まれまれはあさまし 若紫07章09

2021-05-05

原文 読み 意味

まれまれは あさましの御ことや 訪はぬ など言ふ際は 異にこそはべるなれ 心憂くものたまひなすかな 世とともにはしたなき御もてなしを もし 思し直る折もやと とざまかうさまに試みきこゆるほど いとど思ほし疎むなめりかし よしや 命だに とて 夜の御座に入りたまひぬ

05117/難易度:☆☆☆

まれ/まれ/は あさまし/の/おほむ-こと/や とは/ぬ など/いふ/きは/は こと/に/こそ/はべる/なれ こころうく/も/のたまひ/なす/かな よ/と/ともに/はしたなき/おほむ-もてなし/を もし おぼし/なほる/をり/も/や/と とざまかうさま/に/こころみ/きこゆる/ほど いとど/おもほし/うとむ/な/めり/かし よし/や いのち/だに とて よる/の/おまし/に/いり/たまひ/ぬ

「たまにおっしゃるかと思うと、なんとも飽きれたお言葉ではありませんか。訪れがないなどという場面は今とはまったく別ですのに、よくもそんな情けなくなることを、わざわざおっしゃられるものですよ。常日ごろぶしつけななさりようを、もしや思い直しになる時もあろうかと、いろいろさまざま試し申し上げるするうちに、ますます思い疎んじてゆかれるようです。せめて、命だにと申します、子供だけでも」と言って、君はご寝所にお入りになる。

まれまれは あさましの御ことや 訪はぬ など言ふ際は 異にこそはべるなれ 心憂くものたまひなすかな 世とともにはしたなき御もてなしを もし 思し直る折もやと とざまかうさまに試みきこゆるほど いとど思ほし疎むなめりかし よしや 命だに とて 夜の御座に入りたまひぬ

大構造と係り受け

古語探訪

あさまし 05117

意想外で驚きあきれること。

訪はぬなど言ふ際 05117

男女の忍び逢いをイメージさせる歌語。光と葵は正式な結婚をしているので、場違いであるというのが光の文句のつけどころ。その裏には、光の浮気が妻にばれているというやましさがあるだろうことは上で述べた。

心憂くも 05117

つくづく情けなくなるまでも。

のたまひなす 05117

そんな言い方をすべき時でないのに、わざわざそう言う。表の意味だけでよいのに、裏の意味、すなわちBやCをこめたこと。もちろん、光はCの解釈を認めない、というより、Aの裏にCがあることを隠すために、Bのみを取り上げているのだと思う。「世とともに」は常住坐臥。常々。

はしたなき御もてなし 05117

光をみくびったような態度。光は帝の息子であれ、更衣腹である。葵は左大臣と大宮(帝の姉妹)との間に生まれた。葵が光を軽蔑しているというより、葵が過度にものを言わないから、光自らが引け目を感じてしまうというのが実情であろう。

よしや命だに 05117

どの注釈も「命だに心にかなふものならば何かは人を恨みしもせむ」との定家奥入を引く。そしてこれを疑問視し、命の意味は不明とする。意味が不明なのに疑問視することがよくわからないが、それはまあよい。わたしは古歌はこれでよいと思う。ただ、命の意味を古歌と引き手(この場合は光)が使った意味が違うというだけのことである。注釈者は古歌の意味を何とかしてその場面に合わせようとするが、それは意味がない。辞書の意味を無理に当てるのと一般で、文脈を無視した解釈はもう解釈ですらない。光の発言「せめて命だに」は、これ自体では意味を特定しようがないが、そう言って夜の御座に入ったというのだから、この命とは子供のこと意外考えようがないではないか。「せめて子作りだけは」などという生な言い回しはできないから、古歌の言い回しを引いて、相手にほのめかしたのである。葵が古歌を引いたからというそれに返した面もあろう。しかし、わたしは、この「命」という表現は、さらに光の心理を言い表しているように思う。それは、さきの空蝉の返歌。「うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ」である。光は空蝉との浮気の事実を隠すために、古歌の意味を取り出して、葵をなじったのではないかとの解釈を述べた。この「命」は古歌の「命」であると同時に、空蝉の「命」でもあるのだ。光は意識して、空蝉の「命」をここで引くことで、浮気がばれなかったことの安心を確かめたのかも知れない。あるいは、光の良心が光が知らない無意識のうちに空蝉の「命」を引き、浮気などしていないという光のうそを告発しているのかも知れない。わたしはフロイト的解釈はあまり好まないから、前者であろうと思うが、光が意識したかしなかったかで、解釈は分かれてもよいように思う。ただ、前者がよりよいと思う理由は、葵の前では、光はコンプレックスからどうしてもいじけてしまう。そのいじけた心理をよく表すのは、ここでわざと空蝉の歌をひく方が、そうしたひねくれた意識にかなうだろうと思うからである。いわば、ばれなかったという勝利感と半ばやけばちという複雑な意識の中で空蝉の歌を持ってきたのであろうと思う。

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