承認されるに違いない。女の方から帝の部屋を訪れることも同じくらい多く、付き人の裳裾は橋や回廊に撒かれたごみ屑で、見るもおぞましい状態だった。一度などは、女が通ることになっている回廊の出入り口に留め金を卸そうとくわだてた者があり、進むも下がるもならず立ち往生することがあった。女が山と重なる侮辱の数々に苦しむ様子は、帝の耐えざるところとなり、帝自身の部屋の隣屋よりとある女性をよそへ移し、それらの部屋を桐壺に住むこの女性に与えることとなったが、当然ながらさらなる恨みが生じたこととなった。

  • hersは彼女の部屋。she-her-her-hers。
  • it must be admitted that ~は、that以下が見とめられていたに違いないという、話者の現在のコメント。すなわち草子地だから、mustは現在形。
  • to have both doors of a gallery she must pass bolted shutはちょっと難しい。先ず、passは他動詞で目的語はgallery。関係代名詞の目的格thatやwhichが省略された接触節である。次にhaveは第五文型をとり、have doors botled shut。このbotled shutが問題で、botleが実はまた第五文型を作っていることがわかるかどうか。S botled doors shutが元の文で、これを受身に変形するとdoors was botled shutとなり、haveに合わせると、have doors botled shutになる。そもそも第五文型VOCは、「Vという動作によりOをCという状態にする」という原義を持っており、英文に馴れればhave doors botled shutを見た段階で、botleによりdoorsがshutしたのだと分かるのである。第三第五文型、SVO,SVOCは目的語が前に飛び出し、OSV,OSVCという形で頻出する。a gallery she must passもOSVである。OSVCが受身になり、O be pp Cとなり、O pp Cとなったのがdoors botled shut。なお、第四文型の目的語が前に飛び出す場合は、また別の問題があるので、ここでは触れない。
  • He moved a lady out of roomsも第五文型。moveという動作によりa ladyをout of roomsという状態にした。
  • aroused new resentmentは倒置。

第十回 御袴着のこと/ the ceremonial bestowing of trousers

01021 この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮のたてまつりしに劣らず内蔵寮納殿の物を尽くしていみじうせさせたまふ。
01022 それにつけても世の誹りのみ多かれど、この御子のおよすげもておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えたまふをえ嫉みあへたまはず、
01023 ものの心知りたまふ人は、「かかる人も世に出でおはするものなりけり」とあさましきまで目をおどろかしたまふ。

When the young prince reached the age of three, the resources of the treasury and the stewards’ offices were exhausted to make the ceremonial bestowing of trousers as elaborate as that for the eldest son. Once more there was malicious talk; but the prince himself, as he grew up, was so superior of mien and disposition that few could find it in themselves to dislike him. Among the more discriminating, indeed, were some who marveled that such a paragon had been born into this world.

訳)若宮が三歳になられた時、財宝省と財務省の資金を尽くして袴をつける儀式が執り行われたが、その念の入りようは第一皇子の時と変りがなかった。今一度、底意ある風評が流れたが、若宮ご自身は、ご成長なさるにしたがい、風采といい気立てといい申し分がなかったので、皇子を嫌う気になれる者はないに等しかった。さらにもののわかる人たちの中には、そんな完璧な人間がこの世に生まれるものかと驚嘆する者もいた。

  • the resources of the treasury and the stewards’ officesは、the resources of the treasury’ offices and the resources of the stewards’ officesのこと。
  • to makeは第五文型でCがelaborate。
  • so superior of mien and disposition thatはso……that構文。
  • find it in oneself to ~は、~する気になるという熟語。find it in one’s hreat toとも言う。
  • the more discriminatingのtheはそういう集団が話者の中に限定された形でいることを示す。
  • were someは倒置。wereは存在を表すbe動詞。someはsomeone。

第十一回 御息所はかなき心地にわづらひて/ the boy’s mother, feeling vaguely unwell

01024 その年の夏、御息所はかなき心地にわづらひてまかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。
01025 年ごろ常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひてただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ。
01026 かかる折にもあるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。

In the summer the boy’s mother, feeling vaguely unwell, asked that she be allowed to go home. The emperor would not hear of it. Since they were by now used to these indispositions, he begged her to stay and see what course her health would take. It was steadily worse, and then, suddenly, everyone could see that she was failing. Her mother came pleading that he let her go home. At length he agreed. Fearing that even now she might be the victim of a gratuitous insult, she chose to go off without ceremony, leaving the boy behind.

訳)その夏、皇子の母はなんとなく気分がすぐれず、自邸にもどる許しを請うたが、帝はいっかな聞きつけなかった。今では二人ともこうした不調には馴れていたので、帝はここにとどまり容態を見守るよう懇願した。しかし、着実に病気は進行し、やがて、突然に、誰の目にもわかるほど衰えて見えた。母が参内し、娘を家にもどしていただけるよう帝に哀訴し、ようやく帝も首を縦にされた。この時でさえ、言われない屈辱を受けないかと恐れ、別れの儀を行わずに退出することにし、その子を宮中に残して行った。

  • would notはどうしても聞き入れないという意思。
  • sinceは理由を表す。
  • were used to ~は、馴れている。
  • and thenは時の経過を示す。
  • mightは仮定を表す。
  • leaveは第五文型。

第十二回 よろづのことを泣く泣く契りのたまはすれど

01027 限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを言ふ方なく思ほさる。
01028 いとにほひやかにうつくしげなる人のいたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来し方行く末思し召されずよろづのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにていとどなよなよと我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思し召しまどはる。

Everything must have an end, and the emperor could no longer detain her. It saddened him inexpressibly that he was not even permitted to see her off. A lady of great charm and beauty, she was sadly emaciated. She was sunk in melancholy thoughts, but when she tried to put them into words her voice was almost inaudible. The emperor was quite beside himself, his mind a confusion of things that had been and things that were to come. He wept and vowed undying love, over and over again. The lady was unable to reply. She seemed listless and drained of strength, as if she scarcely knew what was happening.

訳)万事に終わりはなければならず、帝はこれ以上引きとめることはできなかった。見送ることさえ許されないことが言いようもなくつらいことであった。女はすばらしい魅力と美貌の持ち主であったが、かわいそうなくらいにやつれていた。憂鬱な思いに沈んでいたが、それを言葉に言い表そうとした時には、声はほとんど聞き取れないものになっていた。帝はまったく気が違ってしまい、頭の中は来し方のこと行く末のことが入り乱れた。涙を流し変らぬ愛を幾度も幾度も誓ったが、女には応える力がなかった。つらそうで、力なく、この後どうなるのかさえわからないような状態だった。

  • a lady of great charm and beauty, she was sadly emaciatedは、Though she wasをつければ普通の構文。しかし、Though she wasでは、時制をあらわすwasがあるために、その時魅力的だったのか、生まれつきだったのかという問題が不明になる。原文では、生まれつき桐壺に固有な魅力であるかのように感じられる。
  • was sunk in 名詞は、ふける、熱中する。
  • to put them into wordsのthemはmelancholy thoughts。put A into Bなどの動詞句を苦手にする人が多いが、もともとは場所的意味があり、それが比ゆ的に用いられていくことを知れば、ひとつひとつの意味を覚えなくても、文脈から意味は推測できる。putの原義は移動。put intoは入れる。put A into wordsは言葉の中に入れるだから、言葉に転写する、すなわち、言い表すである。ちなみに「写」の原義は移動であり、AからBへ転写する義が派生して書き写すの意味が出、心の内を外に写す吐露の意味もある。言葉のこうした比ゆ的広がりを知れば、言葉の感覚は一挙に広がる。
  • beside oneselfは正気を失う。
  • his mind a confusion of thingsは、mindの後にwasが省略されている。やはりここでも時制を示すwasを失うことで、混乱の度が極めて大きい感じがする。また一時的でない感じもする。
  • a confusion of things that had been and things that were to comeは、a confusion of A and BでAとBがごちゃまぜになるの意味。すなわち過去にあったこととこれから生じるであろうことがごっちゃになっている。were toは運命。もっとも「来し方行く末思し召されず」は後先考えずの意味であり、英訳とは異なる。
  • as ifは仮定法であり、knewはseemedの時制に合わせたものではない。seemedが現在形になってもknewはknewのままである。実際に何もわからないわけではないので仮定法である。
  • what was happeningは、進行形を使った近接未来。すぐ近くまで死が迫っていること。

第十三回 いかまほしきは命なりけり

01029 輦車の宣旨などのたまはせてもまた入らせたまひてさらにえ許させたまはず。
01030 「『限りあらむ道にも後れ先立たじ』と契らせたまひけるを。さりともうち捨ててはえ行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
01031 「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかば」と。
01032 息も絶えつつ聞こえまほしげなることはありげなれどいと苦しげにたゆげなれば、かくながらともかくもならむを御覧じはてむと思し召すに、「今日始むべき祈りどもさるべき人びとうけたまはれる、今宵より」と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。

Wanting somehow to help, the emperor ordered that she be given the honor of a hand-drawn carriage. He returned to her apartments and still could not bring himself to the final parting. “We vowed that we would go together down the road we all must go. You must not leave me behind." She looked sadly up at him.? “If I had suspected that it would be so―? She was gasping for breath.?""I leave you

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