02帚木09 常夏の女

2020-05-23

帚木 原文 02-135/02-157

135中将 なにがしは痴者の物語をせむ とて 136いと忍びて見そめたりし人のさても見つべかりしけはひなりしかば ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど 馴れゆくままにあはれとおぼえしかば 絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを 137さばかりになれば うち頼めるけしきも見えき 頼むにつけては 恨めしと思ふこともあらむと 心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを 見知らぬやうにて 久しきとだえをも かうたまさかなる人とも思ひたらず ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて心苦しかりしかば 頼めわたることなどもありきかし 138親もなくいと心細げにて さらばこの人こそはと 事にふれて思へるさまもらうたげなりき 139かうのどけきにおだしくて 久しくまからざりしころ この見たまふるわたりより 情けなくうたてあることをなむ さるたよりありてかすめ言はせたりける 後にこそ聞きはべりしか 140さる憂きことやあらむとも知らず 心には忘れずながら 消息などもせで久しくはべりしに むげに思ひしをれて心細かりければ 幼き者などもありしに思ひわづらひて 撫子の花を折りておこせたりし とて涙ぐみたり 141さて その文の言葉は と問ひたまへば いさや ことなることもなかりきや
 142山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露 143思ひ出でしままにまかりたりしかば 例のうらもなきものから いと物思ひ顔にて 荒れたる家の露しげきを眺めて 虫の音に競へるけしき 昔物語めきておぼえはべりし 144咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき 145大和撫子をばさしおきて まづ塵をだになど 親の心をとる
 146うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり とはかなげに言ひなして まめまめしく恨みたるさまも見えず 涙をもらし落としても いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して つらきをも思ひ知りけりと見えむは わりなく苦しきものと思ひたりしかば 心やすくて またとだえ置きはべりしほどに 跡もなくこそかき消ちて失せにしか 147まだ世にあらば はかなき世にぞさすらふらむ 148あはれと思ひしほどに わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば かくもあくがらさざらまし こよなきとだえおかず さるものにしなして長く見るやうもはべりなまし 149かの撫子のらうたくはべりしかば いかで尋ねむと思ひたまふるを 今もえこそ聞きつけはべらね 150これこそのたまへるはかなき例なめれ つれなくてつらしと思ひけるも知らで あはれ絶えざりしも 益なき片思ひなりけり 151今やうやう忘れゆく際に かれはたえしも思ひ離れず 折々人やりならぬ胸焦がるる夕べもあらむとおぼえはべり 152これなむ え保つまじく頼もしげなき方なりける 153されば かのさがな者も 思ひ出である方に忘れがたけれど さしあたりて見むにはわづらはしく よくせずは 飽きたきこともありなむや 琴の音すすめけむかどかどしさも 好きたる罪重かるべし 154この心もとなきも 疑ひ添ふべければ いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ 155世の中や ただかくこそ とりどりに比べ苦しかるべき 156このさまざまのよき限りをとり具し 難ずべきくさはひまぜぬ人は いづこにかはあらむ 157吉祥天女を思ひかけむとすれば 法気づきくすしからむこそ また わびしかりぬべけれ とて 皆笑ひぬ

帚木 原文かな 02-135/02-157

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

ちうじやう なにがしは しれもののものがたりせむとて いとしのびてみそめたりしひとの さてもみつべかりしけはひなりしかば ながらふべきものとしもおもひたまへざりしかど なれゆくままに あはれとおぼエしかば たエだエわすれぬものにおもひたまへしを さばかりになれば うち-たのめるけしきもみエき たのむにつけては うらめしとおもふこともあらむと こころながらおぼゆるをりをりもはべりしを みしらぬやうにて ひさしきとだエをも かうたまさかなるひとともおもひたらず ただあさゆふにもて-つけたらむありさまにみエて こころぐるしかりしかば たのめわたることなどもありきかし おやもなく いとこころぼそげにて さらばこのひとこそはと ことにふれておもへるさまもらうたげなりき かうのどけきにおだしくて ひさしくまからざりしころ このみたまふるわたりより なさけなくうたてあることをなむ さるたよりありてかすめいはせたりける のちにこそききはべりしか さるうきことやあらむともしらず こころにはわすれずながら せうそこなどもせでひさしくはべりしに むげにおもひしをれてこころぼそかりければ をさなきものなどもありしにおもひわづらひて なでしこのはなををりておこせたりし とてなみだぐみたり
さて そのふみのことばは ととひたまへば いさや ことなることもなかりきや
やまがつのかきほあるともをりをりにあはれはかけよなでしこのつゆ
おもひいでしままにまかりたりしかば れいのうらもなきものから いともの-おもひがほにて あれたるいへのつゆしげきをながめて むしのねにきほへるけしき むかしものがたりめきておぼエはべりし
さきまじるいろはいづれとわかねどもなほとこなつにしくものぞなき
やまとなでしこをばさし-おきて まづちりをだになど おやのこころをとる
うち-はらふそでもつゆけきとこなつにあらしふきそふあきもきにけり
とはかなげにいひ-なして まめまめしくうらみたるさまもみエず なみだをもらしおとしても いとはづかしくつつましげにまぎらはしかくして つらきをもおもひしりけりとみエむは わりなくくるしきものとおもひたりしかば こころやすくて またとだエおきはべりしほどに あともなくこそかき-けちてうせにしか まだよにあらば はかなきよにぞさすらふらむ あはれとおもひしほどに わづらはしげにおもひまとはすけしきみエましかば かくもあくがらさざらまし こよなきとだエおかず さるものにしなしてながくみるやうもはべりなまし かのなでしこのらうたくはべりしかば いかでたづねむとおもひたまふるを いまもえこそきき-つけはべらね これこそのたまへるはかなきためしなめれ つれなくてつらしとおもひけるもしらで あはれたエざりしも やくなきかたおもひなりけり いまやうやうわすれゆくきはに かれはたえしもおもひはなれず をりをりひとやりならぬむねこがるるゆふべもあらむとおぼエはべり これなむ えたもつまじくたのもしげなきかたなりける されば かのさがなものも おもひいであるかたにわすれがたけれど さしあたりてみむにはわづらはしく よくせずは あきたきこともありなむや ことのねすすめけむかどかどしさも すきたるつみおもかるべし このこころもとなきも うたがひそふべければ いづれとつひにおもひさだめずなりぬるこそ よのなかや ただかくこそ とりどりにくらべくるしかるべき このさまざまのよきかぎりをとりぐし なんずべきくさはひまぜぬひとは いづこにかはあらむ きちじやうてんによをおもひかけむとすれば ほふけづき くすしからむこそ また わびしかりぬべけれ とて みなわらひぬ

帚木 現代語訳 02-135/02-157

頭中将は、わたくしは愚か者の話をしましょうと前置きして、たいそう人目を忍んでいい仲になった女が秘密裏のままのつき合ってゆけそうな感じでしたので、長続きしそうな関係とも思っておりませんでしたが、馴れゆくうちにはいとしく思えてきて、途絶えがちながら忘れられない存在になっていたのですが。それほどの仲になってみますと、少しは夫としての信用を勝ち得たようにも見えました。頼むとなれば恨めしいと思うこともあろうと一人推量される折々もあったのですが、気にも留めておらぬふうで、久しく通いが途絶えてもこんなにも足が遠いかとなじる様子もなく、ただ朝夕の仕度に専念しようとしている様子が見て取れいじらしく思われたので、いつまでも頼りにするよう幾度となく言って聞かせたりなどもしました。親もなくとても心細い様子で、それだけにこの人だけが頼みだとことあるごとに思っているようなのも可愛らしい感じでした。こんなふうにおっとりしているのをいいことにして久しく訪れもせずにいたところ、私の妻あたりから、情を欠いた手ひどいことを適当な仲立ちを通してほのめかせたとの由、あとではじめて聞き知った次第です。そんなつらいことがあろうとも知らず、心では忘れずながら便りなんかもせず久しく沙汰なしにしておりましたところ、すっかり悩みしおれ心細い境遇であったので、幼い娘がいることなどもわずらいの種であり、そこで撫子の花を折って結び文を寄越してまいりました、と言いいながら頭中将は涙ぐんでいる。それで、その手紙の中身は、と光の君がお問いになったところ、いえ、これと言って変わった内容でもありませんでしたよ。
山がつの垣は手つかず荒れるとも、折りあるごとに愛情をそそいでくださいな、あなたが撫でてかわいがってくださらないから、撫子は露にまみれて泣きじゃくっていますよ。思い出すまますぐに出かけて行きましたところ、これまで通りわたしに対してはわだかまりのない様子でしたが、それでもひどく憂いに沈んだまま荒れた家の露にそぼ濡れた庭を眺め、虫の音と競うように泣いている姿は昔の物語めいた感じに思えました。
咲き混じれば大和撫子も唐撫子も美しさこそいずれを甲乙つきかねますが、やはりわたしには常夏の花が一番です、子は頭を撫でただけですが、あなたは床で撫であった仲なのですから。
大和撫子のことは二の次にして、これからは何はさておき寝床に塵さえつかぬよう頻繁に通うことにしょうなどと親の本心を汲み取る。
床の塵を払い人待ちしてさえ訪れなく袖も涙で濡れています、伴寝する喜びを知った常夏の花なのに、本妻からは脅され激しい嵐まで吹き加わって、いよいよ秋が到来し、あなたが飽きて去って行く季節ですね。
とはかなげな調子で言いなし、本気で恨んでいる様子も見受けられず、つい涙をこぼしてもたいそう気まり悪げにつつましく包み隠してしまうし、辛い思いをしているように見られてはやり切れないほど苦しいと考えているようなので、気を許してまたぞろ足が遠のいてしまいましたそのうちに、跡形なく姿をくらませてしまったのです。まだこの世にあれば、あてどない身の上でさすらっていることでしょう。いとしさを感じていたあの時分に、うるさいほどすがりつく様子が見て取れていましたら、こんな行方もしれない状態にさせはしなかったでしょうに、ああまでひどい途絶をせずに、妻として立派な待遇を与えて末長く世話をする方途もあったでしょうに。あの撫子が可愛いかったので、どうかして尋ねあてようと思っているのですが、今もっていどころを聞きつけられないのです。これこそあなたのおっしゃった心の底があてにできない女の例でしょう。感情を外に出さない質で内々恨めしいと思っていてもそれさえ気がづかず、愛情が冷めずにいたのも益体もない一方的な思い入れだったのです。今わたくしの方はようやく忘れつつあるというのに、むこうでは今がいまどうにも思い切ることができず、折々誰も責められず胸を焦がす夕べもあろうと思えるのです。こういう女こそが付き合いを続けづらくてにしにくい部類なのです。(左馬頭)そうであれば、あの口やかましい女も心に思いが残っている点で忘れがたいけれども、正妻として顔をつきあわして暮らすとなると気詰まりで、悪くすると嫌気がさすこにもなったでしょう。琴が達者だった女の才気も、男好きの罪は重いと断じねばなるまい。(頭中将)このつかみどころのない女にしても男がいる疑いがつきまとうのだから、どんな女が妻によいかはついに決定できず仕舞だな。(左馬頭)男女の仲というものは、まさしくそのように決定できないもの。それぞれがまちまちで一概に比較するのは難しいものでしょう。(頭中将)このさまざまな良い面だけをとり合わせ、非難すべき点の交じらない人がどこかにいるでしょうか。

帚木 注釈 02-135/02-157

なにがし 02-135

自称。

痴者の物語 02-135

痴者は判断力の乏しい者。この痴者は女であるとの説と、中将であるとの説がある。「つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば心やすくてまたとだえ置きはべりしほどに跡もなくこそかき消ちて失せにしか/02-146」とあり、女が努めてつらい様子を夫に見せないようにしていたのに、それを理解せず、安心してしばらく通うのをやめたことが、女が失踪した直接原因であった。その点から考え、痴者は頭中将自身であろう。吉祥天女に思いをかけようとしたとしても、抹香臭く人間離れしている点で、やはり気萎えしてしまうことでしょうね、言って光の君以外はみな笑った。

02-136
◇ 「見そめたりし人のさても見つべかりし/AのB連体形:「の」は主格)→「けはひ」

さても見つべかりし 02-136

そのような状態、すなわちいと忍んだ状態のまま。

ながらふ 02-136

長続き。

絶え絶え 02-136

途切れ途切れに。始終忘れられないのではなく、忘れられない状態が時折あったということ。

忘れぬもの 02-136

「もの」は、軽蔑の対象でなく、確たる存在、不動の存在のニュアンスを帯びる。

思ひたまへしを 02-136

後ろにかかる語句がないので文を切る。「を」は詠嘆を表す間助詞。

02-137
◇ 「さばかりになれば、うち頼めるけしきも見えき」「頼むにつけては、恨めしと思ふこともあらむ/対表現)→「と」→「おぼゆる」 
◇ 「恨めしと思ふこともあらむと…をりをりもはべりしを」→「見知らぬやうに」

さばかりになれば 02-137

忘れられぬ存在になれば。

うち頼める 02-137

「うち」はすっかりの意味と、とっさにすこしばかりの意味がある。後に「頼めわたる」とあるので、すっかりではない。「頼む」はマ行四段活用の自動詞用法(こちらが相手を頼りとする)、マ行下二段活用の他動詞用法(相手がこちらを頼りとするようにさせる、使役用法)がある。ここは他動詞で、常夏が頭中将を頼りにするようにしむけることに少しは成功したとの意味。

見え 02-137

女が…と見える。受け身用法。

頼む 02-137

自動詞用法。女が頭中将を頼りにする。

恨めし 02-137

頭中将の浮気したり、通いが途絶えることから生じる嫉妬。

心ながら 02-137

我ながら。自分のことながら。

たまさかなる人 02-137

めったに現れない人の意味だが、そこには夫として信頼できない、愛情の薄いなどの気持ちがこもる。

もてつく 02-137

無理に繕う。

心苦し 02-137

相手に申し訳ないという気持ち。

頼めわたる 02-137

(動詞の連用形+「わたる」)は、繰り返し…する、長期にわたって…する。「頼め」は他動詞。自分を頼るように何度もすすめる。生涯面倒を見ることをほのめかす。

02-138
◇ 「この人こそはと」→「思へる」

心細げ 02-138

頼る親族がなく、将来不安を抱えている状態。

さらば 02-138

「親もなくいと心細げ」ならば。

この人こそは 02-138

頭中将こそは頼みの夫である。

思へるさまも 02-138

ここの「も」は、「うち頼めるけしきも見えき 02-136」の「も」を受ける。

らうたげなり 02-138

かわいらしい。

かうのどけき 02-139

「かう」は、「久しきとだえをもかうたまさかなる人とも思ひたらず/02-136」とあった。

おだしく 02-139

安心。

この見たまふるあたり 02-139

妻である右大臣の四の君。

うたて 02-139

ひどい。

さるたより 02-139

無視しえない立派な仲立ちを通して。

かすめ 02-139

はっきりとは言わないで、ほのめかす。

憂きこと 02-140

つらいこと。

むげに 02-140

ひどく。むやみに。

心細かり 02-140

身近に相談できる人がいない状況。

撫子の花 02-140

「撫でし子」、すなわち、頭中将が撫でてかわいがった子供のことを暗示する。

涙ぐみたり 02-140

「たり」は、先ほど来、涙ぐんだ状態が続いていることを表す。

さてその文の言葉は 02-141

「撫子の花を折りておこせたりし/02-140」を受け、それでその手紙の言葉は。

いさや 02-141

(否や、不知や)否定の言葉。言葉をにごす感じ。さあ、どうだか。左馬頭の紹介した指を喰う女や木枯の女に比べ、歌の詠みぶりが生で、洗練さを欠いており、紹介するのがためらわれるものであった。

ことなるなかりきや 02-141

特別、異例。「や」は、詠嘆。特別なことはありませんでした。「さばかりになればうち頼めるけしきも見えき/02-137」頭中将の中では、特別な関係であるのに、女からはその様子が見えない。その心的ギャップが「や」に籠められている。

山がつの垣ほ荒るとも 02-142

「やまがつ」は女が自分を卑下して言った言葉とされるが、女が自分に見立てたのは「やまがつ」ではなく「垣ほ」である。娘である撫子が咲き出すの場所であるから、比喩として意味をなす。都会的洗練に欠けたやまが育ちのわたしである垣ほが「荒る」とは、手つかずのまま放置され経年変化した状態であるが、これは男に見放された状態を意味する。そう考えると、「垣ほ」は女性器を暗示し、この女の娼婦性を示す言葉である。「とも」は仮定。私のことはほったらかしでも。

折々に 02-142

時折ではない。一年には様々な年中行事があり、また、男の子であれ女の子であれ成長過程にはいろいろの行事がある。それらを具体的に思い浮かべた表現。

あはれはかけよ撫子の露 02-142

「あはれ」は愛情。「撫子」は「撫でし子」、すなわち、花の名前と、頭中将が撫でてかわいがった子供のことをかける。「露」は「かける」対照である愛情の露と解釈される向きもあるが、歌で「露」とあれば泣き濡れること。あなたが撫でてかわいがってくれないから、撫子が泣き濡れ露にまみれていますという意味。「撫子の露にまみえし」などの省略で、そう考えると歌というより今様に近似し、やはり遊び女、傀儡師など回遊性の娼婦めく。なお露の多さは、「荒れたる家の露しげき/02-143」と具体的に描写される。

例のうらもなき 02-143

頭中将の妻からの嫌がらせを受けたり、男が久しく通ってこなくても、恨みに思うことなく、心に裏がなく、こだわりやわだかまりのない状態。「恨めしと思ふこともあらむと心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを見知らぬやうにて久しきとだえをもかうたまさかなる人とも思ひたらず/02-137」

ものから 02-143

そういう状態でありながら。「もの」は形式名詞だが、「もの」の動かなさを持ちつつも。

虫の音に競へる 02-143

女が泣き声を虫の鳴き音と競っている。

昔物語めきて 02-143

頭中将が本気で愛情をもっていれば、こうした距離をおいた感想は取れないであろう。心理的距離は頭中将の方にもあるのだ。

咲きまじる 02-144

子である大和撫子と、親である常夏(唐撫子)が入り乱れて咲く。

色はいづれと分かねども 02-144

女が今の状況を、泣き濡れる、はかないなど「露」のイメージに象徴化したのを受けて、露によって花の色が美しさを増すという「露」のもつプラスイメージから「色」に置き換え、自分をひきつける魅力は親子どちらとも区別がつかないけれど。

なほ常夏に 02-144

「常夏」は唐撫子、石竹。「とこ」は「常」と「床」、「なつ」は「夏」と「撫づ」をかける。女が「垣ほ」で暗示した女性器を、「床」で置き換える。頭を撫でた子も可愛いが、やはり乳繰り合ったおまえが愛しいというセクシャルな返歌。

しくものぞなき 02-144

これ以上のものはないという漢文表現。「しく」は漢文表現「如く」と「敷く」をかける。「床」と「敷く」は縁語。女が、自分はともかく子供に愛情を注いでやってほしいと詠んできた歌を受け、そうは言ってもやはり親であるあなたが一番なのだ、子供は頭を撫でてやったが、あなたとは床でむつみ合った仲なのだからという意味。撫子と床撫づ(常夏)でどちらにも「撫づ」が使われているのがポイント。歌は雅と決めつけるのは王朝文化が途絶えた後のこと、平安文学にはかなり際どい表現が見られ、ことに源氏物語はそうした卑俗性に支えられている面があり、見落とされがちである。

大和撫子をばさしおきて 02-145

「あはれはかけよ撫子の露」と詠んできた女の歌意を脇に置いて後回しにする。

まづ塵をだに 02-145

今後は何をおいても、通いつめ、夜がれで淋しい思いをさせないの意味。「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花/古今和歌集・夏・凡河内躬恒)を下に敷く。毎晩床入りすれば塵が積もるようなことはない。

親の心をとる 02-145

機嫌をとるのではなく、親である女の気持ちを優先する。母親も子供はだしに使ったのであり、本心は会いたい、抱いてほしいということだから、その気持ちをくみ取ったとの意味。

02-146
◇ 「恨みたるさまも見えず」→「涙を…落としても…隠して」→「つらきをも…思ひたりしか/さまも、落としても、つらきをも:「も」の相関関係)

うち払ふ 02-146

夜がれでつもった塵を床から払いのける。

袖も露けき 02-146

独り寝のさみしさに泣き濡れて袖が濡れている。ふたたび女は「露」のマイナスイメージに話題を戻す。

あらし吹きそふ 02-146

頭中将は後で知ることになるが、本妻が女に対してひどいことを言っていたことがすでに語られている。「この見たまふるわたりより情けなくうたてあることをなむさるたよりありてかすめ言はせたりける/02-139」。涙の露ばかり嵐まで吹き付け。

秋も来にけり 02-146

上に嵐は台風か。あらしの後には秋が訪れ、男が去って行く。「あき」は「秋」と「飽き」をかける。

はかなげ 02-146

「あらし吹きそふ」は、つらさが増すことの和歌的表現としか、この時の頭中将は理解しようがない。頭中将の本妻が怒って恨みごとを言ってきたことの比喩とわかるのは後のこと。この点を指して「はかなげ」とした。「はかなげ」とは、はっきりと内容がつかめないことをいう。

まめまめしく 02-146

生真面目に、本気で。

恥づかしく 02-146

気が引ける。

つらきをも思ひ知りけり 02-146

「つらき」は浮気など夫の薄情さに対する苦しみ。「思ひ知り」はしみじみと実感する。「けり」は詠嘆で、そういう経験をしたのだと強く感じること。

わりなく苦しきものと思ひたりしかば 02-146

「わりなく」は打開策がなく苦しむ状態。それほどまでにつらいと思っていたのでの意味。後に、そうは見せず等が省略されている。

心やすく 02-146

安心して、気楽に思って。

とだえ置き 02-146

女のもとに通うのをやめる、間があく。

世にあらば 02-147

生きていれば。

はかなき世 02-147

あてどのない身空。

02-148
◇ 「あはれと思ひしほどに」→「わづらはしげに…けしき見えましかば」 
◇ 「見えましかば」→「かくもあくがらさざらまし」「見るやうもはべりなまし/並列)(Aも、Bも)

あはれと思ひしほどに 02-148

当時、まだ愛情があった頃に。「ほど」は程度でもよい。

思ひまとはす 02-148

愛情をからみつける。

わづらはしげに 02-148

「(恨めしと思ふことも)見知らぬやうにて/02-137」「かうのどけきに/02-139」「例のうらもなき/02-143」「つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば/02-147」などとあり、頭中将を困らせるような様子がなかった。

あくがらさざらまし 02-148

途方にくれさすことはしまい、迷わせたりしない。「あくがらす」は本来の場所から遊離した状態にさせる。

さるものにしなして 02-148

立派な妻の地位を与えて。

撫子 02-149

常夏の娘。後に玉鬘として物語の重要人物となる。頭中将は期せずして光源氏に娘を託すことになり、それと知らず光源氏は玉鬘を探索することとなる。これも「(言=事)構造」。

らうたく 02-149

かわいく。

いかで 02-149

何とかして。

のたまへるはかなき例 02-150

諸注にあるように「艶にもの恥」の例でなく、「はかなきついでの情あり/02-057」を受ける。左馬頭はその具体例として指を喰う女を挙げた。それは本心の怒りを表面的にやさしさで覆った女であった。常夏の場合、表面的な表情しか見えず、怒りも何も本心を少しも伺う知ることが出来なかったので、頭中将は頼みにすることができなかったのだ。指を喰う女よりも、こちらが「はかなき」例としては上であるということ。

つれなくて 02-150

女が無表情で。

益なき 02-150

無益な、無駄な。

かれ 02-151

常夏を指す。

はた…しも 02-151

女の方こそはまさしく。

え…思ひ離れず 02-151

私を思って愛情が離れることができず。

人やりならぬ 02-151

自分のせいであって、他人に責任転嫁できない。頭中将に愛情があるうちに、すがりつくなどの行動に出ればよかったのにという、後悔。

これなむ 02-152

このように本心がどこにあるか知れない女は。

え保つまじく 02-152

縁を保つことができない。

頼もしげなき 02-152

頭中将は「をかしともあはれとも心に入らむ人の頼もしげなき疑ひあらむこそ大事なるべけれ/02-080」と言っていた。

02-153
◇ 「されば」→「かのさがな者も…ありなむや」「琴の音…かどかどしさも…重かるべし/並列)(Aも、Bも)

さればかのさがな者も 02-153

常夏の本心が見えないことが当てにならない理由と考えるならば、思い出の中で理想化してきた例の口うるさい女も。エピソードの最後に左馬頭は指を喰う女を「ひとへにうち頼みたらむ方はさばかりにてありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる」と理想化していた。

さしあたりて見む 02-153

差し向かいでの意味であり、正妻として結婚する。

よくせずは 02-153

うまくいかない場合は。

飽きたき 02-153

嫌気が指す。

ありなむや 02-153

きっとそうなっただろうよ。「や」は詠嘆。

琴の音すすめけむ 02-153

琴を上手に弾いた木枯の女は「をかしきに進める方/02-057」の例であった。

かどかどしさ 02-153

才気。

この心もとなきも 02-154

常夏のこと。

疑ひ添ふ 02-154

男がいるのではないかという疑い。

いづれとつひに思ひ定めず 02-154

妻としてどういう女を選ぶべきかはついに決まらないの意味。左馬頭が指を喰う女を「ひとへにうち頼みたらむ方はさばかりにてありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる/02-114」としたのに対する頭中将の意見。「女のこれはしもと難つくまじきは難くもあるかな/02-017」が頭中将のそもそもの持論である。

世の中 02-155

男女のこと。

ただかくこそ 02-155

ただこのように「思ひ定めずなりぬる」。

比べ苦しかるべき 02-155

ある観点を取り出し、それを基準に比較するのは難しい。

難ずべきくさはひまぜぬ 02-156

非難に当たる材料をまぜないの意味。「くさはひ」の感じ表記は「種」。

いづこにか 02-156

どこにいるだろうか。「か」は反語に近い。

吉祥天女 02-157

美・幸福・富を表象する女神で、美女の代名詞。宮中に伝わる五節の舞は吉祥天女が天武天皇の前に現れ、五回袖を振った故事からとの説がある。

思ひかけむ 02-157

懸想する。

法気づき 02-157

抹香臭い。

くすし 02-157

人間業でない。吉祥天女云々は、続く藤式部丞の蒜の女のエピソードを呼び起こす。「(言=事)構造」。

皆笑ひぬ 02-157

「みな笑ひぬ」には敬語が使われていない。この「みな」は「話に参加しているもの皆」の意味であって、光はその場にいながら笑いの輪には加わっていなかったことがわかる。雨夜の品定めにより中流の女に興味を持つようになり、以後の帖で、実際に中流の女性たちと関係してゆくと一般には理解されているが、繰り返すが、以後の帖で中流の女性たちと関係は結ぶが、それはこの帖で興味をもったからではなくて、興味はなかったが、そういう運命であったから、中流の女性と交わるのである。もっと言えば、ここで言葉として中流女性が話題になったから、関心はなくともそういう方向に物語は展開していくのである。先に「言―事」構造と名づけた、源氏物語に通底する物語構造である。ただし、この構造は一人、紫式部のものではなく、おそらく平安という時代は、言語と事柄との関係が裁断されておらず、いまだ混沌とした関係にあったことが、そうした構造を作り出しているのではないか。

2020-05-23

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