女のこれはしもと難 帚木02章09

2021-04-18

原文 読み 意味

女のこれはしもと難つくまじきは 難くもあるかなと やうやうなむ見たまへ知る

02017/難易度:☆☆☆

をむな/の/これ/は/しも/と/なん/つく/まじき/は かたく/も/ある/かな/と やうやう/なむ/み/たまへ/しる

(頭中将)世の女性でこれこそはと難点をみつけられないのは、めったにないものだなと、近頃ようやく分かってまいりましたよ。

文構造&係り受け

主語述語と大構造

  • と…なむ見たまへ知る 三次元構造

〈女〉のこれはしもと難つくまじき〉は 難くもあるかな 〈[頭中将]〉やうやうなむ見たまへ知る

助詞と係り受け

女のこれはしもと難つくまじきは 難くもあるかなと やうやうなむ見たまへ知る

ここより有名な「雨夜の品定め」となる。それまではシチュエーション作り。

古語探訪

難つく 02017

非難する。

見たまへ知る 02017

「見知る」に謙譲語の「たまへ」(下二段活用)がついた語。自分の動作に用いる。

〈テキスト〉〈語り〉〈文脈〉の背景

「言-事」構造 02017

「女のこれはしもと難つくまじきは」から始まるのが高名な「雨夜の品定め」。これより前が導入であり、「忍ぶの乱れや/02004」は藤壺との関係を匂わす働きをしている。以後、光は品定めの聞き役を引き受けるが、通例説かれているように光はそれらの議論に関心を示しているとは読めない。光の頭にあるのは藤壺のことである。ただし、光が品定めの議論に関心を持っていないことと、品定めの議論以後、そこで行われたやりとり通りに中流の女性と出会ってゆくこととは別である。その議論に興味を覚えて中流女性を恋するのではなく、中流女性と出会う運命にあり、議論は登場人物の予期しないながら、運命の先取りをしたと考える方がよい。これは高麗人の予言と同じ構造である。なすなち、「深い意味があるとの意識なく言葉が先ず発せられ、それを追いかけるように重大事件が発生する」というパターンが頻出する。これを「言―事」構造と呼ぶことにしよう。言葉にはまだ魔力があり、それが語られることで、実際に起こってしまうのである。
この変種が「事―言」構造で、事件を知らない第三者が、そのことを言い当ててしまうというパターン。「女のこれはしもと難つくまじきは難くもあるかな」がそれで、光源氏と藤壺の関係を知る聞き手には、この発言が頭中将の本来の意図から逸れた意味を光源氏に突きつけるように響く。聴く者の立ち場によって、言葉の重みや意味が異なってくるのだ。源氏物語は事柄と言葉が濃密に関わりあった空間を形成しており、言葉が発せられることで、水面に石が投じられたごとく、事柄が立ち上がってくるのである。言葉と事柄の連鎖こそ、物語の本来的あり方であろう。
なおまた、言葉には発する人物があり、発言内容のみならず、発話者のキャラクターも物語に意味を与える重要な要素である。雨夜の品定めの導入部で、光源氏は「好き好きしさは好ましからぬ御本性/心尽くし」というアンビバレントな性格が説かれている。一方で頭中将は、「好きがましきあだ人」「なれなれし」など、性格作りが単純である。

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