02帚木14 空蝉との一夜明け

2020-05-23

帚木 原文 02-277/02-294

277鳥も鳴きぬ 人びと起き出でて いといぎたなかりける夜かな 御車ひき出でよなど言ふなり 278守も出で来て 女などの御方違へこそ。夜深く急がせたまふべきかはなど言ふもあり 279君は またかやうのついであらむこともいとかたく さしはへてはいかでか 御文なども通はむことのいとわりなきを思すに いと胸いたし 280奥の中将も出でて いと苦しがれば 許したまひても また引きとどめたまひつつ いかでか聞こゆべき 世に知らぬ御心のつらさもあはれも 浅からぬ世の思ひ出では さまざまめづらかなるべき例かなとて うち泣きたまふ気色 いとなまめきたり 281鶏もしばしば鳴くに 心あわたたしくて つれなきを恨みも果てぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ 282女 身のありさまを思ふに いとつきなくまばゆき心地して めでたき御もてなしも何ともおぼえず 常はいとすくすくしく心づきなしと 思ひあなづる伊予の方の思ひやられて 夢にや見ゆらむと そら恐ろしくつつまし 283身の憂さを嘆くにあかで明くる夜はとり重ねてぞ音もなかれける 284ことと明くなれば 障子口まで送りたまふ 285内も外も人騒がしければ 引き立てて 別れたまふほど 心細く 隔つる関と見えたり 286御直衣など着たまひて 南の高欄にしばしうち眺めたまふ 287西面の格子そそき上げて 人びと覗くべかめる 288簀子の中のほどに立てたる小障子の上より仄かに見えたまへる御ありさまを 身にしむばかり思へる好き心どもあめり 289月は有明にて 光をさまれるものから かげけざやかに見えて なかなかをかしき曙なり 290何心なき空のけしきも ただ見る人から 艶にもすごくも見ゆるなりけり 291人知れぬ御心には いと胸いたく 言伝てやらむよすがだになきをと かへりみがちにて出でたまひぬ 292殿に帰りたまひても とみにもまどろまれたまはず 293またあひ見るべき方なきを まして かの人の思ふらむ心の中 いかならむと 心苦しく思ひやりたまふ 294すぐれたることはなけれど めやすくもてつけてもありつる中の品かな 隈なく見集めたる人の言ひしことは げにと思し合はせられけり

帚木 原文かな 02-277/02-294

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

とりもなきぬ ひとびとおきいでて いといぎたなかりけるよかな みくるまひきいでよ などいふなり かみもいできて をむななどのおほむ-かたたがへこそ よぶかくいそがせたまふべきかは などいふもあり
きみは またかやうのついであらむこともいとかたく さしはえてはいかでか おほむ-ふみなどもかよはむことのいとわりなきをおぼすに いとむねいたし おくのちうじやうもいでて いとくるしがれば ゆるしたまひても またひきとどめたまひつつ いかでか きこゆべき よにしらぬみこころのつらさも あはれも あさからぬよのおもひいでは さまざまめづらかなるべきためしかな とて うち-なきたまふけしき いとなまめきたり とりもしばしばなくに こころあわたたしくて つれなきをうらみもはてぬしののめに
とりあへぬまでおどろかすらむ をむな みのありさまをおもふに いとつきなくまばゆきここちして めでたきおほむ-もてなしも なにともおぼエず つねはいとすくすくしくこころづきなしとおもひあなづるいよのかたのおもひやられて ゆめにやみゆらむと そら-おそろしくつつまし みのうさをなげくにあかであくるよは とりかさねてぞねもなかれける こととあかくなれば さうじぐちまでおくりたまふ うちもともひとさわがしければ ひきたてて わかれたまふほど こころぼそく へだつるせきとみエたり おほむ-なほしなどきたまひて みなみのかうらんにしばしうち-ながめたまふ にしおもてのかうしそそきあげて ひとびとのぞくべかめる すのこのなかのほどにたてたるこさうじのかみよりほのかにみエたまへるおほむ-ありさまを みにしむばかりおもへるすきごころ-どもあめり つきはありあけにて ひかりをさまれるものから かげけざやかにみエて なかなかをかしきあけぼのなり なにごこころなきそらのけしきも ただみるひとから えんにもすごくもみゆるなりけり ひとしれぬみこころには いとむねいたく ことづてやらむよすがだになきをと かへりみ-がちにていでたまひぬ とのにかへりたまひても とみにもまどろまれたまはず またあひみるべきかたなきを まして かのひとのおもふらむこころのうち いかならむと こころぐるしくおもひやりたまふ すぐれたることはなけれど めやすくもてつけてもありつるなかのしなかな くまなくみあつめたるひとのいひしことは げに とおぼしあはせられけり

帚木 現代語訳 02-277/02-294

鳥も鳴いた。人々が起きだして、「ひどく寝ほうけた、夜だったな」「お車を引き出せ」などと言う声がする。紀伊守も出てきて、「女の方違えならともかく、夜の明けぬうちから急いでお帰りになるようがありましょうか」などと言う声もする。光の君は、再びこのような機会がおとずれることもまずなかろうし、まして表立って逢いになどどうして行けよう、手紙などもやりとりするのは、とてもじゃないができやしないとお思いになるにつけ、ひどく胸がふさがる。隣の奥で控えていた中将の君までが出てきて、早くととても気を揉むので、空蝉をお放しなるものの、またお引きとめになりながら、
「どうかしてお手紙を差し上げたいものですが。世に類を知らぬあなたのつれなさも、わたしのこの想いの深さ思いも、浅からず味わった昨夜の思い出の数々は、どれもこれも先ずありそうにない経験でしたね」と、急にお泣き出しになられるご様子はとてもしっとりして美しい。鳥もしきりと鳴きだすので、心せかれて、
つれなきを恨みもはてぬしののめにとりあへぬまておとろかすらむ
(あなたのつれなさにむけてまだまだ恨み言も言いたりないのに、
もはやしののめ時となって鳥たちまでが取るものも取り合えぬくらいに急き立てているようだ。女はわが身の境遇をかえりみるに、まったく釣り合わず目を合わせることもはばかれる気がして、身にあまるほどすばらしい処遇に対しても何のらの思いも浮んでこず、いつもは堅苦しく愛情を感じられずにあなどっていた伊予介のことばかりが思いやられて、このことを夢に見ているのではないかとそら恐ろしくて縮こまる。
身のうさを嘆くにあかで明くる夜はとりかさねてぞ音なかれける
(この身のつたなを嘆いても嘆いてもことたりないうちに明けてしまった夜は
わたしも鳥の鳴き声にかさねて声を立てて泣いたものです)
ことと明(あ)くなれば 障(さう)子(じ)口(ぐち)まで送(おく)りたま|ふ
家の中でも外でも人気が騒がしいので、襖を締め立ててお別れする時には、心細くて、これが歌枕にあるあの隔ての関かと悲しまれた。御直衣などをお召しになって、南に面したおばしまで、しばしぼんやりとしておられる。西側の格子をそそくさと上げて、人々がのぞいているようだ。東西をはしる縁側の中ほどに立てた低いつい立ての上からかろうじてお見受けできるお姿に、身にしむばかり思いをつのらせる多情な女房たちもいるようだ。月は有明の月で光はかそけきながら、輪郭がくっきりとあらわれて、望月よりもかえって趣き深いあけぼのである。心などない空のけしきも、ただそれを見る人の心しだいで、艶美にも凄絶にも見えるものであった。人知れぬお心のうちはとても苦しく、逢えぬばかりか言葉を伝える方途さえないとは、とふりかえりふりかえり戻ってゆかれた。二条院にお帰りになっても、すぐにはお休みにならず、ふたたび相見る手立てもないのにと悩むにもまして、あの人はどういうお気持ちですごしておいでだろうか、その心持が知りたいと、心苦しいほど空蝉のことを思いやっておいでである。群を抜くというのではないが、よくたしなみを身につけてもいた中の品だな、あらゆる女性の型を知り尽くした左馬頭が言っていたのは、まったくだなと思い合せになるのだった。

帚木 注釈 02-277/02-294

277節以降「も」を頻出させ、AもBもCもと畳み掛け、次第に朝が賑わしくなってゆく様を描写し、光は帰りを急き立てられて再び逢う手立てがないことに焦燥し、空蝉は人に見られはしないかと気を揉む。

鳥 02-277

鶏に限定する必要はない。朝に鳴く鳥すべてである。

いぎたない 02-277

寝呆けたこと。

なり 02-277

「言ふなり」の「なり」。そういう声がする。光たちの立場に身を置いている話者の耳にそれらの言葉が入ってきたこと。

守も出で来て女などの御方違へこそ夜深く急がせたまふべきかはなど言ふもあり 02-278

「守」は紀伊守。自分の寝所から、光が逗留している寝殿にやって来た。この個所、発言者を紀伊守とする説と女などとする説がある。後者の説は、「守も出て来て」を「言ふもあり」にかけられないから、「女などの」を「言ふもあり」の主語にすべきと考える。しかし、「守も出て来て」は「言ふ」にかかり、「守も……言ふ」全体に対して「もあり」が受けるのである。この「も」は従者たちの話を「言ふなり」と受けたことに対して、紀伊の守も現れ言葉を発したとの意味である。紀伊守は、源氏を引きとめようとして、方違えに来たのが女たちなら、朝早く戻らないと人に見られて困るが、女ではないのだから、そう急いで戻られることもなかろうと言ったのである。

ついで 02-279

機会。

さしはへて 02-279

わざわざその目的で何かをすること。ここでは、何かの機会でなく、空蝉に逢うのを目的で来ること。それはできる話ではないので、せめて手紙をやりとりすることを考えるが、それもむずかしいというのが、「いとわりなき」。

奥の中将 02-280

「奥」は母屋の北側と説明されているが疑問である。先に「奥の御座」という表現があった。これは空蝉の部屋である母屋の西部屋から見て、光の寝所に当てられた母屋の東部屋を指すのであった。あるいは「端つ方の御座」に対して「奥の御座」と考えてもよい。絶対的な建物の位置ではなくて、相対的な関係であり、主体のありかから見て、奥まった方と解釈するのが自然である。「暁に御迎へにものせよ」と光に言われて、中将の君は空蝉の部屋である隣部屋で控えていたのであるから、北ではなく方角からすれば西になる。もっとも、女房の身分であるから、空蝉に呼ばれない限り、独り寝する場合は、母屋でなく廂で寝るから、結果としては光のいる位置よりも建物の北側ということになる。諸注が北側とする根拠は、ここにあるのか、それとも奥と言えば建物の北側と決めてかかるのかはわからない。しかし、それは普段の場合であって、この場合は主人である空蝉が拉致されているのだ。隣とのあいを仕切る障子に張りつき、聞き耳を立て、空蝉のことを夜っぴいて心配していたはずだ。そうなると、結果としても建物の北側は間違っている。この場合の奥は意識から考えて方角では西である。

苦しがれ 02-280

光とのことが人目についてはと気が気でない。

いかでか 02-280

何とかして。

聞こゆ 02-280

この場合、直接話せないのだから、手紙で気持ちを伝えるのである。

つらさ 02-280

空蝉の薄情さ。

あはれ 02-280

空蝉への光の愛情。

めづらかなる 02-280

めったにない。

なまめき 02-280

控えめな美しさ。

とりあへぬ 02-281

「鳥」と何もとりあえずという表現をかけた。冒頭の「鳥も鳴きぬ」から「しばしば鳴く」に変化し、朝が次第に明けてゆく様子を伝える。

身のありさま 02-282

かつては宮仕えを望んでいながら地方官の後妻という今の身の上。

つきなく 02-282

光とつりあわない。

まばゆき 02-282

まともに顔をむけられない居たたまれなさ。

めでたき御もてなし 02-282

具体性に欠ける。光のような一級の貴族に言い寄られていること自体を指すのか、「おろかならず契り慰めたまふこと多かるべし/02-276」の内容を指すのか不明である(語彙的には後者が無難であるが、文脈上は距離的に後者を指すと取りづらい)。

すくすくし 02-282

気まじめ、無愛想。

心づきなし 02-282

その対象に心がつかないということで、愛情がわかない。

伊予の方 02-282

伊予介。紀伊守の父であり、空蝉の夫。

らむ 02-282

「見ゆらむ」の「らむ」は現在推量。今の今、伊予介が光との不倫を夢に見ているのではないかとの心配。夢に見るのではないかという漠たる心配でなく、現実問題として恐れているのである。

あかで 02-283

飽き足りないで。

ことと 02-284

スピード感。

障子口 02-284

空蝉の寝所である母屋の西部屋と光の寝所であり、二人が契りを交わした場所である母屋の東部屋との間をし切る襖障子である。

隔つる関 02-285

歌枕で、愛し合う男女を引き裂くものとして、和歌によく詠まれた。

高欄 02-286

欄干、おばしま。

西面の格子 02-287

寝殿の西側の格子であろう。

簀子 02-288

縁側。

ほのか 02-288

感知されている部分の少なさ(欠如)を言うというよりも、見えていない部分に対する興味が大きいこと(充実)を表す表現である。量的には少ないがプラスである。

月は有明にて 02-289」で始まる一文

この文は、当時の王朝の美意識にない紫式部独自の美意識をいわば宣言した一文として有名である。完全なるものより欠けたものへの美、いわば「みやび」に対する「わび」である。この読みはたしかに当を得ていようが、読みとして決定的に大事な視点が欠けている。先ず、整理すべきは、満月と有明の月を比較をしているのではなく、満月の夜のあけぼのと有明の月のあけぼのが比較されているのである。満月の夜の明るさを現代の感覚で理解してはいけない。その明るさでは、忍んで恋人に逢いにゆくことはためらわれたことであろう。恋人と別れである後朝の歌は、有明の月と不可分に結びついている。従って、この一文は、新しい美意識の宣言であるより、後朝の朝の感覚は特別なものであるという、実に王朝の美そのものと言えるのではないか。その特別な感覚をもって見ると、空のけしきも見る人により、艶にもすごくにも見えるのである。「何心なき空のけしきも」の一文を、後朝の朝と切り離して読んでは、まったく文脈を離れて哲学問答になる。また再び逢える恋人たちには、空のけしきが艶に映るであろうし、再び逢えぬ見こみのない恋人たちには、同じけしきがすさまじいものに映るであろう。後朝の別れという感情の振幅が、普段では意識させないものを意識させるのである。なお、艶は女房たちの意識、すごしは光の意識という読みがあるらしいが馬鹿げているにもほどがある。「艶にもすごくも」は並列の関係であって、この文ではどちらに重きもない。それを女房と光に当てはめうるのは、この場面で光と女房が対等に扱われている限りにおいてである。しかし、そんな読みが成立しないことは、明らかである。一文にしかあらわれない女房と光を対等にはおけるはずもない。女房は艶の側、光はすごしの側であるということは、結果として引き出せることであるが、「艶にもすごくも」の個所を指し、艶は女房の意識と読む読みは、本末転倒で、根本的に読みの態度が間違っている。文章構成の上で対等に扱われているのは光と空蝉である。しかし、二人をそれぞれに振り分けることは、文脈上できないのであるから、この一文は、光たちの後朝を念頭におきながらも、恋人たちの後朝一般に視点を広げていると考えるよりない。明言しないでも、光と空蝉が後者の部類に属することは知られるからだ。

かげ 02-289

月の輪郭。

なかなか 02-289

かえって。満月よりもかえって趣き深いの意味。興味を引く。

殿 02-292

自邸である二条院。次回に出る「大殿」は妻の実家である左大臣邸。そうした区別はないという意見もある。確実にここは二条院、ここは左大臣邸とわかる個所において、この区別に矛盾はなく、さらにそう読み分けたほうが、より深く理解できると思われるので、すべてにこの区別があてはまるのかは、検証してゆかねばならないが、この区別を採用してゆくつもりでいる。因みにここは、二条院とも左大臣邸とも判然としがたいが、浮気して来た朝帰りに帰る先としては、二条院である可能性が高いであろう。

方 02-293

方策、方法。

まして 02-293

逢える方法はないかと自分の欲求を満たすことを考える以上に、強引なし方で関係を結んだ人妻の空蝉のことを考えているということ。人を好きになれば、自分のことより、先ず相手のことを考えるのは自然な感情であろう。

らむ 02-293

「思ふらむ」の「らむ」は現在推量。今、どう思っているだろうか。

めやすくもてつけてもありつる 02-294

「めやすく」の原義は見た目に感じがよい、安心して見ていられるということ。「もてつく」は努力して身につける意味である。従って、「めやすく」は生まれついた顔や姿の美醜を言うのではない。努力して得られた結果、感じ良くみせるものということで、広くたしなみを言うと考えてよい。ただし、エピソード内では、逃げ惑っていただけの感じもして、そうしたたしなみを示す場面はあったようにもないが、会話や光への返歌に教養が忍ばれるのであろう。もっともそれらは、光がこれまで馴染んできた上流階層の女性たちには劣っていた。それが「すぐれたることはなけれど」である。一級の女性のたしなみには劣るが、考えてみると、感じがいいくらいには身につけてもいたのである。「もてつけてもありつる」の「も」のニュアンスに留意したい。すぐにそれとわかるほどめやすいわけではなく、もてつけてないこともなかったのである。この意識は重要で、空蝉に対しては惚れたと言ってよかろうが、一般に解釈されているように、それが即、中の品へ夢中になった、とは言いがたい。上流階級以外にも悪くない女がいるという発見をし、そうした見方から中の品の女を見直しているのである。従って、左馬頭守の意見に同意しているのは、中の品にも見所のある女がいるのだなということであって、一般に考えられているように、中の品の女はすばらしいというのではない。第一、中の品を推奨した個所もあるにはあるが、左馬頭守の結論は、女はわからないというものであった。

2020-05-23

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