暗くなるほどに今宵 帚木12章02

2021-03-29

目次

原文 読み 意味

暗くなるほどに 今宵 中神 内裏よりは塞がりてはべりけり と聞こゆ さかし 例は忌みたまふ方なりけり 二条の院にも同じ筋にて いづくにか違へむ いと悩ましきに とて大殿籠もれり いと悪しきことなり と これかれ聞こゆ 紀伊守にて親しく仕うまつる人の 中川のわたりなる家なむ このころ水せき入れて 涼しき蔭にはべる と聞こゆ いとよかなり 悩ましきに 牛ながら引き入れつべからむ所を とのたまふ 忍び忍びの御方違へ所は あまたありぬべけれど 久しくほど経て渡りたまへるに 方塞げて ひき違へ他ざまへと思さむは いとほしきなるべし 紀伊守に仰せ言賜へば 承りながら 退きて 伊予守の朝臣の家に慎むことはべりて 女房なむまかり移れるころにて 狭き所にはべれば なめげなることやはべらむ と 下に嘆くを 聞きたまひて その人近からむなむ うれしかるべき 女遠き旅寝は もの恐ろしき心地すべきを ただその几帳のうしろに とのたまへば げに よろしき御座所にも とて 人走らせやる いと忍びて ことさらにことことしからぬ所をと 急ぎ出でたまへば 大臣にも聞こえたまはず 御供にも睦ましき限りしておはしましぬ にはかにとわぶれど 人も聞き入れず 寝殿の東面払ひあけさせて かりそめの御しつらひしたり 水の心ばへなど さる方にをかしくしなしたり 田舎家だつ柴垣して 前栽など心とめて植ゑたり 風涼しくて そこはかとなき虫の声々聞こえ 蛍しげく飛びまがひて をかしきほどなり

02120/難易度:★★★

くらく/なる/ほど/に こよひ なかがみ うち/より/は/ふたがり/て/はべり/けり と/きこゆ さかし れい/は/いみ/たまふ/かた/なり/けり にでう-の-ゐん/に/も/おなじ/すぢ/にて いづく/に/か/たがへ/む いと/なやましき/に とて/おほとのごもれ/り いと/あしき/こと/なり/と これかれ/きこゆ き-の-かみ/にて/したしく/つかうまつる/ひと/の なかがは/の/わたり/なる/いへ/なむ このころ/みづ/せき/いれ/て すずしき/かげ/に/はべる と/きこゆ いと/よか/なり なやましき/に うし/ながら/ひき/いれ/つ/べから/む/ところ/を と/のたまふ しのび/しのび/の/おほむ-かたたがへ-どころ/は あまた/あり/ぬ/べけれ/ど ひさしく/ほど/へ/て/わたり/たまへ/る/に かた/ふたげ/て ひき-たがへ/ほかざま/へ/と/おぼさ/む/は いとほしき/なる/べし き-の-かみ/に/おほせごと/たまへ/ば うけたまはり/ながら しりぞき/て いよのかみ-の-あそむ/の/いへ/に/つつしむ/こと/はべり/て にようばう/なむ/まかり/うつれ/る/ころ/にて せばき/ところ/に/はべれ/ば なめげ/なる/こと/や/はべら/む と した/に/なげく/を きき/たまひ/て その/ひと/ちかから/む/なむ うれしかる/べき をむな/とほき/たびね/は もの-おそろしき/ここち/す/べき/を ただ/その/きちやう/の/うしろ/に と/のたまへ/ば げに よろしき/おまし-どころ/に/も/とて ひと/はしらせ/やる いと/しのび/て ことさら/に/ことことしから/ぬ/ところ/を/と いそぎ/いで/たまへ/ば おとど/に/も/きこエ/たまは/ず おほむ-とも/に/も/むつましき/かぎり/して/おはしまし/ぬ にはか/に/と/わぶれ/ど ひと/も/きき/いれ/ず しんでん/の/ひむがしおもて/はらひ/あけ/させ/て かりそめ/の/おほむ-しつらひ/し/たり みづ/の/こころばへ/など さる/かた/に/をかしく/し/なし/たり ゐなかいへ-だつ/しばがき/し/て せんさい/など/こころ/とめ/て/うゑ/たり かぜ/すずしく/て そこはかとなき/むし/の/こゑごゑ/きこエ ほたる/しげく/とび/まがひ/て をかしき/ほど/なり

暗くなる頃に「今夜は、中神のため、内裏からお越しでは方塞がりにあたっておりました」と部屋つきの者が申し上げる。「そうでした、いつもはお避けになる方角でしたわね。」「二条院にしても同じ方角だから、どこに方違えすればよいのか。こうもけだるいのに」とおっしゃり休んでおしまいになる。「とんでもないことです」と、あの女房もこの女房もおいさめ申し上げる。「紀伊守で邸へ親しくお仕えしている人の中川あたりにある家が、近ごろ川の水を堰き入れて、涼しく人目のつかないしのぎ場所でございます」とお耳に入れる。「まことによさそうだな。けだるいから、牛車のまま入って構わなそうなところを」とおっしゃる。人目を避けたお忍びの方違え所は左大臣ご自身もあまたお持ちのはずだが、ひさかたぶりに婿殿がお出ましになったのに方塞がりのため予期せずよそへ行ってしまわれるのかと左大臣がお考えになってはと、若君ははなはだお気の毒になられたに違いない。紀伊守に邸を借りる旨仰せ言をたまわれたところ、紀伊守はうけたまわってはみたもののご前を引きさがり、「伊予守の朝臣の家で忌みごとがありまして、女どもが移り住んでおる時分で、手狭ですので失礼なことでもございましては」と下々にこぼしているのを、お聞きになって、「そんなふうに、人が間近なのが安穏でいい。女っ気のない仮寝は無闇に恐ろしい気持ちがするものだ。ただその几帳の後に寝るだけで」とおっしゃるので、「ごもっともです。不出来でない御座所にでもなるのでしたら」と使いを走らせる。極々人目に立たずことさらに仰々しい扱いなどない寝所をとお望みになり急いでお出になるので、左大臣にも詳細は伝えず、お供にも心許せる者だけを連れてお出かけになった。「そんな急に」と家の者は当惑するが、使いの者までもが取り合わず、寝殿の東半分をすっかりあけ払わせ、急場のご寝所をこしらえた。遣水の配置の妙など、立派に趣き深いしつらえとなっている。田舎家風をよそおった柴垣をめぐらせ、庭の草木など取り合わせに意を配って植えてある。風が涼しくどこで鳴くともわからぬ様々な虫の鳴き音が聞こえ、蛍があまた飛び交い興をそそる頃合である。

暗くなるほどに 今宵 中神 内裏よりは塞がりてはべりけり と聞こゆ さかし 例は忌みたまふ方なりけり 二条の院にも同じ筋にて いづくにか違へむ いと悩ましきに とて大殿籠もれり いと悪しきことなり と これかれ聞こゆ 紀伊守にて親しく仕うまつる人の 中川のわたりなる家なむ このころ水せき入れて 涼しき蔭にはべる と聞こゆ いとよかなり 悩ましきに 牛ながら引き入れつべからむ所を とのたまふ 忍び忍びの御方違へ所は あまたありぬべけれど 久しくほど経て渡りたまへるに 方塞げて ひき違へ他ざまへと思さむは いとほしきなるべし 紀伊守に仰せ言賜へば 承りながら 退きて 伊予守の朝臣の家に慎むことはべりて 女房なむまかり移れるころにて 狭き所にはべれば なめげなることやはべらむ と 下に嘆くを 聞きたまひて その人近からむなむ うれしかるべき 女遠き旅寝は もの恐ろしき心地すべきを ただその几帳のうしろに とのたまへば げに よろしき御座所にも とて 人走らせやる いと忍びて ことさらにことことしからぬ所をと 急ぎ出でたまへば 大臣にも聞こえたまはず 御供にも睦ましき限りしておはしましぬ にはかにとわぶれど 人も聞き入れず 寝殿の東面払ひあけさせて かりそめの御しつらひしたり 水の心ばへなど さる方にをかしくしなしたり 田舎家だつ柴垣して 前栽など心とめて植ゑたり 風涼しくて そこはかとなき虫の声々聞こえ 蛍しげく飛びまがひて をかしきほどなり

大構造と係り受け

◇ 「家なむ…涼しき蔭にはべる」:大構造 
◇ 「このころ水せき入れて」:挿入句(「入れて」は後に係る語はない)

◇ 「忍び忍びの御方違へ所はあまたありぬべけれど」:主体は光源氏ではなく左大臣。 
◇ 「あまたありぬべけれど」→「思さむ」 
◇ 「ひき違へ」→「(他ざまへ)の後の省略語(まかりたまひなむ、など)」

◇ 「その」→「近からむ」

◇ 「いと忍びて」→「(と)急ぎ出でたまへば」 
◇ 「ことさらに」→「ことことしからぬ所を」 
◇ 「大臣にも聞こえたまはず、御供にも睦ましき限りし(て)/AもBも)→「おはしましぬ」

◇ 「人も聞き入れず」→「寝殿の東面払ひあけさせて/02205/聞き入れずで文を終止すると、何を言いたい文章か意味をなさなくなる)

古語探訪

今宵 02120

日中と宵が境目となって、今宵から方塞がりが開始することがわかる。

中神 02120

吉凶禍福をつかさどる陰陽道の神で、己酉(つちのととり)に天から降り、東西南北のぞれぞれに五日間、北東・東南・南西・西北に六日間止まり、十六日間天に休む。六十日で一周するので、どこからどの方角に行くにしても、六十日に一回は五日ないし六日の方塞がりにあう。

内裏よりは塞がり 02120

内裏から左大臣邸へ来た方角がこの神のいる方角にあたる。そのため、これを避けなければ、凶事に遇うとされていた。それを便法として嫌なところに行かず、籠もって好きなことをすることがあった。

聞こゆ 02120

「言ふ」の謙譲語。「内裏よりは」とあるので、申し上げた相手は光源氏。陰陽道の専門的知識を要することなので、おそらく左大臣家付きの専門家から助言を受けた光源氏の随身が、葵の上の住まう建物の外から声を発して知らせたものと思われる。

さかし 02120

指示語の「さ」+終助詞「かし/強調、念押し)。そうであったという同意表現。光源氏の随身の知らせを引き取った女房の発言。ここは葵の上が取り仕切る空間である。外からの知らせを受けるのは女房であって、直接葵の上や光源氏が引き取ることはない。この点を考慮しないがために、女房の発言がここに割り込むのは不自然と解釈されてきた。その結果、光源氏の発言ととらえ、「忌みたまふ」の主体を内裏や左大臣邸にしたり、地の文と考えるなど曲解に曲解を重ねてきたうらみがある。なおまた「さかし」は「賢し」ではない。

例は 02120

いつもは、普段なら。これは光源氏の戯れ言に対する中納言の君の返しである。今宵の方違えに引っかけ、滅多に左大臣邸に来ない光源氏に対する冗談口。いつも避けておられる方角なのに、来られたと思えば方違えですのねという軽いあてつけ。こういう洒落た言葉の応酬こそが王朝時代を支える文化水準の高さをあらわす。

忌みたまふ方なりけり 02120

内裏からみて左大臣邸は今宵から避ける方角であったと気づいたの意味。避ける主体は光源氏以外にないし、事実、この後方違えをするのは光源氏である。内裏や左大臣邸が「忌む」のではない。

二条の院にも 02120

「前述の発言は(二条の院にも)当てはまる」等を略した表現。先の発言の話者とこの発言の話者が異なることが「にも」にも表れている。「二条の院も同じ筋にて」なら前の発話者と同じ発話者であってもおかしくはない。(河内本系・別本系は「例も…二条の院も」、青表紙系は「例は…二条の院にも」と別れる。例と二条の院はカテゴリーが揃わないので、AもBもの表現として自然さを欠くので採用できない)

いづくにか…む 02120

反語で、どこにも行き場所がない。

大殿籠もれり 02120

眠ってしまわれた。「久しくほど経て渡りたまへるに方塞げてひき違へ他ざまへと思さむはいとほしきなるべし」と、久しぶりにやって来ながら方違えのため他所へ行てしまわれるのかと大臣が思うとしたら気の毒だと若君は感じられたようだと説明する。ここの「大殿籠もれり」は左大臣に対するポーズなのだろう。なお、気の毒に思う対象が葵の上でなく左大臣であることは、引用で省略した従属節より明らかである。

悩ましき 02120

病気のような脱力感。雨夜の品定めなどで徹夜がつづき、光源氏はひたすら眠いのだ。

悪しきこと 02120

方塞がりなのに、このまま左大臣邸で光源氏が寝てしまうことに対して。方塞がりに対して悪しきと言ったのではないのは論を俟たないだろう。「今宵中神…悪しきことなり」を一人の話者とし、その間に光源氏の発言が入るなどと考えたところからボタンの掛け違いが始まったようだ。

これかれ 02120

光源氏のやんちゃぶりに女房たちが世話を焼いているところ。

仕うまつる 02120

左大臣に仕える。

中川のわたり 02120

京極川で、今の東京極通りのあたりを流れていたと推定されている。

なる 02120

にある。

涼しき蔭 02120

人目に立たたずに暑さしのぎができる場所ほどの意味。造語か。

いとよかなり 02120

とてもいいようだ。「なり」は人づての判断であるから伝聞。

牛ながら 02120

牛車に乗ったままの状態で。

引き入れつべからむ所 02120

強意「つ(終止形)」+可能「べから(べしの未然形)」可能+推量「む(連体形)」、きっと引き入れられそうな所。引き入れる対象は光源氏自身と従ってゆく一行。。

忍び忍びの御方違へ所はあまたありぬべけれど 02120

「御子どもあまた腹々にものしたまふ/01171」(左大臣にはお子様方が多くのご夫人との間にいらっしゃった。)とある。左大臣にも隠し妻はあちこちにあるだろうけど。通例は光源氏を主体に考えられている。しかし、それでは、あちこち隠し妻がいるのだからそちらにゆくのも仕方ない等、逆接でのつながりが論理を失う。左大臣自身にも方違えの避ける場所としてあちこちに隠し妻があるから事情は察せられるのだが、それでもせっかく娘の元に夫がやって来たのに、すぐに方違えで出て行くのは、左大臣にたいしてさぞ気の毒に感じたろうと、話し手が推測しているのである。

ひき違へ 02120

期待にそむく。予想に反する。

他ざまへ 02120

後ろに「まかりたまひなむ」等の省略。

いとほしきなるべし 02120

「いとほし」は弱った相手(この場合は左大臣)を気の毒に思う気持ち。「なるべし」は話者が光源氏の気持ちを推し量る。つまり、長雨がうち続き内裏にばかり籠もっていた状態で、久しぶりに左大臣のもとにやって来たのに、方違えを理由にすぐに別の場所に移るのは、左大臣に対して申し訳なく思っておいでだろうと、語り手が光源氏の気持ちを推測したのである。気の毒に思う対象は、葵の上に対しても感じてはいるだろうが、忍び忍びの御方違へ場所を持つのは主体は左大臣であり、文章構造上逆接が成立するのは、左大臣以外にない。「かくのみ籠もりさぶらひたまふも大殿の御心いとほしければまかでたまへり/02119」と呼応関係にある。なお、語り手が「いちほし」と想像した根拠は、前文にある光源氏の発言「いとよかなり悩ましきに 牛ながら引き入れつべからむ所をとのたまふ」を受ける以外に考えられない。光源氏が積極的に方違えを望んでいるのでなく、けだるそうにしている消極的な態度をもって、大臣に申し訳なく思っているのだろうと想像したようだ。

仰せ言賜へば 02120

仰せ言を賜った主体は一般に光源氏とされている。紀伊守は、仰せ言を受けた後、そこから退いて愚痴をはく、その愚痴を光源氏が聞くのだから、位置関係から考え、仰せ言の主体を光源氏とは別に考える方が自然である。そもそも「紀伊守にて親しく仕うまつる人の中川のわたりなる家」とあり、紀伊守は左大臣に仕える身であり、光源氏が直接命令する関係にない。加えて、光源氏は以下で読むように、できるだけ簡素な寝所を希望している。仰せ言といった公的で大上段に振りかざしたものからズレるように思う。従って、この主体は左大臣である。些末な部分のようだが、ここは実に重要な伏線に関わるところであり、この後にも言及することになる。

伊予守 02120

紀伊守の父。実際は伊予守ではなく次官の伊予介であるが、任地に赴かない守の代理で任地に赴く場合は、介であっても守と称されたという。

朝臣 02120

父親に対する尊称。

慎むこと 02120

法事の類い。帚木の帖では最初に長雨による内裏の物忌みがあり、ついで左大臣邸の方角が方塞がりとなり、伊予介が法事でいないなど、多くの忌避に包まれた帖となっている。すでに光源氏は女性経験を持ってはいるものの、物語としては具体的に述べられていない。忌避をくぐり抜けることがイニシエーションとなって、物語の主人公として特別な位置に立つことになるのであろう。忌避をかいくぐる点では、業平と伊勢の斎宮の関係が想起されるし、物語では秘せられた藤壺との関係が空蝉との間柄を通じて語られているとも捉えられよう。

女房なむまかり移れるころ 02120

伊予介の後妻である空蝉をふくめ、伊予介の女房たちが紀伊守の家に滞在中である。

なめげなること 02120

光源氏に対して失礼なこと。

下に嘆く 02120

紀伊守の従者たちに向かって愚痴をこぼす。

その人近からむなむ 02120

「女房なむまかり移れるころにて狭き所にはべれば」を受ける。狭き場所で女房たちの近いところが。このフレーズはダブルミーニングとなっているように思う。「その人近からむなむ」と読み、「そのように、人(あるいは女房たち)が近いのが」との解釈。今ひとつは「その人」まさに空蝉自身をほのめかすとの読み。紀伊守は前者として解釈するであろうが、そこに少年っぽい不適さで人妻を寝取ろうとの意図をすでに持っていたと解釈してみたい。空蝉の父である衛門督(えもんのかみ)が娘を宮仕えに出したいとの願いを持っていたことを、光源氏は帝から聞いて知っているのである「主上にも聞こし召しおきて宮仕へに出だし立てむと漏らし奏せしいかになりにけむといつぞやのたまはせし/02123」。そうした知識を得た後、空蝉のことを心中で考えていてもおかしくないだろう。光源氏の母、桐壺の更衣、藤壺の宮、空蝉。いずれも運命が少しずれれば、役回りは入れ替わっていてもおかしくない。かなわない藤壺への思慕に重ねながら、空蝉への思いを募らせ、その機会を光源氏は待っていたのだ。

旅寝 02120

普段住んでいる場所(内裏・二条院・左大臣邸)以外で寝ること。

もの恐ろしき心地 02120

土地土地の地霊に脅かされる感じ。

ただその几帳のうしろに 02120

女房たちが休む際に几帳を立てるが、その後ろで眠るだけでいいの意味。空蝉たちが母屋の西を占領しているため、貴人の御座所として用意すべき母屋の南の廂を当てることができない。そのため、次善の策として東の廂が用意されるが、「いたづら臥しと思さるるに御目覚めてこの北の障子のあなたに人のけはひするを」から読み取ると、光源氏は北の簀子で寝ていたのである。そう考えると、これまで理解できなかった空蝉のもとへ行く侵入経路に矛盾がなくなる。北の廂ないしは北の簀子で寝たいとの意思表示が、「女遠き旅寝はもの恐ろしき心地すべきを」であり、「ただその几帳のうしろに」なのである。返す。

げによろしき御座所にも 02120

本当によい寝場所ですねと解釈されている。しかし、「なめげなることやはべらむ」と恐れている紀伊守が、冗談にしろ自分の家をよい寝場所だと、貴人に対して答えることは考えられない。「よろしき御座所にもなればよいのですが、そうなりますやら……」と、謙遜するのが自然である。「にも」のあとには「ならむ」ではなく、「なれば幸ひならむ」等が続く。以上が表面的な解釈。
しかし、以後の紀伊守の態度を観察すると、どうも空蝉を光源氏に供しようとしているかのような態度が見て取れる。父である伊予介に対する批判的態度がそうさせるのか。子供の中に殿上童を出している関係や、さらに空蝉の弟である小君も殿上童にする意図を持っていることから、紀伊守は光源氏への接近を喜んでおり、手段として空蝉を利用しようという狙いがあったのではないか。そう考えると、ここは謙譲表現であると同時に、しめしめよろしき御座所にしてみましょうとの野心をふくんでいるようにも読み取れる。紀伊守の協力ないし承諾がなければ、光源氏の御座所を北の廂に置くことはできない。侵入経路については空蝉に接近してゆく過程で検討したい。

人 02120

使者。光源氏一行が急遽避暑として家を使うことになったから、その準備を怠らぬようにと使者を立てた。

忍びて 02120

人目を避けて。

ことさらに 02120

格別に。特に注意をして。

ことことしからぬ 02120

「ことことし」は事が重なる、大がかりなことが原義。大げさにならないような。

所 02120

寝場所。場所として中川の家は決定しているので、この場合、光源氏の寝所のしつらえは簡素でよいとの意味。もちろんこれは、「ただその几帳のうしろに」からの伏線の続きになっている。

大臣にも聞こえたまはず 02120

大臣に何を伝えなかったのか。一般には大臣に挨拶せず、すなわち、中川の紀伊守邸に行くことを大臣に伝えずと考えられているが、そんなことがあり得るだろうか。方違えを無視することはできないので、そのために左大臣邸を離れることは気持ちの面でどうあれ、親として理解しうる範囲である。しかし、方違えのことを知らせず出て行くことはあまりに非礼であろう。文章構造上もその解釈では引っかかりが出る。「いと忍びて急ぎ出でたまへば大臣にも聞こえたまはず」であれば、人目を避け急いでいたので大臣への挨拶を行わなかったと解釈するのは自然である。しかし、「ことさらにことことしからぬ所をと急ぎ出でたまへば」とある。これは大臣に話すと「ことことしき所」になってしまうので大臣へ伝えることを遠慮したと解釈すべきである。大臣としては娘婿として最大限の歓待をするように紀伊守に命じた(「仰せ言賜へ」)わけだが、、そうなると空蝉と関係を持ちたい光源氏は行動に制限が加わる。光源氏の狙いとしては、空蝉の部屋に侵入しやすいように母屋の北側に寝所を持ちたい。できれば左大臣の従者たちをつけたくないなど。寝所を簡素にしたいとの真の狙いは、空蝉に近づくことにあるのだ。従って、ここで大臣に伝えないのは、大臣がすすめる貴人にふさわしい寝所から、女近き簡素な寝所に変更したことを告げずに出て行ったのである。

にはかに 02120

貴人が泊まる場所を急に準備しろと言われても紀伊守邸の家の者たちの嘆き。。

人も 02120

光源氏の泊まる場所をしつらえるとなると、それを実行するのは光源氏の従者たちであり、光源氏一行の到着前に仕事をすませてなければならない。ここは光源氏の従者は当然ながら、味方であるべき紀伊守の使者もが聞き入れないの意味。

寝殿 02120

貴族の邸宅の中心の建物。中央に「母屋(もや)」、それを取り囲んで東西南北の四方向に「廂(ひさし)」がある。廂を取り囲んで東西南北の四方向に縁側である「簀子(すのこ)」がある。しかし、ここは雨露が溜まるので休む場所ではない。寝殿の別棟である建物として北・西・東の「対の屋(たいのや)」がある。北の対の屋は紀伊守の妻が使用する。西の対の屋は紀伊守の娘である軒端荻が使用している。東の対の屋は紀伊守が使用している。空蝉は父の後妻であり、紀伊守は敬って寝殿を提供していたのであろう。そこに貴人である光源氏一行が泊まることとなり、急遽、寝殿の東側を空けさせ、光源氏一行の使用に当て、残る寝殿の西半分を空蝉一行が使用することとなった。

東面 02120

寝殿の東半分。具体的には。母屋の東半分、南の廂と簀子の東側半分、東の廂と簀子、北の廂と簀子の東側半分。光源氏は母屋の東側で寝たとされているが、それでは空蝉のもとに侵入できないし、原文とはなはだ乖離してしまう。

水の心ばへ 02120

遣水の配置。

さる方に 02120

立派に、その面で工夫を凝らし。

をかしく 02120

王朝貴族の美意識にかなう。

しなす 02120

勢力を費やした作る。

田舎家だつ 02120

田舎家風を装った。簡素ながら夏は風が抜ける。ここは田舎臭いという否定語ではなく、一種の貴族趣味であろう。

柴垣 02120

雑木の枝を編んで垣根としたもの。

前栽 02120

庭の植え込み。

心とめて 02120

留意して。心を砕いて。

風涼しくて 02120

「中川のわたりなる家なむこのころ水せき入れて涼しき蔭にはべる」とあった。中川の水を遣り水として引き込んでいるために、風が夏でも涼しいようだ。

そこはかとなき 02120

虫にかけて読めば、無名の(虫)となり、声々にかけて読めば、ひっそりとした鳴き音となる。後者であろうが、前者でも可。

飛びまがひて 02120

飛び交い入り乱れる。飛び交いは、蛍の一個体一個体の区別ができるが、入り乱れて個体の区別ができない状態となっている。より幻想的なイメージだが、王朝人にとって蛍は霊魂のイメージも重なるので、単に視覚的に美しいだけではなく、闇が潜んでいる。

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