菊を折りて琴の音も 帚木08章04
- 1. 原文 読み 意味
- 1.1. 大構造と係り受け
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1.1.1. 菊を折りて 02106
- 1.1.1.2. えならぬ 02106
- 1.1.1.3. つれなき人 02106
- 1.1.1.4. ひきやとめける 02106
- 1.1.1.5. 悪ろかめり 02106
- 1.1.1.6. 聞きはやすべき人 02106
- 1.1.1.7. 木枯に 02106
- 1.1.1.8. 笛の音 02106
- 1.1.1.9. ひきとどむ 02106
- 1.1.1.10. 言の葉 02106
- 1.1.1.11. なまめきかはす 02106
- 1.1.1.12. 箏の琴 02106
- 1.1.1.13. 盤渉調 02106
- 1.1.1.14. かどなきにはあらねど 02106
- 1.1.1.15. まばゆき 02106
- 1.1.1.16. 語らふ 02106
- 1.1.1.17. さればみ 02106
- 1.1.1.18. 好きたる 02106
- 1.1.1.19. さても見るべき 02106
- 1.1.1.20. さる所 02106
- 1.1.1.21. よすが 02106
- 1.1.1.22. さし過ぐしたり 02106
- 1.1.1.23. 心おかれ 02106
- 1.1.1.24. ことつけて 02106
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1. 大構造と係り受け
原文 読み 意味
菊を折りて
琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける
悪ろかめりなど言ひて 今ひと声 聞きはやすべき人のある時 手な残いたまひそなど いたくあざれかかれば 女いたう声つくろひて
木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき
となまめき交はすに 憎くなるをも知らで また 箏の琴を盤渉調に調べて 今めかしく掻い弾きたる爪音 かどなきにはあらねど まばゆき心地なむしはべりし ただ時々うち語らふ宮仕へ人などのあくまでさればみ好きたるは さても見る限りはをかしくもありぬべし 時々にても さる所にて忘れぬよすがと思ひたまへむには 頼もしげなくさし過ぐいたりと心おかれて その夜のことにことつけてこそ まかり絶えにしか
02106/難易度:★☆☆
きく/を/をり/て
こと/の/ね/も/つき/も/え/なら/ぬ/やど/ながら/つれなき/ひと/を/ひき/や/とめ/ける
わろか/めり/など/いひ/て いま/ひと/こゑ きき-はやす/べき/ひと/の/ある/とき て/な/のこい/たまひ/そ/など いたく/あざれ-かかれ/ば をむな/いたう/こゑ/つくろひ/て
こがらし/に/ふき/あはす/める/ふえ/の/ね/を/ひき/とどむ/べき/ことのは/ぞ/なき
と/なまめき/かはす/に にくく/なる/を/も/しら/で また さう/の/こと/を/ばんしき-でう/に/しらべ/て いまめかしく/かい-ひき/たる/つまおと かど/なき/に/は/あら/ね/ど まばゆき/ここち/なむ/し/はべり/し ただ/ときどき/うち-かたらふ/みやづかへ-びと/など/の/あくまで/さればみ/すき/たる/は さて/も/みる/かぎり/は/をかしく/も/あり/ぬ/べし ときどき/にて/も さる/ところ/にて/わすれ/ぬ/よすが/と/おもひ/たまへ/む/に/は たのもしげ/なく/さし-すぐい/たり/と/こころおか/れ/て その/よ/の/こと/に/ことつけ/て/こそ まかり/たエ/に/しか
色の移ろった菊を折って、
《琴の音もよく月もさしこむ申し分ない宿なのですから これまでつれない夫をひきとめて来たのでしょうね》
どうやら分は悪そうに見えますなあ」などと言って、「もう一曲。聞いてよろこぶ人がある時に、弾き惜しみはなりませんぞ」などと、ひどく戯れかかったところ、女もひどく声を作って、
《人目も木の葉も枯らしてしまう木枯らしに 合わせてお吹きになっているようなはげしい笛の音を ひいてとめさせる琴も言葉も持ち合わせておりませんわ》
と、悩ましい歌を詠みかわすので、聞いてるこちらが業を煮やすのも知らず、お次はまた筝の琴を華やかな盤渉調で奏でるのですが、今風に弾く爪音は才気を感じなくもなかったのですが、居たたまれない思いでした。単に時々ちょっかいを出す宮仕えの女房などが、どこまでも物馴れた調子で男好きなのは、そのように付き合う限りには気をそそられするものですが、時々であっても、しっかりとした通いどころとして忘れることのない連れ合いと思ってみますには、頼もしい感じはなく好きがましいにもほどがあるとつい気持ちが離れてしまい、その夜のことにかこつけて通うのをぷっつりやめてしましました。
大構造と係り受け
菊を折りて
琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける
悪ろかめりなど言ひて 今ひと声 聞きはやすべき人のある時 手な残いたまひそなど いたくあざれかかれば 女いたう声つくろひて
木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき
となまめき交はすに 憎くなるをも知らで また 箏の琴を盤渉調に調べて 今めかしく掻い弾きたる爪音 かどなきにはあらねど まばゆき心地なむしはべりし ただ時々うち語らふ宮仕へ人などのあくまでさればみ好きたるは さても見る限りはをかしくもありぬべし 時々にても さる所にて忘れぬよすがと思ひたまへむには 頼もしげなくさし過ぐいたりと心おかれて その夜のことにことつけてこそ まかり絶えにしか
古語探訪
菊を折りて 02106
「菊いとおもしろく移ろひわたり/02105」とあった。色が移ろうは、夫の心変わりを含意する。
えならぬ 02106
えも言われぬ(ほどすばらしい)。
つれなき人 02106
冷淡な夫、左馬頭を指す。
ひきやとめける 02106
「や」は疑問の投げかけ。実質は反語。
悪ろかめり 02106
さまざまな解釈がなされている。押さえるべき点は、どういう状況を「悪ろし」というのか、誰にとって「悪ろし」か、「めり」とあるので、現在のことであり、視覚化しやすい状況等を考慮しなければならない。この語が歌の後にあるのだから、歌との関わりで解釈すのが一番自然である。歌意である「これまで(「けり」は過去からこの時点までの経過・継続)つれない夫を引き留められてきたのですか」という投げかけに対し、女の答えを待たずに、どうも状況は悪そうに見えると自答したのである。もちろん、左馬頭に聞かせるのが狙い。今頃のこのこやって来ても、この女はあなたを引き留めたりしないと言いたいのだ。女にあてつけている風をして、その実、左馬頭をこけにしたいのである。と考えるなら、「悪ろかめり」も左馬頭に聞かせる意図であったろう。もうこの状況ではあなたの立場はないという宣告となる。
聞きはやすべき人 02106
「ききはやす」は「聞いて囃し立てる」の意味とし、対象は上人とされているが、「はやす」は「栄やす・映やす」(引き立てる)と、「囃す」(拍子をとって曲を盛り上げる)の意味をかけている。従って、その対象は、表面的には上人だろうが、左馬頭にあてつける意図が裏側にあることを見逃してはならない。上人本人のみで考えるならば、もう一曲所望したに過ぎず、「ひどくあざれかか」ることに結びつかない。普通、男女が歌を詠み交わす場合、紙に書いて交換するものである。しかし、ここでは男が詠いかけ、女がまた直接に詠み返している特殊な状況である。左馬頭の前で戯れ合っているに等しい。左馬頭に見られ、聞かれることで興奮を高めている。その二人の興奮を盛り立てる役が左馬頭なのだ。
木枯に 02106
「風に競へる紅葉の乱れ/02105」とあった。その折りの状況を下に敷く。
笛の音 02106
上人が吹く笛に、女が言い返すことができないほど、つぎつぎに言葉を繰り出す上人の話しぶりをかける。
ひきとどむ 02106
琴の調べで上人の笛の音をかき消すことと、夫を引き止めることと、上人の容赦のない言葉を打ち消すことををかける。
言の葉 02106
「琴」と「言葉」をかける。なお、木枯が吹けば、男の通ったあとが庭に残っていよういまいが、落ち葉が舞い散り、跡は消えてしまうのだから、この点、女は男の和歌だけでなく、「庭の紅葉こそ」の発言にも答えたことになる。
なまめきかはす 02106
和歌を取り交わすときに多く使用されると説明されるが、それだと、左馬頭は単なるナレーターとして状況を説明したに過ぎなくなる。左馬頭にとって、二人の和歌がなまめいて聞こえたと解釈したい。まず、なまめきかはすとは、異性に対してモーションをかけることであり、歌を直接口にしあうことがそもそも、他人が入りこめない蜜月状態にある。わたしの「言の葉」ではあなたの言葉を止められないと言いながらまた箏の琴を弾くのだから、聞かされる左馬頭にすれば何をか言わんやという思いであったろう。
箏の琴 02106
中国伝来の十三弦の琴。琴の中でも大がかりだから、歌では引き留めえないといいながらも、上人の言葉に対抗し、さらに男を高ぶらせる意図がみえる。
盤渉調 02106
現代風ではなやかな曲調とされている。
かどなきにはあらねど 02106
才能。「その片かどもなき人はあらむや/02023」という光源氏の質問があり、左馬頭はこの質問は直接聞いていないが、結果としてその答えになっている。
まばゆき 02106
現代ではもっぱら光りについて言うが、光りに限らず、その刺激が続くことがつらいこと。この場合、上手いがその琴を聞きつづけるのが苦痛であるとの意味。
◇「宮仕へ人などのあくまでさればみ好きたる/AのB連体形):「をかしくもありぬべし」の主語
語らふ 02106
異性との間では、愛のささやき。
さればみ 02106
垢抜けした、都会的感覚。男女経験が豊か。
好きたる 02106
風流を好む、男好きの。
さても見るべき 02106
そういう状況下で付き合う。
さる所 02106
ふさわしい所。しかるべき所。この場合は、雨夜の品定めの論点である、生涯の伴侶にふさわしい相手。「さる方のよすがに思ひてもありぬべきに/02075」とあった。前後を補って解釈すると、男の浮気性を恨みカッとなって心が離れてしまうのも烏滸がましい限りで、たとえ心がふらふらしていても惚れた当初の愛情を大切に思う男は(誠実なのだから)、生涯のより所に思ってもみるべきなのに、そんなたじろぎから縁は絶えてしまうのは必定だ。これをもってくると、女に浮気癖があるからと言って、当初の愛情を持ち合わせているなら、誠実な証拠なのだから、生涯の伴侶に相応しいと思うべきだ、という論理になるはずであるが、左馬頭の結論は正反対である。理由は明記されていないが、前言とこの場面が違う点をいくつか列挙しておく。
一、浮気性にも限度があり、許されるものとそうでない場合がある。
一、浮気現場を見てしまっては話は別である。
一、女が同じことをするのは許せない。
よすが 02106
頼りとするところ。より所。
さし過ぐしたり 02106
行き過ぎである。この点から考えると、女の行動は、左馬頭の限度を超えていたということになろう。
心おかれ 02106
自然と心理的に距離をおいてしまうこと。
ことつけて 02106
ここつける。口実にする。