君はいかにたばかり 帚木16章04

2021-05-14

原文 読み 意味

君は いかにたばかりなさむと まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに 不用なるよしを聞こゆれば あさましくめづらかなりける心のほどを 身もいと恥づかしくこそなりぬれと いといとほしき御気色なり とばかりものものたまはず いたくうめきて 憂しと思したり
 帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな
聞こえむ方こそなけれとのたまへり 女も さすがにまどろまざりければ
 数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
と聞こえたり 小君 いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを 人あやしと見るらむとわびたまふ

02137/難易度:☆☆☆

きみ/は いかに/たばかり/なさ/む/と まだ/をさなき/を/うしろめたく/まち/ふし/たまへ/る/に ふよう/なる/よし/を/きこゆれ/ば あさましく/めづらか/なり/ける/こころ/の/ほど/を み/も/いと/はづかしく/こそ/なり/ぬれ/と いと/いとほしき/みけしき/なり とばかり/もの/も/のたまは/ず いたく/うめき/て うし/と/おぼし/たり
 ははきぎ/の/こころ/を/しら/で/そのはら/の/みち/に/あやなく/まどひ/ぬる/かな
きこエ/む/かた/こそ/なけれ/と/のたまへ/り をむな/も/さすが/に/まどろま/ざり/けれ/ば
 かず/なら/ぬ/ふせや/に/おふる/な/の/うさ/に/ある/に/も/あら/ず/きゆる/ははきぎ
と/きこエ/たり こぎみ いと/いとほしさ/に/ねぶたく/も/あら/で/まどひ/ありく/を ひと/あやし/と/みる/らむ/と/わび/たまふ

君は、小君がどんなふうに渡りをつけるのか、まだ幼いのを案じながら横になって待っておられたが、不首尾に終った由を申し上げたところ、あまりのことでありこれまでまったく経験のない女の心の持ちように、「この身もまったく恥じ入ってしまうばかりだよ」と、愛情をかけたことをなんとも申し訳ないとお思いのご様子である。しばらくはものもおっしゃられず、ひどく嘆息してつらいとお思いになっていた。
《近づけば消えてしまう帚木のような あなたのお気持ちも知らないで あなたの心に通う園原の 道の途中でわけがわからないまま 途方に暮れてしまったことだ》
申し上げるすべがありません」とおっしゃる。女もさすがにまんじりともせず、
《数ならず卑しい 受領の家に生えているとの 噂がつらいので この世にあるともなくて 消えてしまう帚木なのです》
と申し上げた。小君は、申し訳なく思う気持ちに責めたてられて、眠くもないのにふらふらしながら返歌を持って歩きまわるのを、人が変に思うのではないかと、空蝉は気が揉んでおられる。

君は いかにたばかりなさむと まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに 不用なるよしを聞こゆれば あさましくめづらかなりける心のほどを 身もいと恥づかしくこそなりぬれと いといとほしき御気色なり とばかりものものたまはず いたくうめきて 憂しと思したり
 帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな
聞こえむ方こそなけれとのたまへり 女も さすがにまどろまざりければ
 数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
と聞こえたり 小君 いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを 人あやしと見るらむとわびたまふ

大構造と係り受け

古語探訪

たばかりなさむ 02137

主体は小君。

うしろめたく 02137

心配する。

不用 02137

はかりごとがむだになった。

あさましく 02137

意想外な驚きと失望感。

めづらかなり 02137

光がこれほど愛情を注ぎわざわざ逢いに来たにも関わらず無下にした女性などこれまでなかったことへの賛嘆する気持ち。そこから、自分の下心を恥じ、しつこく強引にしてきたことを申し訳なく思うのである。

いとほしき 02137

気の毒なのではなく、自分の行った行為に対する反省。

とばかり 02137

少しの間。

帚木の心を知らでの歌 02137

「園原や伏屋に生ふる帚木のありとて行けど逢はぬ君かな」(新古今・坂上是則)(信濃にある園原の伏屋という森に生える帚木という木は、遠くから見えているからといって行って見るとどこにもない、そんな木に似てあなたは逢ってくれないのですね)を下にひく。

あやなく 02137

理解不能。

聞こえむ方 02137

方は方角と方途の両意をかける。

伏屋 02137

伏屋の森という地名に、みずぼらしい小屋の意味をかける。ここは地方官である伊予介の後妻になっていること。

憂さ 02137

つらい。

眠たくもあらでまどひ歩く 02137

「眠たくもあれで」は眠くもなくてという順接ではなく、眠くもないのにという逆接である。眠くもなくてなら「眠たくもならで」となる。「まどひ歩く」はあてもなく歩き回るのではなく、空蝉の返歌を光のもとへとどけようとして運んでいる最中。返歌はあっても、光の愛を受け入れないことがわかった小君は返歌を光に渡すことがつらくて、一目散に持ちかえることができず、地に足がつかない状態で、体をふらつかせながら、光のもとへむかっているのである。その様子を姉である空蝉は案じているのが、「わびたまふ」。ここで敬語がついた理由は不明である。返歌を返したことで、光の女としても資格を取り戻したのだろうか。「わびたまふ」の主体を光と空蝉の両方ととることも可能である。その方が敬語が使われている理由が納得できる。しかし、光は自分の気持ちを整理するのが精一杯で、小君のことを思いやるゆとりはないかも知れない。

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