もとよりさる心を交 帚木08章03
- 1. 原文 読み 意味
- 1.1. 大構造と係り受け
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1.1.1. もとよりさる心をかはせるにやりありけむ 02105
- 1.1.1.2. すずろき 02105
- 1.1.1.3. 廊 02105
- 1.1.1.4. 簀子 02105
- 1.1.1.5. とばかり 02105
- 1.1.1.6. うつろひ 02105
- 1.1.1.7. あはれ 02105
- 1.1.1.8. げに 02105
- 1.1.1.9. 蔭もよし 02105
- 1.1.1.10. つづしり謡ふ 02105
- 1.1.1.11. うるはしく 02105
- 1.1.1.12. 律 02105
- 1.1.1.13. 折つきなからず 02105
- 1.1.1.14. 歩み来て 02105
- 1.1.1.15. 庭の紅葉こそ踏み分けたる跡もなけれ 02105
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1. 大構造と係り受け
原文 読み 意味
もとよりさる心を交はせるにやありけむ この男いたくすずろきて 門近き廊の簀子だつものに尻かけて とばかり月を見る 菊いとおもしろく移ろひわたり 風に競へる紅葉の乱れなど あはれと げに見えたり 懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし 蔭もよしなどつづしり謡ふほどに よく鳴る和琴を 調べととのへたりける うるはしく掻き合はせたりしほど けしうはあらずかし 律の調べは 女のものやはらかに掻き鳴らして 簾の内より聞こえたるも 今めきたる物の声なれば 清く澄める月に折つきなからず 男いたくめでて 簾のもとに歩み来て 庭の紅葉こそ 踏み分けたる跡もなけれなどねたます
02105/難易度:★★☆
もとより/さる/こころ/を/かはせ/る/に/や/あり/けむ この/をとこ/いたく/すずろき/て かど/ちかき/らう/の/すのこ-だつ/もの/に/しり/かけ/て とばかり/つき/を/みる きく/いと/おもしろく/うつろひ/わたり かぜ/に/きほへ/る/もみぢ/の/みだれ/など あはれ/と げに/みエ/たり ふところ/なり/ける/ふえ/とり/いで/て/ふき/ならし かげ/も/よし/など/つづしり/うたふ/ほど/に よく/なる/わごん/を しらべ/ととのへ/たり/ける うるはしく/かき-あはせ/たり/し/ほど けしう/は/あら/ず/かし りち/の/しらべ/は をむな/の/もの-やはらか/に/かき-ならし/て す/の/うち/より/きこエ/たる/も いまめき/たる/もの/の/こゑ/なれ/ば きよく/すめ/る/つき/に/をり/つきなから/ず をとこ/いたく/めで/て す/の/もと/に/あゆみ/き/て には/の/もみぢ/こそ ふみ-わけ/たる/あと/も/なけれ/など/ねたま/す
あらかじめ示し合せておいたのでしょう、その男がひどく浮き浮きして、中門近くの廊の濡れ縁みたいなところへ尻をかけしばし月を眺めております。菊の花が霜にあたり趣き深い色に咲きひろがり、風と競って舞い散る紅葉の狼藉などああいいなと本当に心に沁みました。男は懐に入れておいた笛を取り出して吹き鳴らし「月影もよし」と、宿決めの歌を笛の合間合間に少しずつ歌ううちに、調べよき和琴をあらかじめ調子をあわせておいたと見え、男に合わせて合奏したその様は悪いものではありませんでした。律の調べは、女がやさしく演奏して簾の内から漏れてくるというのも、今風の音色に感じられるので清く澄んだその夜の月の光りに頃合いの風情でありました。男はたいそう感心して簾近くに歩み寄り、「庭の紅葉こそ男の通った跡もないがあなたどうかな」などと嫉妬心を掻きたてる。
大構造と係り受け
もとよりさる心を交はせるにやありけむ この男いたくすずろきて 門近き廊の簀子だつものに尻かけて とばかり月を見る 菊いとおもしろく移ろひわたり 風に競へる紅葉の乱れなど あはれと げに見えたり 懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし 蔭もよしなどつづしり謡ふほどに よく鳴る和琴を 調べととのへたりける うるはしく掻き合はせたりしほど けしうはあらずかし 律の調べは 女のものやはらかに掻き鳴らして 簾の内より聞こえたるも 今めきたる物の声なれば 清く澄める月に折つきなからず 男いたくめでて 簾のもとに歩み来て 庭の紅葉こそ 踏み分けたる跡もなけれなどねたます
◇「和琴を調べととのへたりける」:挿入句(「AのB連体形」の変形で「AをB連体形」。AとBは同格)
古語探訪
もとよりさる心をかはせるにやりありけむ 02105
「さる」は受けるものが不明であることを示す。とある。前もって女と何かたくらみはかっていたのだろうかの意味。解釈として大切なのは、なぜそのように左馬頭が感じたのか考えること。左馬頭としては、自分の妻を紹介する意図をもって、上人を案内する気でいたのに、勝手にふらふら門の方へ行って月を見ている様子に対して妙なことをすると不審に思ったに違いない。上人の前言「今宵人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しき」を思い起こすなら、さきほど耳にした時は、自分に対して人待ちをしていると思ったが、さながら上人こそが待たれている感じがしたであろう。しかし、あまりに突飛な行動のため、男がとっている行動の意味を理解するには至ってはいない。そのことが「さる心」の「さる」にあらわれている。
なお、このあたり、現代小説ならもう少し描き込むことが求められよう。上人が変な振る舞いに出たら制止するのが普通であり、この後もただただ騙されているのは不自然に感じてしまう。しかし、当時の貴族意識ならあまりに当然のことであり、わざわざ描く必要を感じない雑事に左馬頭は手が塞がっていて、制止しようにもできなかったのである。現時点では上人の行動が理解できずいぶかしく思う程度だは思うが、最初の一歩が出遅れたがために受け身にまわってしまい、あれよあれよと夫の座から寝取られる男に転落してしまったのである。では、その出遅れる原因となった雑事とは何か。これを想像で埋めることが求められている。
「ある上人来あひてこの車にあひ乗りてはべれば大納言の家にまかり泊まらむとする/02104」とあった。この箇所を聞いただけで光源氏たちは、急遽大納言宅に泊まることにしたのだから、先駆けを走らせるなど、さぞ大変だったであろうと想像したであろうし、急にまた牛車から降りたりしたら、随身などに状況を説明し、社会的にも認められるような行動変更の理由をねつ造し(女の家に泊まるからでは許されないだろう)、手紙にしたためなどして伝令を走らせる必要があったのだ。もちろん、妻の家に行くのでも、自分を迎える準備をさせるために、随身を走らせるなど、ここに描かれていない差配を左馬頭は行っているのである。そんなことに時間をとられている間に、上人は左馬頭の案内を待たず、ふらふら歩き出してしまったのである。こうした状況はわざわざ説明しなくても、光源氏にしても頭中将にしても十分理解したのだ。上人はうまくやったものだと関心すらしたであろう。女と念入りに立てた計画なのである。
繰り返すが、この時点では、様子がおかしいことには気づいたが、深くは疑っていない。「忍びて心交はせる人ぞありけらし/02103」とあった。「心交はす」は交情する。浮気をするの意味であり、それは結果を知っているから出た言葉である。
すずろき 02105
落ち着かず、気もそぞろになって。
廊 02105
建物と建物をつなぐ屋根付きの渡り廊下。
簀子 02105
濡れ縁。雨に濡れてもよいように板と板の間をあけてある。廊は屋根が付いているので、女のいる建物の屋根に見立てて、その濡れ縁に腰掛けている気分になっている。これも女と謀議して立てた演出であろう。
とばかり 02105
しばらくの間。
うつろひ 02105
菊が夜露を受けて色を増し、朝方には霜となって色変わりするのを楽しむ。
あはれ 02105
風情がある。「月のおもしろかりし夜/02104」に菊と紅葉が美しく映えているので。以下でもそうだが、上人と妻との関係を嫉妬しながらも、音楽や景色の美しさには感動するところが、左馬頭の個性である。ただし、この時点ではまだ妻の浮気を理解していないであろう。
げに 02105
実際に、本当に。
蔭もよし 02105
催馬楽の曲「飛鳥井」の一節「飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 蔭もよし…」。ここに泊まれたらいいなとの含意。これで嫉妬しないのだから、左馬頭はもともと嫉妬することがないのかもしれない。自分に嫉妬心がないから指を喰う女の嫉妬心も理解できなかったのかも知れない。
つづしり謡ふ 02105
笛の合間合間に少しずつ歌う。
うるはしく 02105
笛の音にきちんと合わせる。
律 02105
「蔭もよし」の曲の調子。日本古来の曲で軽快な音楽とされている。
折つきなからず 02105
その折りにあった、ふさわしい。
歩み来て 02105
上人が女のいる簾の近くに歩み寄ること。「来る」はその対象が自分の側に近づく場合の使用が多いが、自分の側から遠のき念頭物に近づいてゆく場合も使われるので、必ずしも左馬頭が女の近くにいる必要はない。左馬頭の意識の岐点が、自分から女に移ったと読んでおく。ここからも、左馬頭の動揺が読み取れる。
庭の紅葉こそ踏み分けたる跡もなけれ 02105
女が人待ちをしていて、通ってくる男がいないのをからかうと解釈されている。しかし、この解釈では「こそ……已然形」にした意味がなくなる。庭の紅葉こそは踏み分けられていないが、は踏み分けられた跡がありますねとの意味。もちろん、あなたの妻の体は私(上人)によって踏み分けられていて、その証拠もあるんだと、左馬頭に聞かせているのである。誰も通って来ないでは、左馬頭を「ねたます」ことにならない。ここで左馬頭は夫から、寝取られた男に突き落とされる。上人は左馬頭に対しては勝利宣言をし、女に対しては征服宣言したのである。