君は大殿におはしけ 若紫14章01

2021-05-10

原文 読み 意味

君は大殿におはしけるに 例の 女君とみにも対面したまはず ものむつかしくおぼえたまひて あづまをすががきて 常陸には田をこそ作れ といふ歌を 声はいとなまめきて すさびゐたまへり

05222/難易度:☆☆☆

きみ/は/おほいどの/に/おはし/ける/に れい/の をむなぎみ/とみ/に/も/たいめん/し/たまは/ず もの-むつかしく/おぼエ/たまひ/て あづま/を/すががき/て ひたち/に/は/た/を/こそ/つくれ/と/いふ/うた/を こゑ/は/いと/なまめき/て すさび/ゐ/たまへ/り

君は左大臣邸にいらっしゃったが、例のごとく、葵の君はすぐにも対面なさらない。何とも厄介なことだとお感じになって、東琴を心にまかせてすが掻きして、「常陸では田をこそ作っていとまないのに、あなたは浮気と疑い、山を越え雨夜にわざわざやって来る」という俗謡を、声はとても瑞々しく、口ずさみ座っていらっしゃる。

君は大殿におはしけるに 例の 女君とみにも対面したまはず ものむつかしくおぼえたまひて あづまをすががきて 常陸には田をこそ作れ といふ歌を 声はいとなまめきて すさびゐたまへり

大構造と係り受け

古語探訪

大殿 05222

葵のいる左大臣邸。

女君 05222

葵。

ものむつかしくおぼえたまひ 05222

葵がすぐにでも対応に出てこようとしないので、ひどく厄介に思っている。これを、おもしろくないとか、不機嫌と取るのは間違いである。それでは歌の内容とつながらない。光が抱えている問題は、紫を早晩引き取ることになるのを、どのように葵に知らせるか、あるいは、どのように秘密にするかである。おそらくその機会をうかがいに今日は左大臣邸に来ているのだ。ほかにこの邸にいる理由は物語に見あたらない。それなのに、葵はいつものように挨拶にも出てこない。自分に非があるだけに、困ったぞ、面倒だな、厄介なことだというのが「むつかし」の内容である。

あづま 05222

東琴。

すががき 05222

心にまかせて思い入れにひく。即興演奏である。

常陸には田をこそ作れ 05222

風俗歌に「常陸にも 田をこそ作れ あた心 や かぬとや君が 山を越え 雨夜来ませる」とあるのを受ける。常陸にでも田んぼを作っているのに、わが妻は浮気心を起こしているかと、山を越え、雨の夜にやって来る、との意味。「かぬ」は兼ねるで、浮気心を抱くである。光のこの歌はとても重要である。光は農夫に、葵はその妻に仮託されている。今は挨拶に来ないが、そのうち悋気を起こしてこの部屋にやって来ようという、一種のざれ歌である。何度も繰り返すが、ここには「言葉―事柄」構造がある。将来を運命づける言葉をはき(そうと気づかない場合もある)、それが後に実現してしまうという構造である。ここでのように本人自身が述べることもあれば、高麗人の時のように他人である場合もある。この歌の重要性はここからで、一般の解釈は、浮気をしていないとい説明として「田をこそつくれ」と述べていると取るのだが、「田をこそ作れ」自体が意味を持っていると私は思う。「田」はもちろん紫である。自分は「あだ心」でいるのではない。田を作っているのだ。では、女性を田にたとえる意味は何か。田は直接にはもちろん、種を撒く場所である、女性自身である。しかし、いまだ紫はそれを許す肉体にまで成長していない。すなわち、生殖可能な大人の女性にまで、紫を育て上げようという意図が、この歌には籠められているのである。ただし、それが意図したものか、意図せずそうした預言をしてしまったのかは解釈がわかれるであろう。わたしとしては、源氏物語がもつ基本構造として「言葉―事柄」の預言構造が強くあると考えているので、ここでもそれではないかと感じているが、確証はない。(預言構造というのは、たとえば、光はまだ惟光から話しを聞いていないので、明日父宮が紫を迎えに来ることを知らない。まさしくその知らせをもってこちらへ惟光が向かっている最中に、この歌を光が歌うというタイミングは、創作する場合必ず意図をもって選んだのである。惟光の知らせを受けたあとにこの歌を歌ったとしても、物語の内容に変化はないであろう。しかし、物語の構造としては全然意味が違う。聞いてからそれを歌うのは現実社会と変わらないが、聞く前にその歌を歌えば、これは一種の超自然的なものである。源氏物語はリアリスム文学のように言われているが、このように非リアリスム的構造を持っているのである。神話などにはこの種のものが多いが、リアリスム風文学にこれほど神話的構造が入り込んだ文学は珍しいと思う。源氏物語の構造として重視するゆえんである。)さらに、この歌からは、葵の心情がわかるのである。葵は初めから単に冷たい性格であるかのように論ぜられるが、それを打ち消すものではないが、光の浮気に葵は苦しんでいることが、この歌より知られるわけだ。葵自身事実に基づいた嫉妬であるのかないのかわからない嫉妬である点に注意したい。そうした読みを可能にするほどインパクトとタイミングをもった象徴的歌である。

なまめきて 05222

歌の内容は鄙びているのに、声はとても艶やかであるということ。

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