中将なにがしは痴者 帚木09章01

2021-03-29

原文 読み 意味

中将 なにがしは痴者の物語をせむ とて いと忍びて見そめたりし人のさても見つべかりしけはひなりしかば ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど 馴れゆくままにあはれとおぼえしかば 絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを さばかりになれば うち頼めるけしきも見えき 頼むにつけては 恨めしと思ふこともあらむと 心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを 見知らぬやうにて 久しきとだえをも かうたまさかなる人とも思ひたらず ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて心苦しかりしかば 頼めわたることなどもありきかし 親もなくいと心細げにて さらばこの人こそはと 事にふれて思へるさまもらうたげなりき

02108/難易度:☆☆☆

ちゆうじやう なにがし/は/しれもの/の/ものがたり/せ/む/とて いと/しのび/て/みそめ/たり/し/ひと/の さても/み/つ/べかり/し/けはひ/なり/しか/ば ながらふ/べき/もの/と/しも/おもひ/たまへ/ざり/しか/ど なれ/ゆく/まま/に/あはれ/と/おぼエ/しか/ば たエだエ/わすれ/ぬ/もの/に/おもひ/たまへ/し/を さばかり/に/なれ/ば うち-たのめ/る/けしき/も/みエ/き たのむ/に/つけ/て/は うらめし/と/おもふ/こと/も/あら/む/と こころ/ながら/おぼゆる/をりをり/も/はべり/し/を みしら/ぬ/やう/にて ひさしき/とだエ/を/も かう/たまさか/なる/ひと/と/も/おもひ/たら/ず ただ/あさゆふ/に/もて-つけ/たら/む/ありさま/に/みエ/て こころぐるしかり/しか/ば たのめ/わたる/こと/など/も/あり/き/かし おや/も/なくいと/こころぼそげ/に/て さらば/この/ひと/こそ/は/と こと/に/ふれ/て/おもへ/る/さま/も/らうたげ/なり/き

頭中将は、「わたくしは愚か者の話をしましょう」と前置きして、「たいそう人目を忍んでいい仲になった女が、秘密裏のままのつき合ってゆけそうな感じでしたので、長続きしそうな関係とも思っておりませんでしたが、馴れゆくうちにはいとしく思えてきて、途絶えがちながら忘れられない存在になっていたのですが。それほどの仲になってみますと、少しは夫としての信用を勝ち得たようにも見えました。頼むとなれば恨めしいと思うこともあろうと一人推量される折々もあったのですが、気にも留めておらぬふうで、久しく通いが途絶えてもこんなにも足が遠いかとなじる様子もなく、ただ朝夕の仕度に専念しようとしている様子が見て取れいじらしく思われたので、いつまでも頼りにするよう幾度となく言って聞かせたりなどもしました。親もなくとても心細い様子で、それだけにこの人だけが頼みだとことあるごとに思っているようなのも可愛らしい感じでした。

大構造と係り受け

中将 なにがしは痴者の物語をせむ とて いと忍びて見そめたりし人のさても見つべかりしけはひなりしかば ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど 馴れゆくままにあはれとおぼえしかば 絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを さばかりになれば うち頼めるけしきも見えき 頼むにつけては 恨めしと思ふこともあらむと 心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを 見知らぬやうにて 久しきとだえをも かうたまさかなる人とも思ひたらず ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて心苦しかりしかば 頼めわたることなどもありきかし 親もなくいと心細げにて さらばこの人こそはと 事にふれて思へるさまもらうたげなりき

◇ 「見そめたりし人のさても見つべかりし/AのB連体形:「の」は主格)→「けはひ」

◇ 「さばかりになれば、うち頼めるけしきも見えき」「頼むにつけては、恨めしと思ふこともあらむ/対表現)→「と」→「おぼゆる」 
◇ 「恨めしと思ふこともあらむと…をりをりもはべりしを」→「見知らぬやうに」

◇ 「この人こそはと」→「思へる」

古語探訪

なにがし 02108

自称。

痴者の物語 02108

痴者は判断力の乏しい者。この痴者は女であるとの説と、中将であるとの説がある。「つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば心やすくてまたとだえ置きはべりしほどに跡もなくこそかき消ちて失せにしか/02110」とあり、女が努めてつらい様子を夫に見せないようにしていたのに、それを理解せず、安心してしばらく通うのをやめたことが、女が失踪した直接原因であった。その点から考え、痴者は頭中将自身であろう。吉祥天女に思いをかけようとしたとしても、抹香臭く人間離れしている点で、やはり気萎えしてしまうことでしょうね、言って光の君以外はみな笑った。

さても見つべかりし 02108

そのような状態、すなわちいと忍んだ状態のまま。

ながらふ 02108

長続き。

絶え絶え 02108

途切れ途切れに。始終忘れられないのではなく、忘れられない状態が時折あったということ。

忘れぬもの 02108

「もの」は、軽蔑の対象でなく、確たる存在、不動の存在のニュアンスを帯びる。

思ひたまへしを 02108

後ろにかかる語句がないので文を切る。「を」は詠嘆を表す間助詞。

さばかりになれば 02108

忘れられぬ存在になれば。

うち頼める 02108

「うち」はすっかりの意味と、とっさにすこしばかりの意味がある。後に「頼めわたる」とあるので、すっかりではない。「頼む」はマ行四段活用の自動詞用法(こちらが相手を頼りとする)、マ行下二段活用の他動詞用法(相手がこちらを頼りとするようにさせる、使役用法)がある。ここは他動詞で、常夏が頭中将を頼りにするようにしむけることに少しは成功したとの意味。

見え 02108

女が…と見える。受け身用法。

頼む 02108

自動詞用法。女が頭中将を頼りにする。

恨めし 02108

頭中将の浮気したり、通いが途絶えることから生じる嫉妬。

心ながら 02137

我ながら。自分のことながら。

たまさかなる人 02108

めったに現れない人の意味だが、そこには夫として信頼できない、愛情の薄いなどの気持ちがこもる。

もてつく 02108

無理に繕う。

心苦し 02108

相手に申し訳ないという気持ち。

頼めわたる 02108

(動詞の連用形+「わたる」)は、繰り返し…する、長期にわたって…する。「頼め」は他動詞。自分を頼るように何度もすすめる。生涯面倒を見ることをほのめかす。

心細げ 02108

頼る親族がなく、将来不安を抱えている状態。

さらば 02108

「親もなくいと心細げ」ならば。

この人こそは 02108

頭中将こそは頼みの夫である。

思へるさまも 02108

ここの「も」は、「うち頼めるけしきも見えき」の「も」を受ける。

らうたげなり 02108

かわいらしい。

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