かかれど人の見及ば 帚木06章06
原文 読み 意味
かかれど 人の見及ばぬ蓬莱の山 荒海の怒れる魚の姿 唐国のはげしき獣の形 目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる物は 心にまかせてひときは目驚かして 実には似ざらめどさてありぬべし 世の常の山のたたずまひ 水の流れ 目に近き人の家居ありさま げにと見え なつかしくやはらいだる形などを静かに描きまぜて すくよかならぬ山の景色 木深く世離れて畳みなし け近き籬の内をば その心しらひおきてなどをなむ 上手はいと勢ひことに 悪ろ者は及ばぬ所多かめる
02088/難易度:★★★
かかれど ひと/の/み/およば/ぬ/ほうらい-の-やま あらうみ/の/いかれ/る/いを/の/すがた からくに/の/はげしき/けだもの/の/かたち め/に/みエ/ぬ/おに/の/かほ/など/の/おどろおどろしく/つくり/たる/もの/は こころ/に/まかせ/て/ひときは/め/おどろかし/て じち/に/は/に/ざら/め/ど/さて/あり/ぬ/べし よ/の/つね/の/やま/の/たたずまひ /みづ/の/ながれ /め/に/ちかき/ひと/の/いへゐ/ありさま げに/と/みエ なつかしく/やはらいだる/かた/など/を/しづか/に/かき/まぜ/て すくよか/なら/ぬ/やま/の/けしき こぶかく/よばなれ/て/たたみ-なし けぢかき/まがき/の/うち/を/ば その/こころ/しらひ/おきて/など/を/なむ じやうず/は/いと/いきほひ/こと/に わろもの/は/およば/ぬ/ところ/おほか/める
(左馬頭)そうではありますが、人目では捉えられない蓬莱の山、荒海の恐ろしい魚の姿、唐の国の猛々しい獣の形、目に見えない鬼神の顔などおどろおどろしくこしらえた絵なんかは、心まかせにひときわ人の目を驚かすねらいであって、実物には似てないにしてもそれはそれでよいでしょう。世間のどこにでもある山のたたずまい水の流れ身近な人家の様子を、なるほどこういうものだなと受け止め、慣れ親しんだ穏やかな形などが丹念に描きこんだり、険しくはない山なみが木深く人里から離れて重なりあう一方で、近景のまがきの中の配置に心配ったりする際には、名人はなるほど筆勢に差が生じ、未熟者には及ばぬところが多いようです。
文構造&係り受け
主語述語と大構造
- は…は…て…は…どさてありぬべし 一次元構造|多かめる 二次元構造
かかれど /人の見及ばぬ蓬莱の山 荒海の怒れる魚の姿 唐国のはげしき獣の形 目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる〈物〉は 心にまかせてひときは目驚かして 実には似ざらめどさてありぬべし/| @ 世の常の山のたたずまひ 水の流れ 目に近き人の家居ありさまげにと見え なつかしくやはらいだる形などを静かに描きまぜて すくよかならぬ山の景色木深く世離れて畳みなし け近き籬の内をばその心しらひおきてなど@をなむ 〈上手〉はいと勢ひことに 〈悪ろ者〉は及ばぬ 所 多かめる
助詞と係り受け
かかれど 人の見及ばぬ蓬莱の山 荒海の怒れる魚の姿 唐国のはげしき獣の形 目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる物は 心にまかせてひときは目驚かして 実には似ざらめどさてありぬべし 世の常の山のたたずまひ 水の流れ 目に近き人の家居ありさま げにと見え なつかしくやはらいだる形などを静かに描きまぜて すくよかならぬ山の景色 木深く世離れて畳みなし け近き籬の内をば その心しらひおきてなどをなむ 上手はいと勢ひことに 悪ろ者は及ばぬ所多かめる
「かかれど」→「上手はいと勢ひことに悪ろ者は及ばぬ所多かめる」
「人の見及ばぬ蓬莱の山…実には似ざらめどさてありぬべし」:挿入(挿入の条件は文の要素に欠落がない)と考え括弧に入れるとわかりやすい。ただし、文構造としては、ファンタジーの場合とリアルの場合に分けて説かれているのは、木の道の匠の場合と同じである。
「鬼の顔などの…作りたる」:AのB連体形(「の」は同格)
「世の常の山のたたずまひ…などをなむ」:挿入
「世の常の山のたたずまひ水の流れ目に近き人の家居ありさま」:遠景・中景・近景
「げにと見え」:「実には似ざらめど」との対比。この句は「静かに描きまぜて」に係ると解釈されているが、並列関係を無視した解釈である。
「静かに描きまぜて」「木深く世離れて畳みなし」「その心しらひおきて」:並列
「などをなむ」:格助詞「を」に対する動作が省略されている。129「げにと見え」はこの省略されている動詞にかかると考える以外になく、格助詞の「を」もそれによって安定する。これまでの解釈はこの「を」を無視している。この文の骨子は、「かかれど…上手はいと勢ひことに悪ろ者は及ばぬ所多かめる」である。前文を受け、絵所の絵師の中に上手い下手の差はないように見えて、実はあるのだという論法である。「かかれど」と「上手は」の間に二文の挿入があり、前の文は空想物を描く場合、後の文は実在の物を描く場合で、対比されている。もちろん、前半は譲歩文であり、後の文がいいたい文である。ここまで外堀を埋めた上で、省略された動詞を考える。手がかりは対の関係である前半にあるはずだ。すると「作りたる」が浮かび上がる。こんな風になっているのだなとと、現物からエッセンスを見て取った上で、創作に活かすという段取りである。
古語探訪
などをなむ:後ろの省略語は何か 02088
この「を」はこれまでの解釈では無視されてきた。しかし、この文の決め手はこの「を」である。この「を」は後ろとの続きが悪いので、ここで文を切るか、後に省略があるかを考えることになる。ここで文を切るなら詠嘆の終助詞等となるが、何を詠嘆しているのか不明である。ここは格助詞で後ろに動作が省略されていると考える以外にない。その語を補うことは難しくない。なぜなら、なくても文意が成立するから省略が可能であるからだ。ここで前半と後半が対の関係にあることは一目瞭然であろう。そうであれば、前半にその語のヒントがあるはずである。これについては、下の「係り受け」の131の説明で述べる。
さてありぬべし 02088
それはそれでよい。
げに 02088
なるほど。リアルさをいう。
見え 02088
「見ゆ」の連用形、「ゆ」は自発・受身など。自然がまさにこうしたものだと、絵師に見える・感じられるの意味。
すくよかならぬ 02088
なだらかなの意味。「すくよか」は険しい。
心しらひ 02088
配置への心配り。
おきて 02088
描法上の決まりごと。