そのかみ思ひはべり 帚木07章03
- 1. 原文 読み 意味
- 1.1. 大構造と係り受け
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1.1.1. そのかみ 02096
- 1.1.1.2. かうあながちに従ひ怖ぢたる 02096
- 1.1.1.3. この方 02096
- 1.1.1.4. さがなさ 02096
- 1.1.1.5. やめむ 02096
- 1.1.1.6. 憂し 02096
- 1.1.1.7. 思うたまへ得て 02096
- 1.1.1.8. つれなきさまを見せて 02096
- 1.1.1.9. 例の腹立ち怨ずるに 02096
- 1.1.1.10. おぞまし 02096
- 1.1.1.11. くは 02096
- 1.1.1.12. いみじき契り 02096
- 1.1.1.13. 限りと思はば 02096
- 1.1.1.14. わりなき 02096
- 1.1.1.15. つらきこと 02096
- 1.1.1.16. 見えむ 02096
- 1.1.1.17. 念じて 02096
- 1.1.1.18. なのめに思ひなりて 02096
- 1.1.1.19. かかる心だに失せなばいとあはれとなむ思ふべき 02096
- 1.1.1.20. おとなびむ 02096
- 1.1.1.21. 添へて 02096
- 1.1.1.22. 並ぶ人なき 02096
- 1.1.1.23. かしこく 02096
- 1.1.1.24. 教へたつる 02096
- 1.1.1.25. たけく 02096
- 1.1.1.26. 言ひそし 02096
- 1.1.1.27. うち笑ひて 02096
- 1.1.1.28. 見立てなく 02096
- 1.1.1.29. ものげなき 02096
- 1.1.1.30. ほど 02096
- 1.1.1.31. 見過ぐし 02096
- 1.1.1.32. 人数なる 02096
- 1.1.1.33. いとのどかに思ひなされて 02096
- 1.1.1.34. 心やましく 02096
- 1.1.1.35. つらき心を忍んで 02096
- 1.1.1.36. あいな頼み 02096
- 1.1.1.37. かたみに 02096
- 1.1.1.38. 背き 02096
- 1.1.1.39. きざみ 02096
- 1.1.1.40. ねたげ 02096
- 1.1.1.41. 言ひはげまし 02096
- 1.1.1.42. をさめぬ 02096
- 1.1.1.43. 筋 02096
- 1.1.1.44. おどろおどろしく 02096
- 1.1.1.45. かこち 02096
- 1.1.1.46. 交じらひ 02096
- 1.1.1.47. いとどしく 02096
- 1.1.1.48. 人めかむ 02096
- 1.1.1.49. 世を背き 02096
- 1.1.1. 古語探訪
- 1.1. 大構造と係り受け
原文 読み 意味
そのかみ思ひはべりしやう かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり いかで懲るばかりのわざして おどして この方もすこしよろしくもなり さがなさもやめむと思ひて まことに憂しなども思ひて絶えぬべき気色ならば かばかり我に従ふ心ならば思ひ懲りなむと思うたまへ得て ことさらに情けなくつれなきさまを見せて 例の腹立ち怨ずるに かくおぞましくは いみじき契り深くとも 絶えてまた見じ 限りと思はば かくわりなきもの疑ひはせよ 行く先長く見えむと思はば つらきことありとも 念じてなのめに思ひなりて かかる心だに失せなば いとあはれとなむ思ふべき 人並々にもなり すこしおとなびむに添へて また並ぶ人なくあるべきやうなど かしこく教へたつるかなと思ひたまへて われたけく言ひそしはべるに すこしうち笑ひて よろづに見立てなく ものげなきほどを見過ぐして 人数なる世もやと待つ方は いとのどかに思ひなされて 心やましくもあらず つらき心を忍びて 思ひ直らむ折を見つけむと 年月を重ねむあいな頼みは いと苦しくなむあるべければ かたみに背きぬべききざみになむある とねたげに言ふに 腹立たしくなりて 憎げなることどもを言ひはげましはべるに 女もえをさめぬ筋にて 指ひとつを引き寄せて喰ひてはべりしを おどろおどろしくかこちて かかる疵さへつきぬれば いよいよ交じらひをすべきにもあらず 辱めたまふめる官位 いとどしく何につけてかは人めかむ 世を背きぬべき身なめりなど言ひ脅して さらば 今日こそは限りなめれと この指をかがめてまかでぬ
02096/難易度:★★☆
そのかみ/おもひ/はべり/し/やう かう/あながち/に/したがひ/おぢ/たる/ひと/な/めり いかで/こる/ばかり/の/わざ/し/て おどし/て この/かた/も/すこし/よろしく/も/なり さがなさ/も/やめ/む/と/おもひ/て まこと/に/うし/など/も/おもひ/て/たエ/ぬ/べき/けしき/なら/ば かばかり/われ/に/したがふ/こころ/なら/ば/おもひ/こり/な/む/と/おもう/たまへ/え/て ことさら/に/なさけなく/つれなき/さま/を/みせ/て れい/の/はらだち/ゑんずる/に かく/おぞましく/は いみじき/ちぎり/ふかく/とも/たエて/また/み/じ かぎり/と/おもは/ば かく/わりなき/もの-うたがひ/は/せ/よ ゆくさき/ながく/みエ/む/と/おもは/ば つらき/こと/あり/とも ねんじ/て/なのめ/に/おもひ/なり/て かかる/こころ/だに/うせ/な/ば いと/あはれ/と/なむ/おもふ/べき ひと-なみなみ/に/も/なり すこし/おとなび/む/に/そへ/て また/ならぶ/ひと/なく/ある/べき/やう/など かしこく/をしへ/たつる/かな/と/おもひ/たまへ/て われ/たけく/いひそし/はべる/に すこし/うち-われひ/て よろづに/みだてなく ものげなき/ほど/を/みすぐし/て ひとかず/なる/よ/も/や/と/まつ/かた/は いと/のどか/に/おもひなさ/れ/て こころやましく/も/あら/ず つらき/こころ/を/しのび/て おもひなほら/む/をり/を/みつけ/む/と としつき/を/かさね/む/あいなだのみ/は いと/くるしく/なむ/ある/べけれ/ば かたみに/そむき/ぬ/べき/きざみ/に/なむ/ある と/ねたげ/に/いふ/に はらだたしく/なり/て にくげ/なる/こと-ども/を/いひはげまし/はべる/に をむな/も/え/をさめ/ぬ/すぢ/にて および/ひとつ/を/ひきよせ/て/くひ/て/はべり/し/を おどろおどろしく/かこち/て かかる/きず/さへ/つき/ぬれ/ば いよいよ/まじらひ/を/す/べき/に/も/あら/ず はづかしめ/たまふ/める/つかさ/くらゐ いとどしく/なに/に/つけ/て/かは/ひとめか/む よ/を/そむき/ぬ/べき/み/な/めり/など/いひおどし/て さらば けふ/こそ/は/かぎり/な/めれ/と この/および/を/かがめ/て/まかで/ぬ
その当初思いましたことには、こうもむやみに従順で怯えてばかりいる女のようだ、何とか懲りごりする目をみせ脅しつけて、例の方面でもすこしましにもなり口やかましいのも直してやろうと、本当にうんざりだとでも思って金輪際縁切りだと素振りを示せば、これほど自分に従う気持ちがあるならきっと思い懲りるだろうと思い至り、ことさらに容赦なくつれない様子を見せますと、例によって腹立ち恨みたてるのに乗じて、「こうも感情を露わにするのでは、たとえ夫婦の宿縁が深くてもこれを最後にもう逢うまい。これぎりと思うならこうも理不尽な邪推をしていろ。行く先長く連れ添ってもらいたいなら、恨めしいことがあってもじっとこらえて男にはありがちなことだと自制して、こんなひがみさえなくなればどんなにいとしく思えることか。私が人並みにも出世し、すこし貫禄でも出ようなら、正妻たるそなたに並ぶ女などいはしないのだから」などと、みごと諭しおおせたと思いながらいい気になってまくし立てておりますと、女は薄笑いをうかべて「何事につけ見栄えせずぱっとしない間を見過ごして人並みに出世する時もあろうかと待つ分には、たいそう悠長にかまえられて心苦しくもありませんでした。辛気な思いをじっとこらえて浮気の性の思い直る時がくるのを見届けようと年月を重ねてゆく当てどないそら頼みは、ひどく苦しいものでしょうから、もうお互い別れ別れになる汐時でしょう」といまいましげに言うので、腹立たしくなって憎まれ口をさんざ言いつのりましたところ、女もどうして納まらないたちで私の指を一本引き寄せ食いつきましたので、大げさにいたがりこれを口実にして、「こんな傷までつけられては、いよいよ出仕するわけにもまいかぬ。よくもばかにしてくれた官位もますますもってどうあがけば人並みになれようか。世を捨てるよりない身だろうよ」など言い脅して、「では、今日こそはもう仕舞いだね」と、噛まれた指を痛そうに曲げたまま表へ出たものです。
大構造と係り受け
そのかみ思ひはべりしやう かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり いかで懲るばかりのわざして おどして この方もすこしよろしくもなり さがなさもやめむと思ひて まことに憂しなども思ひて絶えぬべき気色ならば かばかり我に従ふ心ならば思ひ懲りなむと思うたまへ得て ことさらに情けなくつれなきさまを見せて 例の腹立ち怨ずるに かくおぞましくは いみじき契り深くとも 絶えてまた見じ 限りと思はば かくわりなきもの疑ひはせよ 行く先長く見えむと思はば つらきことありとも 念じてなのめに思ひなりて かかる心だに失せなば いとあはれとなむ思ふべき 人並々にもなり すこしおとなびむに添へて また並ぶ人なくあるべきやうなど かしこく教へたつるかなと思ひたまへて われたけく言ひそしはべるに すこしうち笑ひて よろづに見立てなく ものげなきほどを見過ぐして 人数なる世もやと待つ方は いとのどかに思ひなされて 心やましくもあらず つらき心を忍びて 思ひ直らむ折を見つけむと 年月を重ねむあいな頼みは いと苦しくなむあるべければ かたみに背きぬべききざみになむある とねたげに言ふに 腹立たしくなりて 憎げなることどもを言ひはげましはべるに 女もえをさめぬ筋にて 指ひとつを引き寄せて喰ひてはべりしを おどろおどろしくかこちて かかる疵さへつきぬれば いよいよ交じらひをすべきにもあらず 辱めたまふめる官位 いとどしく何につけてかは人めかむ 世を背きぬべき身なめりなど言ひ脅して さらば 今日こそは限りなめれと この指をかがめてまかでぬ
◇ 「ただこの憎き方一つなむ心をさめずはべりし」:大構造
◇ 「この女のあるやう、もとより、…進める方と思ひしかど」:一見するとそのように見える行動原理
◇ 「もとより」→「進める方と思ひしかど」
◇ 「醜き容貌をもこの人に見や疎まれむとわりなく思ひつくろひ」「疎き人に見えば面伏せにや思はむと憚り恥ぢて」:対の表現
◇ 「そのかみ思ひはべりしやう…さがなさもやめむと思ひ(て)」:行動を起こす以前から考えていた内容
◇ 「まことに憂しなども…思うたまへ得て」:行動を起こす時点で思い至った内容
◇ 「おぞましくは」「限りと思はば」「見えむと思はば」「失せなば」と仮定を畳みかけることで、反論を許さず、左馬頭のテンションは上がる一方。
◇ 「すこしうち笑ひて」→「(と)ねたげに言ふに」
◇ 「よろづに見立てなく…心やましくもあらず」「つらき心を忍びて…いと苦しくなむあるべけれ(ば)」:対の表現
◇ 男は今に出世するから浮気を見過ごせという論法、女は出世は期待していないし、浮気を見過ごすくらいなら別れようという論法。
古語探訪
そのかみ 02096
その当時、それ以前に。
かうあながちに従ひ怖ぢたる 02096
「かう」が何を指すか。「あながちに従ひ」に関しては「とかくになびきてなよびゆき/02095」に見られる。「(あながちに)怖ぢたる」に関しては明瞭でないが、左馬頭に疎まれることをひどく恐れている「(この人に見や疎まれむと)わりなく思ひ/02095」に表れている。
この方 02096
嫉妬。
さがなさ 02096
口さがなさ。「あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて/02094」とある。
やめむ 02096
(下二段・他動詞)やめさせよう。
憂し 02096
ひどくつらい。
思うたまへ得て 02096
思いついて。
つれなきさまを見せて 02096
つれない様子を見せたところ
例の腹立ち怨ずるに 02096
どのように女が腹立ち怨じたかは具体的に述べない省略法。左馬頭の思惑通りに進んでいるスピード感が生まれる。
おぞまし 02096
激しい感情。
くは 02096
仮定条件。このように感情を剥き出しにするのであれば。
いみじき契り 02096
宿縁。運命によって導かれた強い夫婦仲。
限りと思はば 02096
これを限りと思うなら。
わりなき 02096
道理をこえた、異常な。
つらきこと 02096
男の浮気によるつらいこと。
見えむ 02096
「見ゆ」+「む」。結婚生活を続けてもらう。「見ゆ」は受け身で、男に見られる状況はすなわち、結婚することを意味する。生活費は女が捻出しながら、結婚してもらうという受け身表現になるところが、現代感覚とはズレるので注意したい。
念じて 02096
我慢して。
なのめに思ひなりて 02096
形容詞・形容動詞の連用形+「思ふ」。「なのめなり」と思って。「なのめ」はよくあること、普通のこと。「思ひなり」はそのように思うように努める。自ら制御すること。即ち、感情を爆発させるような特別なことではなく、男にはありがちなことだと思うように努めよ、と言いたい。
かかる心だに失せなばいとあはれとなむ思ふべき 02096
左馬頭はこの段階でも「いとあはれ」とは思っていない。女に対する愛情表現を拾うと「心づきなく(愛情がわかず)/02094」「心もけしうはあらずはべりしかど(愛情もかなり沸いてきましたが)/02095」となる。女を失ったあとに「(いと)あはれ」に変わるのである。
おとなびむ 02096
「おとなぶ」+「む」。「おとなぶ」は成人するの意味もあるが、ここでは年齢が進み、それ相応の社会的地位を得ることを意味しよう。
添へて 02096
それにしたがって。夫の地位が増せば、それに併せて妻の社会的地位も向上する。家をささえる女房や随身など住み込む人数も増える。現代の家族構成とは異なる点に注意。
並ぶ人なき 02096
正妻の座を得て、押しも押されぬ立場になる。
かしこく 02096
恐れ入らせるように。
教へたつる 02096
教え込む。
たけく 02096
たけだけしく。
言ひそし 02096
度を超えて強く言う。「そす」の漢字表記は「過す」。
うち笑ひて 02096
薄気味悪く笑うこと。女は反論するのを待ち構えていた。
見立てなく 02096
見栄えがしない。ぱっとしない。
ものげなき 02096
何ほどのものでもない。「もの」のようなどっしりとした存在感がない。
ほど 02096
期間。
見過ぐし 02096
大目に見る。
人数なる 02096
人並みになる。「すこしおとなびむ(ある程度の社会的地位を得る)」ことまでは、女は期待していない。なかなかに手厳しい一語。
いとのどかに思ひなされて 02096
たいそうのびやかに腹も立たずにいられたが。「思ひなす」は心を決める。左馬頭の発言「なのめに思ひなりて」を受けた表現。男が浮気をありふれたことだと思えと言ったのを受け、体裁の上がらぬ男が出世できないのはありふれたことだとのんびり構えていたと切り返す。
心やましく 02096
もどかしく思う。
つらき心を忍んで 02096
嫉妬で苦しむ心を我慢して。左馬頭の発言「つらきことありとも念じて」を受けた表現。
あいな頼み 02096
空頼み。
かたみに 02096
お互いに。
背き 02096
そっぽを向く、即ち、別れる。
きざみ 02096
時刻。頃合い。
ねたげ 02096
いまいましげに。憎々しげに。
言ひはげまし 02096
自分の言葉に激してますます言い募ること。
をさめぬ 02096
我慢する。自制する。
筋 02096
そういう性状、性質、たち。
おどろおどろしく 02096
大袈裟に。
かこち 02096
口実にする。
交じらひ 02096
宮仕え。
いとどしく 02096
ますます。
人めかむ 02096
「人めく」+「む」。人と同じようになる、人並みになる。要するに出世する。
世を背き 02096
出家する。