あはれのことやこの 帚木12章05

2021-03-29

原文 読み 意味

あはれのことや この姉君や まうとの後の親 さなむはべる と申すに 似げなき親をも まうけたりけるかな 主上にも聞こし召しおきて 宮仕へに出だし立てむと漏らし奏せし いかになりにけむと いつぞやのたまはせし 世こそ定めなきものなれ と いとおよすけのたまふ 不意に かくてものしはべるなり 世の中といふもの さのみこそ 今も昔も 定まりたることはべらね 中についても 女の宿世は浮かびたるなむ あはれにはべる など聞こえさす 伊予介は かしづくや 君と思ふらむな いかがは 私の主とこそは思ひてはべるめるを 好き好きしきことと なにがしよりはじめて うけひきはべらずなむ と申す さりとも まうとたちのつきづきしく今めきたらむに おろしたてむやは かの介は いとよしありて気色ばめるをや など 物語したまひて いづかたにぞ 皆 下屋におろしはべりぬるを えやまかりおりあへざらむ と聞こゆ 酔ひすすみて 皆人びと簀子に臥しつつ 静まりぬ

02123/難易度:☆☆☆

あはれ/の/こと/や この/あねぎみ/や まうと/の/のち/の/おや さ/なむ/はべる と/まうす/に にげなき/おや/を/も まうけ/たり/ける/かな うへ/に/も/きこしめし/おき/て みやづかへ/に/いだしたて/む/と/もらし/そうせ/し いか/に/なり/に/けむ/と いつぞや/のたまはせ/し よ/こそ/さだめ/なき/もの/なれ/と いと/およすけ/のたまふ ふい/に かくて/ものし/はべる/なり よのなか/と/いふ/もの さ/のみ/こそ いま/も/むかし/も さだまり/たる/こと/はべら/ね なか/に/つい/て/も をむな/の/すくせ/は/うかび/たる/なむ あはれ/に/はべる など/きこエ/さす いよ-の-すけ/は かしづく/や きみ/と/おもふ/らむ/な いかが/は わたくし/の/しゆう/と/こそ/は/おもひ/て/はべる/める/を すきずきしき/こと/と なにがし/より/はじめ/て うけひき/はべら/ず/なむ と/まうす さりとも まうと-たち/の/つきづきしく/いまめき/たら/む/に おろし/たて/む/や/は かの/すけ/は いと/よし/あり/て/けしきばめ/る/を/や など ものがたり/し/たまひ/て いづかた/に/ぞ みな しもや/に/おろし/はべり/ぬる/を え/や/まかり/おり/あへ/ざら/む と/きこゆ ゑひ/すすみ/て みな/ひとびと/すのこ/に/ふし/つつ しづまり/ぬ

「かわいそうに。この子の姉上が、そなたの後の母親なんだね」「左様ではございます」と申し上げると、「不似合いな親をももらい受けたものだな。帝もお聞きあそばされて『衛門督が宮仕えに送りだす意をそれとなく奏しておった件、いかなる仕儀となったか』といつぞや仰せになられたものだ。この世は実に定めのないものだな」と光源氏は世を諦観されたような口ぶりをなさる。「突然このようなことになったのです。男女の仲は、仰せの通り今も昔もこうと定まっていたためしがございません。別けても女の運命は浮き河竹で不憫でございます」などと申し上げる。「伊予介は大事にしているのか。主君と崇めておろうな」「どうしてどうして。うちうちの主人と奉ってはおりますようですが、あまりの熱の入れように、わたくしをはじめみな承服ならぬ次第で」と申し上げる。「といって、そなたたちのような年恰好の近い今時の若者と人交わりさせるものかね。あの介はなかなか素養もあって好色ぶりが顔にも出てるからな」などとお話になって、「いづれでお休みか」「みな下屋に下げさせたのですが、みなは下がり切らないようです」と申し上げる。酒の酔いが進んで、一行はみな濡れ縁で横になり寝静まった。

あはれのことや この姉君や まうとの後の親 さなむはべる と申すに 似げなき親をも まうけたりけるかな 主上にも聞こし召しおきて 宮仕へに出だし立てむと漏らし奏せし いかになりにけむと いつぞやのたまはせし 世こそ定めなきものなれ と いとおよすけのたまふ 不意に かくてものしはべるなり 世の中といふもの さのみこそ 今も昔も 定まりたることはべらね 中についても 女の宿世は浮かびたるなむ あはれにはべる など聞こえさす 伊予介は かしづくや 君と思ふらむな いかがは 私の主とこそは思ひてはべるめるを 好き好きしきことと なにがしよりはじめて うけひきはべらずなむ と申す さりとも まうとたちのつきづきしく今めきたらむに おろしたてむやは かの介は いとよしありて気色ばめるをや など 物語したまひて いづかたにぞ 皆 下屋におろしはべりぬるを えやまかりおりあへざらむ と聞こゆ 酔ひすすみて 皆人びと簀子に臥しつつ 静まりぬ

大構造と係り受け

◇ 「まうとたちのつきづきしく今めきたらむ/AのB連体形)→「に」

古語探訪

あはれのことや 02123

空蝉、小君に対する光源氏の同情表現。

まうと 02123

二人称、そなた。紀伊守を指す。

さなむはべる 02123

そうです。この「なむ」の強調に、どこか心理的にストレートでない感じがする。

似げなき親 02123

この場合、自分と年齢が変わらない、年の合わない親であると同時に、身分違いの親。勝ち得ようが、自分は(光源氏)それでは窮屈だ。

をも 02123

紀伊守にとって父親は身分も年齢も相応だが、母親は「似げなき」。

主上 02123

帝。

聞こし召し 02123

聞くの尊敬語。

出だし立てむ 02123

故衛門督が娘である空蝉を後宮に立てようとしたこと。子。元来が(相手になびく)。

漏らし奏せし 02123

正式な手続きに入る前に、漠然と宮仕えの意向があることを帝の耳に入れ、お伺いを立てた。

いかになりにけむ 02123

故衛門督の娘の宮仕えの件は、どうなったのか。

世こそ定めなきものなれ 02123

空蝉自身が帝の正妻になりたいと思い上がっていたのだから、衛門督が生きていれば、空蝉は宮仕えをしていたろう。父の死により貴族でもない伊予介の妻に納まったことに対する感慨である。光源氏の場合も、祖母は反対の立場であったが、祖父の意思を継いで娘桐壺を宮仕えに出した経緯が思い起こされる。母が宮仕えに出なかったら、光自身この世に存在しない。この世の定めなさを深く感じ取っていたろう。光源氏に備わった生来の無常感を読み落とすと、幼い頃から世の無常を感じてきたという晩年の感慨が理解できないばかりか、光源氏の一生は単なる好色家に堕してしまう。刹那的な快楽にふけることと、出家を真摯に考えることは矛盾しない。それらは無常観から生じる表裏一体の行動である。しかし、一方で果たして衛門督が生きていれば娘を本当に後宮に入れたかどうかは慎重に検討する必要があろう。後に見るように藤壺の母は桐壺更衣の変死を例に出し、娘の宮仕えを拒否した事実がある。最愛の女性を失い悲嘆に暮れている帝を慰めようとに何人かの女性が後宮に入ったことが後に語られるが、まったくこれらの女性は顧みられることがなかったのであり、空蝉もまたそうなる危険性が高かったであろう。桐壺が宮仕えに出たことで得た幸(光源氏の誕生)と不幸(頓死)と、空蝉が宮仕えに出なかったことから得た幸(光源氏との出会い)不幸(伊予介の後妻)が、光源氏を通して闡明になるところに桐壺の帖に続くこの帖の肝所がある。いわば桐壺更衣の陰の部分を引き継いだのが空蝉であり、陽の部分を引き継いだのが藤壺である。互いに補完し合う関係にあるのだ。藤壺は帝の妃であり、光源氏は無理に肉体関係を結ぶが、それを直接描くことはできない。空蝉を藤壺の補完として設定することで、その情事を描いていると見ることもできる。物語の冒頭、時代設定を実時間から切り離すことで帝を批判する視点を手に入れたことと、補完者を設定することで直接描けないことを間接に描写する等価処理を編み出したことは、源氏物語が勝ち得た二大創造であり、これまでにない二つの次元が加わることで、作り物(フィクション)の世界が完成されたのである。)となる。

いとおよすけのたまふ 02123

大人ぶった話しぶりをする、ではない。世の中を諦観したような老成を意味する。

不意に 02123

何の前触れもなく。とつぜん。

かくてものしはべる 02123

このように。父である衛門督が亡くなり、帝の後宮にあがる予定から、伊予介の後妻に転じたこと。

世の中 02123

人の世。世間。特に男女の関係。

さのみこそ 02123

そのようである。おっしゃる通りである。

定まり 02123

特に男女の婚姻相手。

中についても 02123

就中(なかんずく)という漢語から。中でも、とりわけ。

宿世 02123

前世にもとづくこの世の因縁。

浮かびたる 02123

水に浮かんだ状態のように不安定である。

あはれ 02123

気持ちが強く揺さぶられる思い。この場合は同情心や哀れみ。

聞こえさす 02123

言うの謙譲語。

伊予介 02123

紀伊守の父。

かしづくや 02123

本来自分より身分の高い娘である空蝉に対して大切に世話をする。

君と思ふらむな 02123

主君と思っているだろうな。「な」は終助詞で、念押し。

いかがは 02123

「いかがはかしづかむや」の略。どうしてかしづいておりましょうか。本当の意味でかしづいたりなどしておりませんという批判。

私の主 02123

世間的には夫である伊予介が主人だが、私生活では妻を主人扱いしている。おそらく、箱入り状態にして紀伊守たちとの交流を許さないのであろう。

好き好きしき 02123

私的な主人扱いが老いらくの恋といった感じで、はた目にいやらしく映るという感想。

なにがしよりはじめて 02123

私をはじめとして一同全員。

うけひき 02123

すすんで賛成する。

まうとたちのつきづきしく今めきたらむに 02123

老いらくの恋に対して、年齢も近く、今風のそなたたち。

おろしたてむ 02123

身分の下の方向に下ろして、そこで人交わりをさせる。身分の低い者の仲間入りをさせる。

よしあり 02123

一般的には貴族的な教養・知性。そうしたことにもとづく考え。考えがあって。

気色ばめる 02123

本心が表面に表れていること。

いづかたにぞ 02123

空蝉の一行はどこにいるのか。

下屋 02123

寝殿造りの背後に立てた雑舎。身分の低い者が住んだり、浴室などがあった。

あへざらむ 02123

すっかり仕切らない。何人かあぶれていることを言う。空蝉は父が大切にしている愛妻だから、もちろん下屋に置くはずがなく、当然母屋の西側にいることは知れたことだが、ここでの紀伊守の発言は、裏を返せば、母屋の西側は人少なであることを知らせているとも考え得る。

皆人びと 02123

光源氏の一行はみな。敬語が使用されていないことから、光源氏のみは簀子以外で寝をとったと考えられているが、そうではない。人々は酔って早々と簀子で寝静まったが、光源氏だけは簀子で寝をとりながらも寝付けず闇の中に取り残されるのである。次文以降でそこにスポットが当たる。目の前に北の障子を配置させ、空蝉を対峙させることで一気に緊張感が高まるのだ。

簀子 02123

寝殿で廂のまわりをぐるりと囲む濡れ縁。

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