心にくくもてなして 末摘花06章21

2021-05-12

原文 読み 意味

心にくくもてなして止みなむと思へりしことを くたいてける 心もなくこの人の思ふらむ をさへ思す

06092/難易度:☆☆☆

こころにくく/もてなし/て/やみ/な/む/と/おもへ/り/し/こと/を くたい/て/ける こころ/も/なく/この/ひと/の/おもふ/らむ を/さへ/おぼす

姫のことを君の心にとどめる程度に対処し、そこまでで止めおこうと考えていた命婦の配慮を、ぶち壊しにしてしまったこと、思いやりもあったものじゃないと、この人は思っているだろうと、そんなことまで君は心配している。

心にくくもてなして止みなむと思へりしことを くたいてける 心もなくこの人の思ふらむ をさへ思す

大構造と係り受け

古語探訪

心にくくもてなして止みなむと思へりしこと 06092

「心にくし」は、対象がぼんやりした状態にあって、もどかしさ、憧憬などを示す語。もっと近くで末摘花の琴の演奏を立ち聞きさせてほしい、つまり、末摘花に接近したいと命婦に願い出た際、命婦は近づきすぎず、「心にくくて」との状態で止めおこうと意図したのである。それは、末摘花があまりに人づきあいしないため、接近すれば光の不興を買うだろうとの配慮があったからである。しかし、この点もすでに触れたが、思うに、見た目に貧しい末摘花の暮らしに、安定を得るためには、光のような貴族の援助が必要である。末摘花のもとに出入りする者として、命婦はもっと積極的に光に働きかけてよいはずである。物語の表面には出ていないが、光の愛人である命婦の女心が、これを積極的に推し進めることをためらわせているのではないかと感じられてならない。この段に戻ろう。「心にくくもてなしてやみなむ」とは、光を末摘花の興味を持たせるだけで、近づけ過ぎないでおこうとの命婦の考えである。ここで考えるべきは、では、どこまでならよく、どこからはだめなのかである。ストーリーをまとめよう。末摘花の話を持ち出したのは命婦であり、第一回の透き見が行われる。そして、光がもっと接近したいと願い出る。命婦は近づきすぎないようにしたいと思う。しかし、光の再三の催促にまけて末摘花と出会わせる。ここで光は命婦の意図を踏み越え、末摘花と関係を持ってしまう。関係を持ちながら、光はそこで通ってこなくなり、命婦は見ておられず会いに来たという流れ。こう見てくると、命婦はもともと光を末摘花に逢わせようとの意志はなく、それゆえ、末摘花の面倒をみてもらおうとの狙いもなかったのである。この点は非常に重要である。姫の窮状を見過ごしにできず、仲立ちの者が積極的に貴公子を手引きするというのが、恋愛物語のパターンである。しかし、命婦はその役を担っていない。命婦にとって近づきすぎるとは、末摘花と光が男女の関係を結ぶことであり、それさえ認めない命婦は仲人の立場にないことになる。結論は、以前すでに述べたことだが、命婦が末摘花の話を持ち出したのは、末摘花へ興味を持たせるためにではなく、光と愛人関係にある命婦が年上の女として、若い光の興味をひきつけたいがために、手管として末摘花の存在を利用したのではないか(おそらくそうした話をしたのはベッドの中であり、ベッドインに気乗りしない光を振り向かせるがためであったろう)。そこで、この場面に戻るが、これ以上末摘花に近づけたくないとの女心を無視して末摘花と関係を結んでしまったことに、愛人でもある命婦から、なんと女の気持ちのわからぬ人だと恨まれているだろうなと、光は気を揉んでいるのである。

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