事が中になのめなる 帚木04章11

2021-03-28

原文 読み 意味

事が中に なのめなるまじき人の後見の方は もののあはれ知り過ぐし はかなきついでの情けあり をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに

02057/難易度:★★★

こと/が/なか/に なのめ/なる/まじき/ひと/の/うしろみ/の/かた/は もの/の/あはれ/しり/すぐし はかなき/ついで/の/なさけ/あり をかしき/に/すすめ/る/かた/なく/て/も/よかる/べし/と/みエ/たる/に

(左馬頭)様々な事例の中でも特に、いい加減ではすまない高貴な方の世話をする場合には、何かと深く感じ入り過ぎたり、実のないうわべの思いやりをみせたり、風流趣味に偏したりする方面は、なくてもよさそうに思われるものの、

文構造&係り受け

主語述語と大構造

  • と見えたるに 三次元構造

事が中に なのめなるまじき人の後見の〈方〉は もののあはれ知り過ぐし はかなきついでの情けあり をかしきに進める〈方〉なくてもよかるべしと見えたるに

助詞と係り受け

事が中に なのめなるまじき人の後見の方は もののあはれ知り過ぐし はかなきついでの情けあり をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに

「あり」は連用形。下欄〈用言並列の規則〉を参照。

「事が中に」→「なくてもよかるべし」


「もののあはれ知り過ぐし」「はかなきついでの情けあり」「をかしきに進める」(並列)→「方」

「方」→「なく」→「てもよかるべし」(主語述語と考えても良いが、係り受けに主語述語も含めるとすれば一元化できる)


「見えたるに」→「また/02058」

古語探訪

事が中に 02057:どこに掛けて読むか

「中でも特に」と一般に読まれている。「妻が心得る事柄の中でも特に」という意味で一見それは正しく思えるが、やはりここもどこにかかるかが問題である。「事が中に」をその意味では「なくてもよかるべし」にかけることになる。高貴な方の世話する場合には、特にこれこれは必要ないという意味だが、この後「また」から始まる文で、「情け不要論」を逆転させるためのここは譲歩文で、「必要がない」を強調する場所ではない(「中でも特に…と見える」も同じである)。「特に高貴な方を世話する場合には」の方が、変なところに力点がおかれず、自然である。様々なケースの中でも、「高貴な方のお世話の場合は…は不要に見えるが、かと言って」という論理展開である。

もののあはれ知り過ぐし 02057:無常観

世の無常を感じすぎること。「あはれ進みぬればやがて尼にもなりぬかし/02068」のエピソードを念頭にした表現。

はかなきついでの情けあり 02057:あとづけのやさしさ

真心からでなくその折々の感情。「まして人の心の時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをばえ頼むまじく思うたまへ得てはべる/02090」を話の枕として始まる指食いの女を念頭にした表現。

をかしきにすすめる方 02057:芸術好き

風流気取り。「あくまでさればみ好きたるはさても見る限りはをかしくもありぬべし時々にてもさる所にて忘れぬよすがと思ひたまへむには頼もしげなく/02128」思って通うのをやめてしまった木枯の女を念頭にした表現。

なのめなるまじき 02057

並のものであってはいけない、格別であるべき。

〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景

左馬頭の論法 02057

前文で「あまりの情け(過度の情)」を難点としたのに対して、風流心なども妻選びの本質ではないと頭中将の意見に賛同するようで、逆に家庭的すぎるのも大事を話し合える間柄でないと、左馬頭はしりぞける。頭中将の女性論が単調で結論を導きやすいのに対して、左馬頭は、いったん目上である頭中将の意見を受け入れた上で反論することが多く、こうでもないという主張に終、結論を出しにくいところがある。

〈テキスト〉を紡ぐ〈語り〉の技法

用言並列の規則 02057

並列する最後以外の用言は連用形。従って「知り過ぐし」「あり」は連用形。最後の並列は次に続く形であり、「方」という体言に続くので「進める」は連体形となる。

主述関係と修飾関係の上位区分 02057

古文の構造で一番大切なことは、そこで切れる語(off語)なのか、後ろに続く語(on語)なのかの区別することである。源氏物語においてoff語が現れる頻度は極めて少ないので、引き続いての作業として、on語はどの語(to語)にかかるのか、(あるいはどの語(get語)がそれを受け止めるのか)を考えることになる。
古文を読む心得として、主語述語の関係を探すことからはじめることが多いが、この語がどこに続くのかを考えることを優先すべきである。それがわかった段階で、意味が特定され、必要なら主格か、連用格か、連体格かの区別がつけられる。しかしながら、この文の「進める方なし」の「進める方」と「なし」の関係はどうであろうか。「進める方はなし」と考えれば「は」は係り助詞だから修飾語となり、自然な古文ではないが「進める方がなし」と「が」を補えば、主格の格助詞だから主語と考えることになる。しかし、原文は「方なし」であって、そんな区別を必要としていないのだ。「どこに係るか、それが問題だ」
実際問題として、日常の言語活動において、主語述語なんてことを考えたりしない。言い終えたか、まだ言い終えていないか、係りと受けという意識は、頭の隅に残っているものなのだ。源氏物語の語りにおいても、これは同じであろう。主語述語なんて意識はなかろうし、頻度的にも修飾関係が圧倒的に多く現れる。主語述語にとらわれるべきではない。

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