明けゆく空はいとい 若紫05章21

2021-05-02

原文 読み 意味

明けゆく空は いといたう霞みて 山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり

05084/難易度:☆☆☆

あけ/ゆく/そら/は いと/いたう/かすみ/て やま/の/とり-ども/そこはかとなう/さへづり/あひ/たり

明けゆく空はとてもとても霞んでいて、山では聞きなれぬ鳥たちがどこで鳴くともなく囀りあっていて、

明けゆく空は いといたう霞みて 山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり

大構造と係り受け

古語探訪

「空」と「山」 05084

「山の」は「鳥」にかけるのが普通だが、それでは「敷けると見ゆるに」の「見ゆる」に対応する語がなくなる。それに「花どもも」の「も」との対応は鳥と花の対比であり、それは山についての鳥と花と見る方がバランスがよい。もっとも「花ども」と「も」のないテキストもある。「そこはかとなく」は、本来、そこ(其処)がそう(彼)かどうかわからないという場所が特定できないことを意味するが、転じてよくわかない場合に使用される。ここでも「名も知らぬ」と対比して考えるのが自然に思うから、どこで鳴いているのかわからないという場所ではなく、聞いてもよくわからない、聞きなれない、聞いたことがない、聞いても何の鳥だかわからないの意味だろうと推測する。「たり」は、「山の」の続き具合から終止形でなく、連用形と考える。「名も知らぬ」は、見も知らぬ、形も知らぬ、色も知らぬなどを秘めている。結局、山は、花々が入り混じり、錦を敷いた感じに見えるということ。花々が入り混じる様子は、錦を敷いてあるように見える原因。この解釈は、「錦を敷けると見ゆる」の対象を明らかにするが、難は鳥と錦との関係が不明であること。どちらの解釈が無理が少ないかは、読者の判断である。(半ば冗談まじりに錦と鳥を読みこんだ歌をあげておく。これは後代の歌だが、「たつた山もみちの錦をりはへてなくといふ鳥の霜のゆふして」(新勅撰和歌集/行念法師)。「をり」は錦を織ると、鳥がそこに居ることで錦が映えるの二重の意味をかけると読んでいいだろう)。「見ゆるに」の「に」は場所を示す。見える場所に。「なやましさ」は、病気から来るのではなく、紫恋しさの気が晴れたのだと思う。病気がすっかり治ったなら、次の聖の護身法はむだである。

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