02帚木10 博士の娘

2020-10-11

02帚木 原文 10章158/176

式部がところにぞ けしきあることはあらむ すこしづつ語り申せ と責めらる 159下が下の中には なでふことか 聞こし召しどころはべらむ と言へど 頭の君 まめやかに 遅し と責めたまへば 何事をとり申さむと思ひめぐらすに まだ文章生にはべりし時 かしこき女の例をなむ見たまへし かの 馬頭の申したまへるやうに 公事をも言ひあはせ 私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く 才の際なまなまの博士恥づかしく すべて口あかすべくなむはべらざりし それは ある博士のもとに学問などしはべるとて まかり通ひしほどに 主人のむすめども多かりと聞きたまへて はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを 親聞きつけて 盃持て出でて わが両つの途歌ふを聴けとなむ 聞こえごちはべりしかど をさをさうちとけてもまからず かの親の心を憚りて さすがにかかづらひはべりしほどに いとあはれに思ひ後見 寝覚の語らひにも 身の才つき 朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて いときよげに消息文にも仮名といふもの書きまぜず むべむべしく言ひまはしはべるに おのづからえまかり絶えで その者を師としてなむ わづかなる腰折文作ることなど習ひはべりしかば 今にその恩は忘れはべらねど なつかしき妻子とうち頼まむには 無才の人 なま悪ろならむ振る舞ひなど見えむに 恥づかしくなむ見えはべりし まいて君達の御ため はかばかしくしたたかなる御後見は 何にかせさせたまはむ はかなし 口惜し とかつ見つつも ただわが心につき 宿世の引く方はべるめれば 男しもなむ 仔細なきものははべめる と申せば 残りを言はせむとて さてさてをかしかりける女かな とすかいたまふを 心は得ながら 鼻のわたりをこづきて語りなす さて いと久しくまからざりしに もののたよりに立ち寄りてはべれば 常のうちとけゐたる方にははべらで 心やましき物越しにてなむ逢ひてはべる ふすぶるにやと をこがましくも また よきふしなりとも思ひたまふるに このさかし人はた 軽々しきもの怨じすべきにもあらず 世の道理を思ひとりて恨みざりけり 声もはやりかにて言ふやう 月ごろ 風病重きに堪へかねて 極熱の草薬を服して いと臭きによりなむ え対面賜はらぬ 目のあたりならずとも さるべからむ雑事らは承らむ と いとあはれにむべむべしく言ひはべり 答へに何とかは ただ承りぬとて 立ち出ではべるに さうざうしくやおぼえけむ この香失せなむ時に立ち寄りたまへ と高やかに言ふを 聞き過ぐさむもいとほし しばしやすらふべきに はたはべらねば げにそのにほひさへ はなやかにたち添へるも術なくて 逃げ目をつかひて
 ささがにのふるまひしるき夕暮れにひるま過ぐせといふがあやなさ いかなることつけぞやと 言ひも果てず走り出ではべりぬるに 追ひて
 逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間も何かまばゆからまし さすがに口疾くなどははべりき と しづしづと申せば 君達あさましと思ひて 嘘言 とて笑ひたまふ いづこのさる女かあるべき おいらかに鬼とこそ向かひゐたらめ むくつけきこと と爪弾きをして 言はむ方なし と 式部をあはめ憎みて すこしよろしからむことを申せ と責めたまへど これよりめづらしきことはさぶらひなむやとてをり

02帚木 原文 読みかな 対訳 158/176

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《式部がところにぞ けしきあることはあらむ すこしづつ語り申せ と責めらる》158
しきぶ/が/ところ/に/ぞ けしき/ある/こと/は/あら/む すこし-づつ/かたり/まうせ と/せめ/らる
(頭中将)「式部のところにこそ変わった話があるだろう。少しずつ順にお話し申し上げよ」と急き立てになる。


《下が下の中には なでふことか 聞こし召しどころはべらむ と言へど》159
しも/が/しも/の/なか/に/は なでふ/こと/か きこしめし/どころ/はべら/む と/いへ/ど
「下の下の分際では、どういう内容をもってお聞きがいある話といたせましょう」と言うが、


《頭の君 まめやかに遅しと責めたまへば 何事をとり申さむと思ひめぐらすに》159
とう-の-きみ まめやか/に/おそし/と/せめ/たまへ/ば なにごと/を/とり/まうさ/む/と/おもひ/めぐらす/に
頭中将の君はまじめな顔で「遅いぞ」と詰め寄りになるので、どんな話を持ち出し申そうかと思案したのちに、


《まだ文章生にはべりし時 かしこき女の例をなむ見たまへし》160
まだ/もんじやう-の-しやう/に/はべり/し/とき かしこき/をむな/の/ためし/を/なむ/み/たまへ/し
「まだ文章生でございました時に、そら恐ろしい女とはこういうものなのだという例を体験をいたしました。


《かの 馬頭の申したまへるやうに 公事をも言ひあはせ 私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く》161
かの むま-の-かみ/の/まうし/たまへ/る/やう/に おほやけごと/を/も/いひ/あはせ わたくし/ざま/の/よ/に/すまふ/べき/こころおきて/を/おもひめぐらさ/む/かた/も/いたり/ふかく
先に左馬頭の申されましたように、公事をも相談し、私的な生活面での役立つ心得をおもんぱかる点でも造詣深く、


《才の際なまなまの博士恥づかしく すべて口あかすべくなむはべらざりし》161
ざえ/の/きは/なまなま/の/はかせ/はづかしく すべて/くち/あかす/べく/なむ/はべら/ざり/し
学問の程はなまなかの博士をば顔色なからしめず、いっさい口をはさむ余地を与えないのでした。


《それは ある博士のもとに学問などしはべるとて まかり通ひしほどに》162
それ/は ある/はかせ/の/もと/に/がくもん/など/し/はべる/とて まかり/かよひ/し/ほど/に
そのいきさつは、ある博士のもとに漢文学などをいたそうと通っていました時に、


《主人のむすめども多かりと聞きたまへて はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを》162
あるじ/の/むすめ-ども/おほかり/と/きき/たまへ/て はかなき/ついで/に/いひより/て/はべり/し/を
師である主人には娘がたくさんいると聞きおよびまして、ふとした機会に言いよりましたところ、


《親聞きつけて 盃持て出でて わが両つの途歌ふを聴けとなむ 聞こえごちはべりしかど》163 ★☆☆
おや/ききつけ/て さかづき/もて-いで/て わが/ふたつ/の/みち/うたふ/を/きけ/と/なむ きこエごち/はべり/しか/ど
親が聞きつけ杯を持ち出して、「わがふたつの途歌うを聴け」と訥々と諳んじになるのが聞こえて参りましたが、


《をさをさうちとけてもまからず かの親の心を憚りて さすがにかかづらひはべりしほどに》163
をさをさ/うちとけ/て/も/まから/ず かの/おや/の/こころ/を/はばかり/て さすがに/かかづらひ/はべり/し/ほど/に
ろくすっぽ打ち解けた気分で出かけてもゆかず、親の心情を気遣ってさすがによしみは絶やさずいましたうちには、


《いとあはれに思ひ後見 寝覚の語らひにも 身の才つき 朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて》164
いと/あはれ/に/おもひ/うしろみ ねざめ/の/かたらひ/に/も み/の/ざえ/つき おほやけ/に/つかうまつる/べき/みちみちしき/こと/を/をしへ/て
女がたいそう愛情深く世話をしますこと、寝覚めの床での睦言にも身に教養が備わるような話や朝廷にお仕えする上で心得るべき専門的な教学を教えるし、


《いときよげに消息文にも仮名といふもの書きまぜず むべむべしく言ひまはしはべるに》164
いと/きよげ/に/せうそこぶみ/に/も/かんな/と/いふ/もの/かき/まぜ/ず むべむべしく/いひまはし/はべる/に
じつに清廉な筆遣いで寄越す消息文にも女文字など一字もまぜず理路整然とした言葉遣いをいたしますので、


《おのづからえまかり絶えで その者を師としてなむ わづかなる腰折文作ることなど習ひはべりしかば》164
おのづから/え/まかり/たエ/で その/もの/を/し/と/し/て/なむ わづか/なる/こしをれぶみ/つくる/こと/など/ならひ/はべり/しか/ば
おのずと通うことも絶えないで、その者を師として下手な漢詩文を作ることを習い覚えましたゆえ、


《今にその恩は忘れはべらねど》165
いま/に/その/おん/は/わすれ/はべら/ね/ど
今にその学恩は忘れてはおりませぬが、


《なつかしき妻子とうち頼まむには 無才の人 なま悪ろならむ振る舞ひなど見えむに 恥づかしくなむ見えはべりし》165
なつかしき/さいし/と/うち-たのま/む/に/は むざい/の/ひと なまわろ/なら/む/ふるまひ/など/みエ/む/に はづかしく/なむ/みエ/はべり/し
心懐かしい妻として信頼するには、菲才の身では、至らない振る舞いなどいつ見破られるやもしれず気恥ずかしいくらい立派に見えすぎたのです。


《まいて君達の御ため はかばかしくしたたかなる御後見は 何にかせさせたまはむ》166
まいて/きむだち/の/おほむ-ため はかばかしく/したたか/なる/おほむ-うしろみ/は なに/に/か/せ/させ/たまは/む
まして君達の御ためには、実務的でしっかり者のお世話役はどうしてなさることがありましょう。


《はかなし 口惜し とかつ見つつも ただわが心につき 宿世の引く方はべるめれば》166
はかなし くちをし と/かつ/み/つつ/も ただ/わが/こころ/に/つき すくせ/の/ひく/かた/はべる/めれ/ば
心から頼み切れないがっかりだと思いながらも、ただもう女が気に入り、前世からの縁に引かれる面があるように思われるものですから、


《男しもなむ 仔細なきものははべめる と申せば》166
をのこ/しも/なむ しさい/なき/もの/は/はべ/める と/まうせ/ば
男こそは仔細なき代物でしょう」と申すと、


《残りを言はせむとて さてさてをかしかりける女かな とすかいたまふを》167
のこり/を/いは/せ/む/とて さて/さて/をかしかり/ける/をむな/かな と/すかい/たまふ/を
続きを言わせようとして「はてさておもしろい女だな」と、頭中将がいい気にさせておやりになるが、


《心は得ながら 鼻のわたりをこづきて語りなす》167
こころ/は/え/ながら はな/の/わたり/おこづき/て/かたり-なす
式部丞はおだてと心得ながら鼻のあたりを変にぴくつかせながら話の仕上げを行った。


《さて いと久しくまからざりしに もののたよりに立ち寄りてはべれば》168
さて いと/ひさしく/まから/ざり/し/に もの/の/たより/に/たちより/て/はべれ/ば
「さて、すっかり足が遠のいていたのですが、あるよんどころない事情があって立ち寄りましたところ、


《常のうちとけゐたる方にははべらで 心やましき物越しにてなむ逢ひてはべる》168
つね/の/うちとけ/ゐ/たる/かた/に/は/はべら/で こころやましき/ものごし/にて/なむ/あひ/て/はべる
いつもの気安く過ごした部屋ではございませんで、じれったい物越しでの対面なのです。


《ふすぶるにやと をこがましくも また よきふしなりとも思ひたまふるに》169
ふすぶる/に/や/と をこがましく/も また よき/ふし/なり/と/も/おもひ/たまふる/に
焼いているのかと滑稽に感じる一方で、離縁に持ってこいの機会だと思いますのに、


《このさかし人はた 軽々しきもの怨じすべきにもあらず 世の道理を思ひとりて恨みざりけり》169
この/さかしびと/はた かろがろしき/もの-ゑんじ/す/べき/に/も/あら/ず よ/の/だうり/を/おもひ-とり/て/うらみ/ざり/けり
この賢女はいかにも軽々と嫉妬口にする様子もみせず、男と女の情理をわきまえ知って恨んだりいたしません。


《声もはやりかにて言ふやう 月ごろ 風病重きに堪へかねて 極熱の草薬を服して いと臭きによりなむ え対面賜はらぬ》170
こゑ/も/はやりか/に/て/いふ/やう つきごろ ふびやう/おもき/に/たへ/かね/て ごくねち/の/さうやく/を/ぶくし/て いと/くさき/に/より/なむ え/たいめん/たまはら/ぬ
声もせかせかした調子で言うには、「この幾月か風病のひどさに耐えかねて、極熱冷ましの薬草を服してひどく臭きがゆえ対面しいたしかねます。


《目のあたりならずとも さるべからむ雑事らは承らむと いとあはれにむべむべしく言ひはべり》170
まのあたり/なら/ず/とも さるべから/む/ざうじ-ら/は/うけたまはら/む/と いと/あはれ/に/むべむべしく/いひ/はべり
面前ならずとも、妻のいたすべき雑用などは承ります」と、とても心を込めながら理屈然と述べ立てるのです。


《答へに何とかは ただ承りぬとて 立ち出ではべるに さうざうしくやおぼえけむ》171
いらへ/に/なに/と/かは ただうけたまはり/ぬ/とて たち/いで/はべる/に さうざうしく/や/おぼエ/けむ
返事に何と言えましょう、ただ「わかりました」と坐を立って出ようとしますにものさびしく思えたのでしょう、


《この香失せなむ時に立ち寄りたまへ と高やかに言ふを 聞き過ぐさむもいとほし しばしやすらふべきに はたはべらねば》171
この/か/うせ/な/む/とき/に/たちより/たまへ と/たかやか/に/いふ/を きき/すぐさ/む/も/いとほし しばし/やすらふ/べき/に はた/はべら/ね/ば
「このにおいが消えました時にまたお立ち寄りください」と、声高に言うのを聞き流すのも気の毒ながら、しばしなりとくつろいでいられる状況ではさらさらございませんで、


《げにそのにほひさへ はなやかにたち添へるも術なくて 逃げ目をつかひて》171
げに/その/にほひ/さへ はなやか/に/たち/そへ/る/も/すべなく/て にげめ/を/つかひ/て
実際そのにおいまでぷんぷんと纏いつくもせん方なくて、逃げ目を使い、

《ささがにのふるまひしるき夕暮れに ひるま過ぐせといふがあやなさ》172
ささがに/の/ふるまひ/しるき/ゆふぐれ/に ひるま/すぐせ/と/いふ/が/あや/なさ
蜘蛛が巣作りするそのふるまい方で私がまた来ることはすでにわかっているはずの夕暮れだというのに、蒜(ヒル)のにおいが消えるまで昼間を待ち過ごせと言うとは理屈にあわぬではないか


《いかなることつけぞやと 言ひも果てず走り出ではべりぬるに 追ひて》172
いかなる/ことつけ/ぞ/や/と いひ/も/はて/ず/はしり/いで/はべり/ぬる/に おひ/て
においが消えたらなどと遭いたくない口実をよく言えたものだ」と言いも終わらぬうちに走り出ましたところ、すぐ後を追って、


《逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間も何かまばゆからまし》173
あふ/こと/の/よ/を/し/へだて/ぬ/なか/なら/ば ひるま/も/なに/か/まばゆから/まし
お会いするのが一夜も間をあけられぬほど愛し合う仲であるならば昼間であろうと蒜のにおいがしようとどうしていたたまれない気になりましょう


《さすがに口疾くなどははべりきと しづしづと申せば》173
さすが/に/くちとく/など/は/はべり/き/と しづしづ/と/まうせ/ば
さすがに間髪入れぬ詠みぶりではありましたよ」としずしず申しますと、


《君達あさましと思ひて 嘘言とて笑ひたまふ》174
きみたち/あさまし/と/おもひ/て そらごと/とて/わらひ/たまふ
君達はよくもしゃあしゃあと抜かしたものだとあきれはてて、「こしらえごとだ」とお笑いになる。


《いづこのさる女かあるべき おいらかに鬼とこそ向かひゐたらめ むくつけきこと と爪弾きをして》175
いづこ/の/さる/をむな/か/ある/べき おイらか/に/おに/と/こそ/むかひ/ゐ/たら/め むくつけき/こと と/つまはじき/を/し/て
「どこぞの子女にそんなのがいよう。いっそのこと鬼と暮らしたがよかろう。気味が悪いと言った」と爪弾きをして、


《言はむ方なしと 式部をあはめ憎みて すこしよろしからむことを申せ と責めたまへど》175
いはむかたなし/と しきぶ/を/あはめ/にくみ/て すこし/よろしから/む/こと/を/まうせ と/せめ/たまへ/ど
「何とも評しようがないな」と式部を小馬鹿にし腐して、「もっと実のある話を申せ」と頭中将はお責めになるが、


《これよりめづらしきことはさぶらひなむやとて をり》176
これ/より/めづらしき/こと/は/さぶらひ/な/む/や/とて をり
「これより珍しい話がございましょうか」と黙然とすましこんでいる。

帚木 注釈 02-158/02-176

けしきある 02-158

趣向がある。みなの興味をひくような変わった話。妻選びは大変だという一応の結論がついたので、話柄を少し転換する。

すこしづつ 02-158

結果として式部丞は、変わった話をひとつしか持ち合わせていなかったけれど、頭中将の考えでは、色々な話を少しずつ語らせることを意図していた。

下が下 02-159

階級の中で、上の品、中の品、下の品、それぞれの女性論がこの夜の話題。自分は下の下の階級なので、上の上の方々に満足いただけるような話はないとの弁。もちろん、一種の社交辞令。話したくて出番を待っていたが、身分が高くないので議論に口を挟まず控えていたのである。

なでふことか…はべらむ 02-159

反語を導く。どのくらいことがありましょう、少しもありません。

まめやかに 02-159

まじめに。本気で。頭中将と藤式部丞の身分の違いを感じさせるやりとりだが、社交辞令は捨て置いて早く本題に入れという勧めであろう。頭中将にしても、一言も発しない藤式部丞が何か言いたげにしているのは見て取っていたであろう。

文章生 02-160

大学寮で文章道(もんじゃうどう)を学ぶ学生(がくしょう)の身分ながら、式部省の試験に合格した進士(しんし)。

かしこき女 02-160

単に利発なというだけでなく、相手をかしこまらせるような女。

例 02-160

典型。極端な例。

02-161
◇ 「かの」→「公事」「私ざま/「馬頭の申したまへるやうに」は挿入句) 
◇ 「公事をも言ひあはせ」「私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く」:並列関係(Aも、Bも)

左馬頭の申したまへる 02-161

左馬頭の発言「公私の人のたたずまひ善き悪しきことの目にも耳にもとまるありさまを…近くて見む人の聞きわき思ひ知るべからむに語りも合はせばやとうちも笑まれ涙もさしぐみもしはあやなきおほやけ腹立たしく心ひとつに思ひあまることなど多かるを何にかは聞かせむと思へば/02-058」を指す。

公事 02-161

政治について。また貴族社会の中で活躍することについて。

世に住まふべき心おきて 02-161

「わが両つの途歌ふ」に説かれるているような訓戒。「心おきて」は心構え。

才の際 02-161

学識。

なまなまの 02-161

未熟な、中途半端な。

博士 02-161

ここでは大学寮で文章道(もんじゃうどう)を教えた文章博士(もんじゃうはかせ)を指す。

口あかす 02-161

相手に口を挟ませる。

主人のむすめども 02-162

学問を身につけるために通った「博士」の娘たち。

はかなきついで 02-162

「はかなき」は実を結びそうにない、結果が出ないと想像されるような。「ついで」は機会の意味だが、もともと順番を指す語。博士のもとに通う学生は多く、身分、年齢、席次などの順番から、自分の手に落ちることはないだろうと予想されたのだろう。

言ひ寄り 02-162

求婚する。

02-163
◇ 「うちとけてもまからず/逆接)→「さすがにかかづらひはべりし」

盃 02-163

婚礼の宴。博士家という固い家柄なので、娘がたくさんいても良縁に恵まれなかったのであろう。親が積極的に乗り出すわけだが、素直には飲ませてもらえない。そこは博士家の娘を娶ろうというのだから試験がある。

わが両つの途歌ふを聴け 02-163

『白氏文集』「秦中吟」の「議婚」中の句「聴我歌両途」。今まさに、綺羅を着飾った十六歳の金持ちの娘が嫁ごうとしている。その家の納屋には二十歳の貧しい娘が良縁に恵まれずに住んでいる。酒樽が置かれ、祝宴にかけつけた人々になみなみと酒が注がれた。そこまでが「議婚」の前置きで、ここからが詩の本題。
四座且勿飲(四座しばらく飲むなかれ)、聴我歌両途(我が両つの途を歌ふ聴け)、
富家女易嫁(富家のむすめは嫁し易し)、嫁早軽其夫(嫁すこと早きもその夫を軽んず)、
貧家女難嫁(貧家のむすめは嫁し難し)、嫁晚孝其姑(嫁すこと遅きもその姑に孝たり)
聞君欲娶婦(聞く君婦を娶らんと欲すと)、娶婦意如何(婦を娶るの意はいかんや)

聞こえごちはべりしかど 02-163

「聞こゆ」は、自動詞で「聞こえてくる」(「ゆ」は受け身、ないし自発)、他動詞で「申し上げる」(「言ふ」の謙譲語)。他動詞用法では、主体が娘の父親となり、藤式部丞に対して謙譲語を用いるのはおかしい。直前の「となむ」の後ろに「仰せらるる」等を補い、博士から命じられて、藤式部丞がくちづさんだと考えることもできるが、「聞君欲娶婦、娶婦意如何」という詩の内容と齟齬する。やはり、父が訥々と歌い出したのを、藤式部丞が耳にしたと考えるのがよいだろう。「聞こえ」は自動詞用法である。父である博士は、貧しさに耐えることを訓戒すると同時に、「婦を娶るの意はいかんや(娶婦意如)」と、藤式部丞に問い詰めたであろうとことがうかがえる。貧しくとも将来連れ添うことを誓わされたであろう。

をさをさ…ず 02-163

めったにしない。父親の前で「娶婦意如何(婦を娶るの意はいかんや)」に対して答え、結婚の誓約をしておきながら。

まからず 02-163

「罷る」は行くの謙譲語、博士に対する敬意。

かかづらひ 02-163

関係が途切れないで続く状態。

ほどに 02-163

時間の経過。気持ち的には消極的ながらも、父親との関係から通っているうちに。

寝覚の語らひ 02-164

「語らひ」は情を交わす、むつびあう。起き抜けでまだ寝具を羽織って、ぼんやり夕べの情事を思い出しながら愛を語りあう、そういう時にも。

才 02-164

漢学。

道々しきこと 02-164

四書五経など出世のために必要な教学。主に公事。

きよげ 02-164

整った端正な美。

仮名といふもの書きまぜず 02-164

片仮名・平仮名を使わない、即ち漢文で書く。

消息文 02-164

会って語らう時も、離れて手紙の中でも。

むべむべし 02-164

なるほどそうだと得心できるような表現。主に私事であろうが、文章を書くときの手本となるような表現。

腰折文 02-164

下手な漢詩文。

妻子 02-165

漢文で妻を指す。

うち頼まむ 02-165

安心してすっかり身をまかす。本妻として頼りにすること。

無才の人 02-165

藤式部丞の自称。

なま悪ろ 02-165

どことなく劣っていること。

見えむ 02-165

女にそう見られる。「見え」は受け身。

見えはべりし 02-165

思えました。「恥づかしく」は「見え」の内容。「見え」は自発。

はかばかし 02-166

てきぱきと処理する。

したたかなる 02-166

手抜かりがないこと。ともに実用的な能力。

はかなし 02-166

妻として安心して頼る気になれない。

口惜し 02-166

期待外れ。

心につき 02-166

愛情がわく。

仔細なき 02-166

込み入った事情がない。単純なこと。要するに漢才だの文章道といい、愛情がどうの宿世がどうの言っても、要するに性欲に負けたのだということ。

すかいたまふ 02-167

その気にさせる。

心は得ながら 02-167

(頭中将の囃し立てる言葉が、本気でなくおだてだと気づきながら。

をこづき 02-167

ぴくつかせること。おだてられて得意になっている様子と、これに続くエピソードの核である、ふすべられた薬草のくさい臭いの前置きになっている。

語りなす 02-167

器用に語る。思いつきを語るのではなく、話の構成をよく考えて話す。

もののたより 02-168

ある避けられない事情、多くは法事を指す。「もののたより」は源氏物語で六例あるが、あきらかに法事を指す例が半数を数える。「もの」は動かせないものの形容、あるいは霊。

方 02-168

部屋、建物。

心やましき 02-168

自分の力の及ばないものに対するじれた気持ち。

ふすぶるにや 02-169

岡焼き、焼き餅を焼くの意味に、後に続く薬草をふすべるの意をかける。

をこがましくも 02-169

嫉妬しているにしてはそうした態度が滑稽であること。現代語のをこがましいではない。

よきふし 02-169

離婚を申し出るのによい機会。

さかし 02-169

情よりも理性が優先するタイプ。

もの怨じすべきにもあらず 02-169

左馬頭が語った「指を喰う女」を意識して、そのような女ではない。

世の道理 02-169

男女の情理。要するに、男は外で浮気をするものだという理解。ただし、このことを頭で理解しているからといって、腹が立たないわけではない。プライドの高いだけに、それを口にできないので、かっかかっかと内部では火がおこっているのだ。極熱の草薬は内なる怒りを隠す。

思ひとり 02-169

悟る、わきまえる。

02-170
◇ 「風病」「重きに」「堪へかね」「極熱」「草薬」「服し」「臭きに」「により」「対面」「ならずとも」など、漢語や漢語調の表現。男言葉であり、女が用いるのを聞くとやや滑稽に聞こえたであろう。

はやりか 02-170

うわついて。落ち着かないさま。

月ごろ 02-170

この何ヶ月かの間。藤式部丞の通いが何ヶ月もないことを暗示する。

風病 02-170

神経痛とされる。

極熱の草薬 02-170

『医心房』に「大蒜ハ熱ナリ、風ヲ除ク」とある。

え対面賜はらぬ 02-170

「賜はる」は「受ける」の謙譲語。「え…ぬ」は不可能。藤式部丞との対面を受けられないの意味で、藤式部丞に対する敬意。

目のあたりならずとも 02-170

直に対面していなくても。

さるべからむ雑事ら 02-170

妻としてしっかりと努めなければならない雑用。

あはれに 02-170

心をこめて。

むべむべしく 02-170

こちらが、その通りその通りと理解できるように、また否定できないように。窮屈さを感じさせる語。

02-171
◇ 「聞き過ぐさむもいとほし」「そのにほひさへ…たち添へるも術なくて/並列 Aも、Bも):それぞれ挿入句 
◇ 「言ふを、(しばしやすらふべきにはたはべらねば)、逃げ目をつかひて」:文構造の骨子

何とかは 02-171

何と言えようか。「かは」は反語で、答える言葉がみつからなかったことを意味する。

承りぬ 02-171

承知しました。状況を理解したとの答え。

さうざうしく 02-171

さびしく。

いとほし 02-171

相手にすまないと思う気持ち。申し訳ない。

やすらふ 02-171

とどまって様子をうかがう。

にほひさへはなやかにたち添へるも 02-171

「やすらふ」べきものでない女の態度に、蒜の臭いまで加わって。

はなやかに 02-171

はっきりと見て取れるような。ここは大げさな比喩的表現でおかしみを出そうとしている。女の歌「まばゆからまし」と呼応させる狙いがあるのだろう。臭覚を視覚よりに表現しようとしている。

逃げ目をつかひ 02-171

逃げながらも目配せで相手に訴える様子。逃げることより目配せに動作の主体がある。さらに分析すれば、「聞き過ぐさむもいとほし」に対しては目での訴えが、「にほひさへはなやかにたち添へるも術なくて」に対しては逃げるが行動の主となるアンビバレントな状況をいう。

ささがにのふるまひしるき 02-172

「わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」を下に敷く。「ささがに」は蜘蛛を指す雅語。朝、女の家の軒に蜘蛛が巣を張ると、その夕方は久しく来ない夫が訪ねてくる予兆とされた。「しるき」ははっきりと見て取れる。見誤りようがない事実だ。

ひるま 02-172

「昼間」と「蒜をくすべている間」をかける。

あやなさ 02-172

理屈に合わない。もう夕方なのに昼間を過ごせとは非合理だ。

いかなることつけぞ 02-172

「ことつけ」は口実。薬草を理由に夫を追い出したり、臭いが消えたらまた立ち寄れなど、浮気をしていたりして、夫を寄せ付けたくない理由が薬草以外にあるのではないかとの難癖。もちろん、藤式部丞の方こそ、別れ話を切り出す口実をさがしている。

夜をし隔てぬ 02-173

「し」は強調。また「をし」は「惜し」に通じる。一夜も隔てるのが惜しくてできない。

仲ならば 02-173

未然形+「ば」で仮定条件。そういう仲ではないことが前提。

ひる間 02-173

「昼間」と「蒜をくすべている間」をかけるのは藤式部丞の歌に同じ。

まばゆからまし 02-173

「まばゆし」は相手が立派で気恥ずかしいの意味。「まし」は反実仮想。藤式部丞の前言「なつかしき妻子とうち頼まむには無才の人なま悪ろならむ振る舞ひなど見えむに恥づかしくなむ見えはべりし/02-165」とあるように、蒜の女の欠点は立派すぎること。一夜も離れていられない間柄なら、相手が立派すぎると敬遠することもないはずだと、男の一番痛いところにスポットを当てる。

さすがに口疾くなどは 02-173

賢い女だけにさすがにすぐに返歌を寄越したということ。ここから逆に、普通返歌には時間がかかることが知られる。「などは」は、蔑みなどの感情をこめる。早いだけは早かったのですが。

しづしづと 02-173

女の歌を効果を狙って意図的にゆっくりと歌い上げる。

君達 02-174

親王や摂関家など上流貴族の子息。ここでは光源氏や頭中将を指す。単数・複数どちらにも使う。

嘘言 02-174

つくりごと。

いづこの…か…連体形 02-175

反語。どこの…が…だろうか。

おいらかに 02-175

いっそのこと。

鬼とこそ向かひゐたらむ 02-175

鬼と向かい合って過ごす方がよかろう。「ゐる」は座る。滞在する。住む。「む」は二人称に対して勧誘。すでに完了したことに対して「む」は使用しないので、鬼と対峙していたのだろうなどの解釈は無理がある。それなら「けむ」。

むくつけき 02-175

鬼や物の怪に対した時のように、正体が不明で不気味。

爪弾き 02-175

人を非難するときの動作。指弾をいうが、ここは鬼に対する邪気を払う仕草であろう。

あはめ 02-175

軽蔑する。

憎み 02-175

非難する。

めづらしき 02-176

もっと見たい、もっと知りたいと欲求するような状況。

なむや 02-176

完了「ぬ」の未然形+推量「む」の終始形+係助詞「や」、反語をあらわす。…であろうかいやない。

をり 02-176

すわっている。

2020-10-11

Posted by 管理者