さてその文の言葉は 帚木09章03
- 1. 原文 読み 意味
- 1.1. 大構造と係り受け
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1.1.1. さてその文の言葉は 02110
- 1.1.1.2. いさや 02110
- 1.1.1.3. ことなることもなかりきや 02110
- 1.1.1.4. 山がつの垣ほ荒るとも 02110
- 1.1.1.5. 折々に 02110
- 1.1.1.6. あはれはかけよ撫子の露 02110
- 1.1.1.7. 例のうらもなき 02110
- 1.1.1.8. ものから 02110
- 1.1.1.9. 虫の音に競へる 02110
- 1.1.1.10. 昔物語めきて 02110
- 1.1.1.11. 咲きまじる 02110
- 1.1.1.12. 色はいづれと分かねども 02110
- 1.1.1.13. なほ常夏に 02110
- 1.1.1.14. しくものぞなき 02110
- 1.1.1.15. 大和撫子をばさしおきて 02110
- 1.1.1.16. まづ塵をだに 02110
- 1.1.1.17. 親の心をとる 02110
- 1.1.1.18. うち払ふ 02110
- 1.1.1.19. 袖も露けき 02110
- 1.1.1.20. あらし吹きそふ 02110
- 1.1.1.21. 秋も来にけり 02110
- 1.1.1.22. はかなげ 02110
- 1.1.1.23. まめまめしく 02110
- 1.1.1.24. 恥づかしく 02110
- 1.1.1.25. つらきをも思ひ知りけり 02110
- 1.1.1.26. わりなく苦しきものと思ひたりしかば 02110
- 1.1.1.27. 心やすく 02110
- 1.1.1.28. とだえ置き 02110
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1. 大構造と係り受け
原文 読み 意味
さて その文の言葉は と問ひたまへば いさや ことなることもなかりきや
山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露
思ひ出でしままにまかりたりしかば 例のうらもなきものから いと物思ひ顔にて 荒れたる家の露しげきを眺めて 虫の音に競へるけしき 昔物語めきておぼえはべりし
咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき
大和撫子をばさしおきて まづ塵をだになど 親の心をとる
うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり
とはかなげに言ひなして まめまめしく恨みたるさまも見えず 涙をもらし落としても いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して つらきをも思ひ知りけりと見えむは わりなく苦しきものと思ひたりしかば 心やすくて またとだえ置きはべりしほどに 跡もなくこそかき消ちて失せにしか
02110/難易度:★☆☆
さて その/ふみ/の/ことば/は と/とひ/たまへ/ば いさや こと/なる/こと/も/なかり/き/や
やまがつ/の/かきほ/ある/とも/をりをり/に/あはれ/は/かけ/よ/なでしこ/の/つゆ
おもひ/いで/し/まま/に/まかり/たり/しか/ば れい/の/うら/も/なき/ものから いと/もの-おもひ/がほ/にて あれ/たる/いへ/の/つゆ/しげき/を/ながめ/て むし/の/ね/に/きほへ/る/けしき むかしものがたり/めき/て/おぼエ/はべり/し
さき/まじる/いろ/は/いづれ/と/わか/ね/ども/なほ/とこなつ/に/しく/もの/ぞ/なき
やまとなでしこ/を/ば/さし-おき/て まづ/ちり/を/だに/など おや/の/こころ/を/とる
うち-はらふ/そで/も/つゆけき/とこなつ/に/あらし/ふき/そふ/あき/も/き/に/けり
と/はかなげ/に/いひ-なし/て まめまめしく/うらみ/たる/さま/も/みエ/ず なみだ/を/もらし/おとし/て/も いと/はづかしく/つつましげ/に/まぎらはし/かくし/て つらき/を/も/おもひ/しり/けり/と/みエ/む/は わりなく/くるしき/もの/と/おもひ/たり/しか/ば こころやすく/て また/とだエ/おき/はべり/し/ほど/に あと/も/なく/こそ/かき-けち/て/うせ/に/しか
「それで、その手紙の中身は」と光の君がお問いになったところ、「いえ、これと言って変わった内容でもありませんでしたよ。
《山がつの垣は手つかず荒れるとも 折りあるごとに愛情をそそいでくださいな あなたが撫でてかわいがってくださらないから 撫子は露にまみれて泣きじゃくっていますよ》
思い出すまますぐに出かけて行きましたところ、これまで通りわたしに対してはわだかまりのない様子でしたが、それでもひどく憂いに沈んだまま荒れた家の露にそぼ濡れた庭を眺め、虫の音と競うように泣いている姿は昔の物語めいた感じに思えました。
《咲き混じれば大和撫子も唐撫子も美しさこそいずれを甲乙つきかねますが やはりわたしには常夏の花が一番です 子は頭を撫でただけですが あなたは床で撫であった仲なのですから》
大和撫子のことは二の次にして、これからは何はさておき寝床に塵さえつかぬよう頻繁に通うことにしょうなどと親の本心を汲み取る。
《床の塵を払い人待ちしてさえ訪れなく袖も涙で濡れています 伴寝する喜びを知った常夏の花なのに 本妻からは脅され激しい嵐まで吹き加わって いよいよ秋が到来し あなたが飽きて去って行く季節ですね》
とはかなげな調子で言いなし、本気で恨んでいる様子も見受けられず、つい涙をこぼしてもたいそう気まり悪げにつつましく包み隠してしまうし、辛い思いをしているように見られてはやり切れないほど苦しいと考えているようなので、気を許してまたぞろ足が遠のいてしまいましたそのうちに、跡形なく姿をくらませてしまったのです。
大構造と係り受け
さて その文の言葉は と問ひたまへば いさや ことなることもなかりきや
山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露
思ひ出でしままにまかりたりしかば 例のうらもなきものから いと物思ひ顔にて 荒れたる家の露しげきを眺めて 虫の音に競へるけしき 昔物語めきておぼえはべりし
咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき
大和撫子をばさしおきて まづ塵をだになど 親の心をとる
うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり
とはかなげに言ひなして まめまめしく恨みたるさまも見えず 涙をもらし落としても いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して つらきをも思ひ知りけりと見えむは わりなく苦しきものと思ひたりしかば 心やすくて またとだえ置きはべりしほどに 跡もなくこそかき消ちて失せにしか
◇ 「恨みたるさまも見えず」→「涙を…落としても…隠して」→「つらきをも…思ひたりしか/さまも、落としても、つらきをも:「も」の相関関係)
古語探訪
さてその文の言葉は 02110
「撫子の花を折りておこせたりし/02109」を受け、それでその手紙の言葉は。
いさや 02110
(否や、不知や)否定の言葉。言葉をにごす感じ。さあ、どうだか。左馬頭の紹介した指を喰う女や木枯の女に比べ、歌の詠みぶりが生で、洗練さを欠いており、紹介するのがためらわれるものであった。
ことなることもなかりきや 02110
特別、異例。「や」は、詠嘆。特別なことはありませんでした。「さばかりになればうち頼めるけしきも見えき/02108」頭中将の中では、特別な関係であるのに、女からはその様子が見えない。その心的ギャップが「や」に籠められている。
山がつの垣ほ荒るとも 02110
「やまがつ」は女が自分を卑下して言った言葉とされるが、女が自分に見立てたのは「やまがつ」ではなく「垣ほ」である。娘である撫子が咲き出すの場所であるから、比喩として意味をなす。都会的洗練に欠けたやまが育ちのわたしである垣ほが「荒る」とは、手つかずのまま放置され経年変化した状態であるが、これは男に見放された状態を意味する。そう考えると、「垣ほ」は女性器を暗示し、この女の娼婦性を示す言葉である。「とも」は仮定。私のことはほったらかしでも。
折々に 02110
時折ではない。一年には様々な年中行事があり、また、男の子であれ女の子であれ成長過程にはいろいろの行事がある。それらを具体的に思い浮かべた表現。
あはれはかけよ撫子の露 02110
「あはれ」は愛情。「撫子」は「撫でし子」、すなわち、花の名前と、頭中将が撫でてかわいがった子供のことをかける。「露」は「かける」対照である愛情の露と解釈される向きもあるが、歌で「露」とあれば泣き濡れること。あなたが撫でてかわいがってくれないから、撫子が泣き濡れ露にまみれていますという意味。「撫子の露にまみえし」などの省略で、そう考えると歌というより今様に近似し、やはり遊び女、傀儡師など回遊性の娼婦めく。なお露の多さは、「荒れたる家の露しげき」と具体的に描写される。
例のうらもなき 02110
頭中将の妻からの嫌がらせを受けたり、男が久しく通ってこなくても、恨みに思うことなく、心に裏がなく、こだわりやわだかまりのない状態。「恨めしと思ふこともあらむと心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを見知らぬやうにて久しきとだえをもかうたまさかなる人とも思ひたらず/02108」
ものから 02110
そういう状態でありながら。「もの」は形式名詞だが、「もの」の動かなさを持ちつつも。
虫の音に競へる 02110
女が泣き声を虫の鳴き音と競っている。
昔物語めきて 02110
頭中将が本気で愛情をもっていれば、こうした距離をおいた感想は取れないであろう。心理的距離は頭中将の方にもあるのだ。
咲きまじる 02110
子である大和撫子と、親である常夏(唐撫子)が入り乱れて咲く。
色はいづれと分かねども 02110
女が今の状況を、泣き濡れる、はかないなど「露」のイメージに象徴化したのを受けて、露によって花の色が美しさを増すという「露」のもつプラスイメージから「色」に置き換え、自分をひきつける魅力は親子どちらとも区別がつかないけれど。
なほ常夏に 02110
「常夏」は唐撫子、石竹。「とこ」は「常」と「床」、「なつ」は「夏」と「撫づ」をかける。女が「垣ほ」で暗示した女性器を、「床」で置き換える。頭を撫でた子も可愛いが、やはり乳繰り合ったおまえが愛しいというセクシャルな返歌。
しくものぞなき 02110
これ以上のものはないという漢文表現。「しく」は漢文表現「如く」と「敷く」をかける。「床」と「敷く」は縁語。女が、自分はともかく子供に愛情を注いでやってほしいと詠んできた歌を受け、そうは言ってもやはり親であるあなたが一番なのだ、子供は頭を撫でてやったが、あなたとは床でむつみ合った仲なのだからという意味。撫子と床撫づ(常夏)でどちらにも「撫づ」が使われているのがポイント。歌は雅と決めつけるのは王朝文化が途絶えた後のこと、平安文学にはかなり際どい表現が見られ、ことに源氏物語はそうした卑俗性に支えられている面があり、見落とされがちである。
大和撫子をばさしおきて 02110
「あはれはかけよ撫子の露」と詠んできた女の歌意を脇に置いて後回しにする。
まづ塵をだに 02110
今後は何をおいても、通いつめ、夜がれで淋しい思いをさせないの意味。「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花/古今和歌集・夏・凡河内躬恒)を下に敷く。毎晩床入りすれば塵が積もるようなことはない。
親の心をとる 02110
機嫌をとるのではなく、親である女の気持ちを優先する。母親も子供はだしに使ったのであり、本心は会いたい、抱いてほしいということだから、その気持ちをくみ取ったとの意味。
うち払ふ 02110
夜がれでつもった塵を床から払いのける。
袖も露けき 02110
独り寝のさみしさに泣き濡れて袖が濡れている。ふたたび女は「露」のマイナスイメージに話題を戻す。
あらし吹きそふ 02110
頭中将は後で知ることになるが、本妻が女に対してひどいことを言っていたことがすでに語られている。「この見たまふるわたりより情けなくうたてあることをなむさるたよりありてかすめ言はせたりける/02109」。涙の露ばかり嵐まで吹き付け。
秋も来にけり 02110
上に嵐は台風か。あらしの後には秋が訪れ、男が去って行く。「あき」は「秋」と「飽き」をかける。
はかなげ 02110
「あらし吹きそふ」は、つらさが増すことの和歌的表現としか、この時の頭中将は理解しようがない。頭中将の本妻が怒って恨みごとを言ってきたことの比喩とわかるのは後のこと。この点を指して「はかなげ」とした。「はかなげ」とは、はっきりと内容がつかめないことをいう。
まめまめしく 02110
生真面目に、本気で。
恥づかしく 02110
気が引ける。
つらきをも思ひ知りけり 02110
「つらき」は浮気など夫の薄情さに対する苦しみ。「思ひ知り」はしみじみと実感する。「けり」は詠嘆で、そういう経験をしたのだと強く感じること。
わりなく苦しきものと思ひたりしかば 02110
「わりなく」は打開策がなく苦しむ状態。それほどまでにつらいと思っていたのでの意味。後に、そうは見せず等が省略されている。
心やすく 02110
安心して、気楽に思って。
とだえ置き 02110
女のもとに通うのをやめる、間があく。