君はとけても寝られ 帚木13章01

2021-03-31

目次

原文 読み 意味

君はとけても寝られたまはず いたづら臥しと思さるるに御目覚めて この北の障子のあなたに人のけはひするを こなたや かくいふ人の隠れたる方ならむ あはれやと御心とどめて やをら起きて立ち聞きたまへば ありつる子の声にて ものけたまはる いづくにおはしますぞ とかれたる声のをかしきにて言へば ここにぞ臥したる 客人は寝たまひぬるか いかに近からむと思ひつるを されどけ遠かりけりと言ふ 寝たりける声のしどけなき いとよく似通ひたれば いもうとと聞きたまひつ 廂にぞ大殿籠もりぬる 音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる げにこそめでたかりけれとみそかに言ふ 昼ならましかば 覗きて見たてまつりてまし とねぶたげに言ひて 顔ひき入れつる声す ねたう 心とどめても問ひ聞けかし とあぢきなく思す まろは端に寝はべらむ あなくるし とて灯かかげなどすべし 女君は ただこの障子口筋交ひたるほどにぞ臥したるべき 中将の君はいづくにぞ 人げ遠き心地してもの恐ろしと言ふなれば 長押の下に人びと臥して答へすなり 下に湯におりて ただ今参らむとはべると言ふ

02124/難易度:☆☆☆

きみ/は/とけ/て/も/ねら/れ/たまは/ず いたづらぶし/と/おぼさ/るる/に/おほむ-め/さめ/て この/きた/の/さうじ/の/あなた/に/ひと/の/けはひ/する/を こなた/や かく/いふ/ひと/の/かくれ/たる/かた/なら/む あはれ/や/と/みこころ/とどめ/て やをら/おき/て/たち/きき/たまへ/ば わありつる/こ/の/こゑ/にて ものけたまはる いづく/に/おはします/ぞ と/かれ/たる/こゑ/の/をかしき/に/て/いへ/ば ここ/に/ぞ/ふし/たる まらうと/は/ね/たまひ/ぬる/か いかに/ちかから/む/と/おもひ/つる/を されど/け-どほかり/けり/と/いふ ね/たり/ける/こゑ/の/しどけなき いと/よく/にかよひ/たれ/ば いもうと/と/きき/たまひ/つ ひさし/に/ぞ/おほとのごもり/ぬる おと/に/きき/つる/おほむ-ありさま/を/み/たてまつり/つる げに/こそ/めでたかり/けれ と/みそか/に/いふ ひる/なら/ましか/ば のぞき/て/み/たてまつり/て/まし と/ねぶたげ/に/いひ/て かほ/ひきいれ/つる/こゑ/す ねたう こころ/とどめ/て/も/とひ/きけ/かし と/あぢきなく/おぼす まろ/は/はし/に/ね/はべら/む あな/くるし とて/ひ/かかげ/など/す/べし をむなぎみ/は ただ/この/さうじぐち/すぢかひ/たる/ほど/に/ぞ/ふし/たる/べき ちゆうじやう-の-きみ/は/いづく/に/ぞ ひとげ/とほき/ここち/し/て もの-おそろし/と/いふ/なれ/ば なげし/の/しも/に/ひとびと/ふし/て/いらへ/す/なり しも/に/ゆ/に/おり/て ただいま/まゐら/む/と/はべる/と/いふ

光君はそわついてお休みになれず、独り寝するわびしさよと思われるにつけお目が覚めてしまい、この北の障子のむこうに人の気配がするのを、そこだろうか、さきの話の女が隠れているというところは、いとしいものだと、お気に止まって、そっと起き上がり立ち聞きなさってみると、先ほど聞いた子供の声で、「もしもしちょっと、どこにおられますか」と、変声時のかすれた耳に立つ声で尋ねると、「ここで寝てるわ。お客さまはもうお休みになって。とても近かい気がしてたけど、意外に遠い感じね」と言う。寝ていたらしい声のしどろなさ、たいそうよく似た感じなので、姉の空蝉だなとおわかりになった。「廂でお休みになっておいでです。うわさに聞いていたお姿を拝見しましたが、じつにもう美しいご様子でしたよ」と、秘密を明かすように小声で言う。「昼だったら、のぞき見させていただくんだけど」とねむたげに言うが、夜具に顔を引き入れくぐもった声となる。悔しいなあ、もっと熱を入れて聞いてくれよと、物足りなさをお感じになる。「ぼくはここで休みますよ。ああしんど」と、寝るために灯を明るくするなどしているようだ。女君はわずかこの障子口をはさんだはすかいあたりで寝ているに違いない。「中将の君はどこなの。ひとけがない感じがしてとても怖いわ」と、自分を誘うような言葉が聞こえた気がしたところ、長押の下で女房たちが寝ながらに返事をするらしく、「下屋にお湯を使いにおりていて、ただいま参りますとのことです」と言う。

君はとけても寝られたまはず いたづら臥しと思さるるに御目覚めて この北の障子のあなたに人のけはひするを こなたや かくいふ人の隠れたる方ならむ あはれやと御心とどめて やをら起きて立ち聞きたまへば ありつる子の声にて ものけたまはる いづくにおはしますぞ とかれたる声のをかしきにて言へば ここにぞ臥したる 客人は寝たまひぬるか いかに近からむと思ひつるを されどけ遠かりけりと言ふ 寝たりける声のしどけなき いとよく似通ひたれば いもうとと聞きたまひつ 廂にぞ大殿籠もりぬる 音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる げにこそめでたかりけれとみそかに言ふ 昼ならましかば 覗きて見たてまつりてまし とねぶたげに言ひて 顔ひき入れつる声す ねたう 心とどめても問ひ聞けかし とあぢきなく思す まろは端に寝はべらむ あなくるし とて灯かかげなどすべし 女君は ただこの障子口筋交ひたるほどにぞ臥したるべき 中将の君はいづくにぞ 人げ遠き心地してもの恐ろしと言ふなれば 長押の下に人びと臥して答へすなり 下に湯におりて ただ今参らむとはべると言ふ

きみ/は/とけ/て/も/ねら/れ/たまは/ず いたづらぶし/と/おぼさ/るる/に/おほむ-め/さめ/て この/きた/の/さうじ/の/あなた/に/ひと/の/けはひ/する/を こなた/や かく/いふ/ひと/の/かくれ/たる/かた/なら/む あはれ/や/と/みこころ/とどめ/て やをら/おき/て/たち/きき/たまへ/ば わありつる/こ/の/こゑ/にて ものけたまはる いづく/に/おはします/ぞ と/かれ/たる/こゑ/の/をかしき/に/て/いへ/ば ここ/に/ぞ/ふし/たる まらうと/は/ね/たまひ/ぬる/か いかに/ちかから/む/と/おもひ/つる/を されど/け-どほかり/けり/と/いふ ね/たり/ける/こゑ/の/しどけなき いと/よく/にかよひ/たれ/ば いもうと/と/きき/たまひ/つ ひさし/に/ぞ/おほとのごもり/ぬる おと/に/きき/つる/おほむ-ありさま/を/み/たてまつり/つる げに/こそ/めでたかり/けれ と/みそか/に/いふ ひる/なら/ましか/ば のぞき/て/み/たてまつり/て/まし と/ねぶたげ/に/いひ/て かほ/ひきいれ/つる/こゑ/す ねたう こころ/とどめ/て/も/とひ/きけ/かし と/あぢきなく/おぼす まろ/は/はし/に/ね/はべら/む あな/くるし とて/ひ/かかげ/など/す/べし をむなぎみ/は ただ/この/さうじぐち/すぢかひ/たる/ほど/に/ぞ/ふし/たる/べき ちゆうじやう-の-きみ/は/いづく/に/ぞ ひとげ/とほき/ここち/し/て もの-おそろし/と/いふ/なれ/ば なげし/の/しも/に/ひとびと/ふし/て/いらへ/す/なり しも/に/ゆ/に/おり/て ただいま/まゐら/む/と/はべる/と/いふ

大構造と係り受け

◇ 「かれたる声のをかしき」(AのB連体形)→「にて」

◇ 「寝たりける声のしどけなき」(AのB連体形):「似通ひたれ」「聞きたまひつ」の主語。

◇ 「言ふなれば」→「言ふ」 
◇ 「長押の下に人びと臥して答へすなり」:挿入句

古語探訪

とけても寝られず 02124

空蝉への好奇心に縛られた状態から解放されて、ぐっすりと眠りに落ちること、それができないでいる。うちとけても寝られない。「とてけても…ず」で陳述の副詞と考えて良い。

いたづら臥し 02124

臥すことで期待できる効果が表れないこと、効果なくむだに臥すだけした状態でいても、その効果が期待できないこと。狸寝入りではないではない。恋人を待って独り寝するとの注もあるが、空蝉からの訪問を期待できるわけではない。思いをこめて眠りにつくと、思い人に会えるという王朝人の夢に託した期待が、眠りにつけないので期待できないことを指す。

と思さるるに御目覚めて 02124

『せめて夢で会えないものかと期待して、空蝉のことを思って寝付いたが、ゆめうつつの中、眠りにも落ちず、空蝉のことが頭からも離れず、ああ、夢でも会えないのか、いたづら臥しだなと思ったところで、目が覚めた。「に」は、その時に、その瞬間に意識がはっきりとした。目覚めてもまだ横たわった状態。

この北の障子 02124

空蝉たちが休む寝殿の西側の、北の廂と北の簀子を隔てる障子(図のX)。おそらく先に女房たちが自分のことをうわさしているのを立ち聞きした襖障子である。「この」と言えるためには、北の障子が見える位置で休んでいなければならない。そうすると、北の廂(図のD)ではなく、北の簀子(図のB)に現在いるはずである。後の小君の発言「廂にぞ大殿籠もりぬる/02124」からは北の廂(図のD)で休んでいるはずだが、これは光源氏と挨拶を交わした場所に過ぎない。ただし、小君としてはそこで休まれたと思い込んだのだ。しかし、「酔ひすすみて皆人びと簀子に臥しつつ静まりぬ/02123」とあり、酔いと暑さのために誰もが簀子で寝に就き、敬語は用いられていないものの、光源氏もその中に混じったと考えざるを得ない。「皆人びと」という複数形をたくみに使い、光源氏の位置をぼかした点については前述した。

あなた 02124

向こう側。北の障子より光源氏は北に位置しているので、「あなた」は北の障子より南となり、空蝉の居場所に合致する。光源氏が東の廂や南の廂から北の障子を見て「あなた」と言ったとしたら、空蝉の居場所は北の簀子となり、二人の位置関係はちんぷんかんぷんとなってしまう。

中川の家の構造について

A:北の簀子の西部屋
B:北の簀子の東部屋(光の寝所)
C:北の廂の西部屋(空蝉の女房たちと小君の寝所、)
D:北の廂の東部屋
E:母屋の西部屋
F:奥の御座所(空蝉と契り)
G:南の廂(従来光の寝所とされている場所)
H:光の立ち位置(小君と空蝉の会話を立ち聞き)
U:空蝉の寝所
V:奥の御座所
X:北の障子(中将が湯を使いに出たため鍵が空いている)
Y:几帳
Z:従来几帳の位置とされていたところ

こなた 02124

「この北の障子のあなた」、寝殿の西側の、北の廂(図のC)または母屋(図のU)を指す。実際に空蝉がいたのは図のU。

かくいふ 02124

紀伊守の発言「不意にかくてものしはべるなり 世の中といふものさのみこそ今も昔も定まりたることはべらね 中についても女の宿世は浮かびたるなむ あはれにはべる/02123」を主に指す。

あはれや 02124

心が強く揺さぶられている状態。この場合、恋心およびは同情心のため。

やをら起きて立ち聞き 02124

場所を図のBから図のHまで移動。

ありつる子の声 02124

小君の声。

ものけたまはる 02124

「ものうけたまはる」を子供らしく略したものとされる。呼びかけの語。

かれたる声 02124

変声期の声。

をかしきにて 02124

光源氏が興味を示していることを表す。

いかに近からむと思ひつるをされどけ遠かりけり 02124

光源氏の身分からすれば、本来は母屋の東部屋の奥の御座所(図V)で休むはずである。そうなれば、母屋の西側の御座所で寝る空蝉は、障子を隔てるのみで、いかにも近く感じられたことだろう。事実、光源氏にしても「衣の音なひはらはらとして若き声どもにくからず/02121」と、距離の近さを感じていた。しかし、光源氏が寝所としたのは、図のBあたりの東の簀子である。いるはずの奥の御座所に人の気配を感じられず、空蝉にはけ遠さを覚えたが、光源氏はすでにすぐ間近に迫り、聞き耳を立てていたことを空蝉は知らないでいる。このあたりの二人の空間的位置と心理的距離のギャップの描き別けを、さらりと会話で行ったところは秀逸である。

しどけなき 02124

用心する気持ちがない。光源氏はすでにプライベート空間に入っているが、それを知られていないことがわかる。

いもうと 02124

小君の姉。古語は年齢の上下に関わりなく女兄弟を「いもうと」と言う。

廂にぞ 02124

寝殿の東側の北の廂を指す。小君はそこで光源氏と体面を果たしたため、その場所で寝たものと考えていたが、実際には北の簀子で寝に就いていた。

大殿籠もりぬる 02124

身分の高い方がお休みになる。

音に聞きつる 02124

うわさが評判となって耳に入っていたこと。

めでたかりけれ 02124

「めでたし」は賛美する気持ち。「けれ」は詠嘆。それまで噂でしかなかった光源氏を目の当たりにした時の感動。

みそかに 02124

特別な秘密を明かすかのように。声が小さいだけではなく、特別感を小君は持って得意げに姉に伝えている感覚を見逃したくない。小君は心理的にすでに光源氏の側に立っていることがわかる。

ましかば…まし 02124

反実仮想。事実に反する願望。

てまし 02124

確述「つ」の未然形+「まし」

ねぶたげに 02124

小君のときめきと対照的である。

顔ひき入れつる 02124

夜具の中に顔を入れる。

声す 02124

夜具に顔を引き入れる物音とも、あーあなど実際の声とも考えられる。

ねたう 02124

「ねたし」のウ音便。自分の噂を耳にしている光の心内語。

心とどめて 02124

気持ちをこめて。思い入れをしてなど、いい加減な言い方でなく、話題にもっと気を入れて。

問ひ聞けかし 02124

小君にあれこれ自分のことを問いかけよ。「かし」は念押し。

あぢきなく思す 02124

「あぢきなく」は不満足な感慨。形容詞の連用形+「思ふ」。

まろ 02124

一人称で自分。小君の自身のこと。

灯かかげなどすべし 02124

子供なので、暗いより明るくして寝たいのだろう。これにより、光は空蝉の部屋に入った時に、暗くて何も見えないということがなくなる。さて、従来のように、光が図のGにいたのでは、灯をかかぐ様子はわからないはずである。図のHにいたから、障子の上の格子から漏れる光が強まったために、「灯かかげなどすべし」と想像できたのである。

障子口筋違ひたる 02124

光源氏が立つ図のHに対して、Uの位置。

べき 02124

語り手が光源氏の立場にたって、空蝉のいる位置を推量する。もし語り手の視点が第三者の立ち場なら(神の視点)空蝉の位置を述べるのに推量は必要ない。こうした語り手の推量表現が、話にふくらみを持たせる。

中将の君 02124

光源氏も帚木の冒頭で中将の位であることが読者に知らされている。「まだ中将などにものしたまひし時は内裏にのみさぶらひようしたまひて/02-003」

人げ遠き心地 02124

光源氏に対しても「されどけ遠かりけり」と感じていた。五月の梅雨明けで暑気が増える季節。空蝉はそれとなく体調の悪さを感じていたのかもしれない。光源氏もまた「人近からむなむうれしかるべき 女遠き旅寝はもの恐ろしき心地すべき」と同様な感慨を抱いている。すでに心理的なシンクロが始まっているのだ。

もの恐ろし 02124

「もの」は人力を超えた力。

なれ(と言ふなれば) 02124

伝聞。光源氏の身になって空蝉の発言を聞いてみよう。目が覚め、立ち聞きすると自分の噂をしている。言葉が途切れ女が寝静まったと思ったら、自分の名が呼ばれ、そばにいてくれないと怖いと誘われたことに、一瞬耳を疑ったろう、もちろん、すぐに勘違いとわかるが。その間の心の揺れが「なれ」一語から伝わってくる。自分でないことにがっかりすると同時に、なり変わってやれと咄嗟に考えたに違いない。読み過ぎかもしれないが、もしこの「なれ」がなければ、同じ名の女房がいるなんてあざとすぎると、トリックの安直さに不満を覚えただろう。しかし、この「なれ」の一語があるから、作り事といった反感を感じず、読者は光源氏の体験を通して空蝉の言葉を聞いてしまうのだ。
この後、光源氏は歯の浮くような言葉で、空蝉に言い寄る。この求愛に違和感を覚える学者が多い。宮仕えを予定していながら父の死により意を曲げざるを得なかった空蝉の存在を、帝から聞き知った時点から、空蝉を狙っていたとみているので、以下の光源氏の言葉は素直に受け入れられる。ただ現代小説であればもうすこし前振りをしたであろうから、それがないために違和感を覚えるらしい。空蝉を狙っていたとの解釈はともかく、それを受け入れなくても、自分の名が呼ばれ寝所に招かれたという、この聞き違い体験が導火線となって、擬似的恋愛から恋情へと一気に爆発させたと考えるのは不思議ではない。現代人が光源氏となって強姦して捕まれば言うだろう、空蝉の方から火をつけたのだと。

長押の下 0124

母屋と廂は長押で区分され、廂は一段低くなっている。上座の母屋に対して、下座の廂であり、長押のしもという表現が成り立つ。要するに寝殿の西側、北の廂(図のC)。

人びと 02124

空蝉付きの女房たち。

下に湯におりて 02124

紀伊守の発言「皆下屋におろしはべりぬる/02123」で触れられた「下屋」。寝殿の北の対の北にある、雑用場所で湯などを使う場所もあった。体を拭いていたのだろう。

ただ今参らむ 02124

中将の君の発言をそのまま伝えた直接話法。

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