さてまた同じころま 帚木08章01

2021-03-29

原文 読み 意味

さて また同じころ まかり通ひし所は 人も立ちまさり 心ばせまことにゆゑありと見えぬべく うち詠み 走り書き 掻い弾く爪音 手つき口つき みなたどたどしからず見聞きわたりはべりき 見る目もこともなくはべりしかば このさがな者をうちとけたる方にて 時々隠ろへ見はべりしほどは こよなく心とまりはべりき この人亡せて後 いかがはせむ あはれながらも過ぎぬるはかひなくて しばしばまかり馴るるには すこしまばゆく 艶に好ましきことは目につかぬ所あるに うち頼むべくは見えず かれがれにのみ見せはべるほどに 忍びて心交はせる人ぞありけらし

02103/難易度:☆☆☆

さて また/おなじ/ころ まかり/かよひ/し/ところ/は ひと/も/たち-まさり こころばせ/まこと/に/ゆゑ/あり/と/みエ/ぬ/べく うち-よみ はしり-かき かい-ひく/つまおと てつき/くちつき みな/たどたどしから/ず/み/きき/わたり/はべり/き みる/め/も/こと/も/なく/はべり/しか/ば この/さがな/もの/を/うち-とけ/たる/かた/にて ときどき/かくろへ/み/はべり/し/ほど/は こよなく/こころ/とまり/はべり/き この/ひと/うせ/て/のち いかがは/せ/む あはれ/ながら/も/すぎ/ぬる/は/かひなく/て しばしば/まかり/なるる/に/は すこし/まばゆく えん/に/このましき/こと/は/め/に/つか/ぬ/ところ/ある/に うち-たのむ/べく/は/みエ/ず かれがれ/に/のみ/みせ/はべる/ほど/に しのび/て/こころ/かはせ/る/ひと/ぞ/あり/け/らし

「さてまた、同じ頃わたくしめの通っておりましたところは人品も格段にまさり、趣味の面でもまことに教養深いと誰もが思うように、歌もやすやすと詠み、字もさらさらと書き、ちょっと鳴らしてみる琴の爪音演奏の手ぶり歌いぶり、みなこともなくこなして見せるのを幾度となく目にも耳にもして来たものです。見た目も難はございませんでしたから、例のやかまし屋は気安い通いどころにとっておき、この女と時々人目を忍んで逢いびきしていましたうちはこれ以上ないほど惚れこんでおりました。例の女が亡くなってからはいかんせん、愛しくとも死んでしまっては頼み甲斐がなくて、といって度々通い馴れるには目を覆いたくなるほどあだっぽく多情な質は性に合わぬところがあるため生涯の伴侶として頼める女には見えなくて、とだえがちにのみ姿をみせるうちに隠れて情を通わす男ができたらしいのです。

大構造と係り受け

さて また同じころ まかり通ひし所は 人も立ちまさり 心ばせまことにゆゑありと見えぬべく うち詠み 走り書き 掻い弾く爪音 手つき口つき みなたどたどしからず見聞きわたりはべりき 見る目もこともなくはべりしかば このさがな者をうちとけたる方にて 時々隠ろへ見はべりしほどは こよなく心とまりはべりき この人亡せて後 いかがはせむ あはれながらも過ぎぬるはかひなくて しばしばまかり馴るるには すこしまばゆく 艶に好ましきことは目につかぬ所あるに うち頼むべくは見えず かれがれにのみ見せはべるほどに 忍びて心交はせる人ぞありけらし

古語探訪

同じころ 02103

「まだいと下臈にはべりし時/02094」

所 02103

女の意味。貴人の人数を数える数詞に用いるので、この表現からも、このエピソードの主人公である木枯の女の出自の良さがうかがわれる。

人も立ちまさり 02103

人柄もまさると注されているが、指食いの女は嫉妬を除いては理想的な女であったのだから、それより人柄がよいとは考えにくい。人格面でなく、家柄・育ちのこと。「立ちまさり」はずっとすぐれる。

心ばせ 02103

趣味や嗜好。心が向かう先の意味で、対象が人であれば思いやりの意味となり、対象が物であれば趣味の意味となる。

ゆゑあり 02103

最高の教養。

見えぬべく 02103

「見ゆ」+「ぬ」+「べし」。誰からもきっとそのように見られる。

手つき 02103

琴の演奏方法。

口つき 02103

(琴を弾きながらの)歌いぶり。

みな 02103

みなの語義は、そこに居合わせたものすべて、即ち、限定された集団内の要素すべての意味である。従って、無限定に、何事につけという解釈は語義に合わない。みなの前に列記されているもの、どれもこれもの意味。

たどたどしからず 02103

「たどたどし」は渋滞する感覚。文字通りでは、たどたどしくないの意味だが、否定を使ってへりくだった表現をしているが、実質はかなり積極的なほめ言葉である。「否定的小さな賞賛=肯定的大きな賞賛」という公式が多くの場合成り立つ。

わたり 02103

長い時間をかけて見たり聞いたりした。

見るめ 02103

見た目。

こともなく 02103

大きな問題はない。「否定的小さな賞賛=肯定的大きな賞賛/02117参照)。

このさがな者 02103

例の口うるさい者、即ち、指食いの女。

うちとけたる 02103

「まめまめしき筋を立てて耳はさみがちに美さうなき家刀自のひとへにうちとけたる後見ばかりをして/02058」とあった。男女の距離感がなく、生きるための世話焼きのレベルで、貴族の精神基盤である文化面が欠如している。

隠ろへ見 02103

人目を忍んで性的関係を結ぶ。

心とまり 02103

惚れる。指を喰う女は「容貌などいとまほにもはべらざりしかば若きほどの好き心にはこの人をとまり(生涯連れ添うつもりの相手)にとも思ひとどめはべらず/02094」とあり、対比的である。

◇「すこしまばゆく艶に好ましきことは目につかぬ所あるに」:「うち頼むべくは見えず」との判断理由

この人 02103

指食いの女。

あはれ 02103

愛情をいだく。

過ぎぬる 02103

関係が終わる。死ぬ。「ぬる」は完了の助動詞。

まかり馴るるには 02103

「には」は仮定条件。時間の経過を示すと解釈するなら「まかり馴れたるには」などとなるか。

まばゆく 02103

正視に堪えない。

艶に 02103

なまめかしい、色っぽい。指を喰う女が「艶なる歌も詠まず/02099」とされていたのと対照的である。

好ましき 02103

浮気っぽい。

目につかぬ 02103

気に入らない。「心につかぬ」とほぼ同義だが、「まばゆく」の流れから「目につかぬ」としたのだろう。

うち頼む 02103

伴侶として頼むこと。「うち」はすっかり。

かれがれ 02103

途絶えがちに。

見せ 02103

顔を見せる、姿を見せるの意味。訪問。

忍びて 02103

こっそりと、左馬頭に隠れて。

けらし 02103

助動詞で、過去に対する推定で、根拠がある場合に用いられることが多いとされる。現在推量の「らむ」と「らし」に対する、過去に対する推量「けむ」と「けらし」。

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