神無月のころほひ月 帚木08章02

2021-03-29

原文 読み 意味

神無月のころほひ 月おもしろかりし夜 内裏よりまかではべるに ある上人来あひてこの車にあひ乗りてはべれば 大納言の家にまかり泊まらむとするに この人言ふやう 今宵人待つらむ宿なむ あやしく心苦しきとて この女の家はた 避きぬ道なりければ 荒れたる崩れより池の水かげ見えて 月だに宿る住処を過ぎむもさすがにて 下りはべりぬかし

02104/難易度:★★★

かむなづき/の/ころほひ つき/おもしろかり/し/よ うち/より/まかで/はべる/に ある/うへびと/き/あひ/て/この/くるま/に/あひ-のり/て/はべれ/ば だいなごん/の/いへ/に/まかり/とまら/む/と/する/に この/ひと/いふ/やう こよひ/ひと/まつ/らむ/やど/なむ あやしく/こころぐるしき/とて この/をむな/の/いへ/はた よき/ぬ/みち/なり/けれ/ば あれ/たる/くづれ/より/いけ/の/みづ/かげ/みエ/て つき/だに/やどる/すみか/を/すぎ/む/も/さすが/に/て おり/はべり/ぬ/かし

神無月の頃月の美しい夜に、内裏より退出いたしました折り、ある殿上人と行きあいわたしの牛車に途中まで相乗りすることなりましたので、大納言の家に出向いて宿る予定といたしましたところ、この人が言うには「今宵人持ちしてる宿のことがどうにも気がかりで」と、折しも例の女の家が道沿いで避けることはならず、荒れた築地のくずれからは池に映った月影がのぞかれ、月ですら宿る住みかを素通りするのもさすがに心苦しくつい二人して降り立ってしまったのです。

大構造と係り受け

神無月のころほひ 月おもしろかりし夜 内裏よりまかではべるに ある上人来あひてこの車にあひ乗りてはべれば 大納言の家にまかり泊まらむとするに この人言ふやう 今宵人待つらむ宿なむ あやしく心苦しきとて この女の家はた 避きぬ道なりければ 荒れたる崩れより池の水かげ見えて 月だに宿る住処を過ぎむもさすがにて 下りはべりぬかし

古語探訪

◇「まかではべるに/「に」:時、ちょうどその時に)→「あひ乗りてはべれば」 
◇「あひ乗りてはべれば」→「まかり泊まらむとする」 
◇「泊まらむとするに」→「この人言ふやう」 
◇「(心苦しき)とて/「て」:時間経過、そんなことを話していると折しも)→「下りはべりぬかし」

神無月 02104

旧暦の十月、初冬にあたる。

おもしろかりし 02104

美しかった。貴族の生活文化として、当然、今夜は男が女性の家を訪れることが期待される。

上人 02104

殿上人。左馬頭が通っている妻(木枯の女)の浮気相手。ただし、牛車に乗り合わせた時点で左馬頭はもちろんそのことを知らない。左馬頭は左馬寮の長官で従五位相当。「上人」の動作に対して敬語が使用されていないことから、やはり従五位の同輩であろうと推定される。

大納言 02104

左馬頭の関係はわからないが、左馬頭の父親かと推定されている。「あひ乗りてはべれば…泊まらむとする」という文章構造からは、本来、大納言宅に行く予定はなかったが、上人が乗り合わせたことが原因で行き先を大納言宅に変更したことが予想される。

この人 02104

上人。

今宵 02104

今夜のような月の美しい夜に。

人待つらむ宿 02104

男が通って来ないかと待ち焦がれている女の家。雨夜の品定めの導入部で、頭中将が「おのがじし、恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所はあらめ/02012」と光源氏の手紙を読みたがっていた件があった。「人待つらむ宿」も一種の言い回し。この表現に対しては古来さまざまな解釈がなされて来たが、いまだに定説はないようである。
問題を整理すると、一、「人待つらむ宿」の「人」は誰か。二、上人はどの時点で下車したのか。三、なぜ左馬頭は上人を制止もせず女の元を訪ねようとしたのか。などを矛盾無く説明する解釈がないようである。順に見て行くと、一「人待つ」は通ってくる男を待つ意味。月の美しい夜だから、こうした話題が出るのは自然であり、一般論と考えれば、左馬頭でも上人でも当てはまる。上人の狙いは、左馬頭を呼び込むことであるから、その意図さえ知られなければよいのである。二「とて」がかかる先は文末の「下りはべりぬかし」以外にないので、二人とも一緒に車を降りたとしか読めない。問題は三である。「男の訪れを待っている女の家が妙に気になると」言われた時に、左馬頭の脳裏に浮かんだことは、A「一般論として聞き流す」B「自分と女がばれているんじゃないかと心配する」C「女の存在を知っていてそういうのだから連れて行けと催促しているのか」などであろう。左馬頭のその後の行動と矛盾しないのは、Cの方向、すなわち、上人を女の元に連れて行こうと意図をもって車を降りる場合しかない。自分のモテぶりを自慢したい、自分の女がいかにいい女であるか自慢したい、そうした心理を利用されたのだ。

あやしく 02104

連用修飾語として心苦しさの程度を強調するとも、中止法として男が通って来ない女の立場を指すとも解釈できる。前者であれば、不思議に、ひどくの意味になる。後者であれば、不都合な、みすぼらしくてなど。いずれにしても、普通でない様子を示す。

心苦しき 02104

孤閨を守る女への同情心。気の毒に。

とて 02104

上人が今宵の月の美しさから、こんな夜に夫の来ない女性は気の毒だなと漠然と言ったことと、二人で牛車から降り立つまでには時間的経過がある。それが「て」で表されている。上人は最初から左馬頭をコケにする意図があったろうが、左馬頭の側からはそれはまだわからない。

この女の家 02104

左馬頭が通っている妻(木枯の女)の家。

はた 02104

折しも、ちょうど。上人がそんな話をふと漏らしたことと、自分の足が遠のいた妻の家が大納言宅への通り道にあることが、偶然にも重なったことを意味する。従って、もともと左馬頭は妻の家に行くつもりはなかったのである。上人が来合わせたから大納言宅に行くことにした。その途次に女の家はあるが、上人が「人待つらむ宿」などの話をしなかったら、おそらく素通りしていたであろう。

避きぬ 02104

避けることができない。

月だに宿る 02104

月でさえの池の面に宿っている、まして夫である自分が通わないのはとの意味。左馬頭がこの箇所を話す際、自嘲的になっていれば、月かげに男のかげをかけて読むこともできる。

過ぎむも 02104

この「も」は、通りすぎることを前提にしていたことを示す。

さすがに 02104

「心苦しく」などが後ろに省略されている。

下りはべりぬかし 02104

月は美しいし、妻の元にはしばらく通っていないし、上人が興味津々なら、人待ちしている宿に連れて行って、そねませてやるかくらいの意識でふたりで降り立ったのであろう。上人の意図と、左馬頭が持ち得ている情報量の少なさを考慮しないと、初めからこけにされるのを承知で、上人を妻のもとに連れて行ったかのような、わけのわからない解釈になってしまう。

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