いとなべてはあらね 023 ★★☆

2021-01-1102 帚木01章~06章

帚木 原文 かな書き 現代語訳 第2章15

いとなべてはあらねど われ思し合はすることやあらむ うちほほ笑みて その片かどもなき人はあらむやとのたまへば

いと/なべて/は/あら/ね/ど われ/おぼし-あはする/こと/や/あら/む うち-ほほゑみ/て その/かたかど/も/なき/ひと/は/あら/む/や/と/のたまへ/ば

まったくすべてがその意見に合致するわけではないもののご自身でも思い当たる節がおありなのだろう、思わず苦笑して、そんな少しの取り柄もない人がいるものかなとおっしゃっると、

物語の深部を支える重要語句へのアプローチ

いとなべてはあらねど:係る場所により意味が分かれる

優しいようでなかなかの難物である。この解釈は二通りに分かれる。頭中将の発言を受けて全部ではないが部分的にあてはまるとの解釈と、光源氏の経験を受けて全部を知っているわけではないがとの解釈である。文構造としては、「あらねど」と「(や)あらむ」が呼応しあって、「なべては思し合はするにはあらねどわれ思し合はすることやあらむ」が圧縮されたと考えられる。「いとなべてはあらねど」が「思し合はする」にかかるのであれば、頭中将の女性論を受けることになるが、「あらむ」にかかるのであれば、光源氏の経験を受けると考えた方がよい。光源氏の経験のすべてが頭中将の女性論に当たるわけではないが、部分的には一致するのであろうか、という語り手の推測であろう。

うちほほ笑みて:微笑と訳しては見当違い

これは次の発言からわかる通り、冷ややかな笑いでなければならない。現代語のほほえみとは対立する。頭中将の意見に同意すると解釈すると、ここは現代語の微笑みになってしまい、次の発言との整合性を失ってしまう。

その片かどもなき人はあらむや:光源氏の混ぜっ返し

頭中将の議論の出発点が、「ただ片かどを聞き伝へて心を動かすこともあめり/02-020」であった。頭中将の推論を整理する。女性選びは一部から全体を推し量る必要がある。その一部も尾ひれをついている。従って、会うと必ず期待外れになる。よって完璧な女性を見つけるのは難しいとなる。光源氏の発言は、議論に対するものではなく、単なる混ぜ返しになっている。今のところ、頭中将の意見を本気で聞く気はないと捉えるべきであろう。

附録:耳からの情報処理(語りの対象 & 構造型)

語りの対象:光源氏世の女

いとなべてはあらねど われ思し合はすることやあらむ》A
まったくすべてがその意見に合致するわけではないもののご自身でも思い当たる節がおありなのだろう、


うちほほ笑みて・その片かどもなき人はあらむやとのたまへば》B・C
思わず苦笑して「そんな少しの取り柄もない人がいるものかな」とおっしゃっると、

中断型:[A<]B<C:A、B<C

 A<B:AはBに係る Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉
 ※係り受けは主述関係を含む


〈直列型〉<:直進 :倒置 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列
〈中断型〉φ:独立文 [ ]:挿入 :中止法


〈反復型〉~AX:Aの置換X A[,B]:Aの同格B 〈分配型〉A<B|*A<C ※直列型以外は複数登録、直列型は単独使用

情報の階層&係り受け

大構造(とのたまへば/四次

〈[光源氏]〉/いとなべてはあらね われ思し合はする〈こと〉やあらむ/ うちほほ笑みて その片かどもなき〈人〉はあらむやのたまへば

主〉述:一朱二緑三青四橙五紫六水 [ ]: 補 /: 挿入 :分岐

頭中将の女性論の中心は「中の品」にあり、高貴な光源氏には未体験の世界。そこに持って行くのに「その片かどもなき人はあらむや」の問は渡りに船であり、水を得た魚のように頭中将は多弁になる。「片かど」の語により物語が展開してゆく。これを軸語という。

係り受け&主語述語

「いとなべてはあらねど」→「…ことやあらむ」


「のたまへば」→「いと隈なげなる気色なる/02-028」

2021-01-1102 帚木01章~06章

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