年ごろよりもこよな 若紫13章02

2021-05-10

原文 読み 意味

年ごろよりもこよなう荒れまさり 広うもの古りたる所の いとど人少なに久しければ 見わたしたまひて
かかる所には いかでか しばしも幼き人の過ぐしたまはむ なほ かしこに渡したてまつりてむ 何の所狭きほどにもあらず 乳母は 曹司などしてさぶらひなむ 君は 若き人びとあれば もろともに遊びて いとようものしたまひなむ などのたまふ

05209/難易度:☆☆☆

としごろ/より/も/こよなう/あれ/まさり ひろう/もの-ふり/たる/ところ/の いとど/ひと/ずくな/に/ひさしけれ/ば みわたし/たまひ/て かかる/ところ/に/は いかでか しばし/も/をさなき/ひと/の/すぐし/たまは/む なほ かしこ/に/わたし/たてまつり/て/む なに/の/ところせき/ほど/に/も/あら/ず めのと/は ざうし/など/し/て/さぶらひ/な/む きみ/は わかき/ひとびと/あれ/ば もろともに/あそび/て いと/よう/ものし/たまひ/な/む など/のたまふ

見慣れた頃よりも格段に荒れに荒れ、どこもかもがやたらと古びていて、ますます人気がない状態であり、久しぶりの来訪なので、邸を見渡しになって、「こんなところには、どうして、しばらくでも幼い人がお過ごしになれよう。無理があろうとやはりあちらへお移し申そう。なんの遠慮があろうか。乳母は私室など与えて仕えればよい。姫君は、小さい人たちもいるのだから、一緒に遊んで、とても楽しくお過ごしになれよう」などとおっしゃる。

年ごろよりもこよなう荒れまさり 広うもの古りたる所の いとど人少なに久しければ 見わたしたまひて
かかる所には いかでか しばしも幼き人の過ぐしたまはむ なほ かしこに渡したてまつりてむ 何の所狭きほどにもあらず 乳母は 曹司などしてさぶらひなむ 君は 若き人びとあれば もろともに遊びて いとようものしたまひなむ などのたまふ

大構造と係り受け

古語探訪

広うもの古りたる 05209

諸注は、広々として古びと考えるが、一考を要する。病気の尼君を見舞いに光がここを訪ねたことがあったが、光が通された場所(御座所)と、尼君の臥せている場所の距離は、「いと近ければ心細げなる御声絶え絶え聞こえて」と描写されている。広い邸であれば、わざわざ病人の近くに貴人を通すことがあるだろうか。もともと、病気が重く面会はむずかしだろうという状況の中で設定された場所である。家は狭いと考える方が自然である。また、実事はないながら光と紫は一夜を過ごすが、その折りの自然描写と光や紫その心理状態との呼応は、邸の内と外の境界があやういから成り立つのであろう、ただちにこれをもって家は狭いとは言えないが、狭い方が効果的な感じがする。また、少納言は「年ごろの蓬生をかれなむもさすがに心細う」と発言する場面がある。「蓬生」はもちろん家が荒れ果てたイメージだが、そこに広さよりも狭さを思わせる表現だと思う。以上より「広うもの古りたる」は「広く」かつ「もの古る」ではなく、「広く」は「もの古る」にかかる修飾語と考える。以前は古びたと感じる場所が狭かったのに、今ではその部分が広がったのである。

久しければ 05209

「さびしければ」とするテキストもある。「久しければ」は一見わかりにくく、「さびしければ」の方が読みやすい。ということはテキストの変遷からして、読みにくく変わることは自然でないので、「久しければ」が元のテキストであろうと判断できよう。現在広く受け入れられている大島本は「久しければ」である。

なほ 05209

前提があってやはりである。以前から紫を自邸に移そうという意図がありながら、してこなかったという事実があり、それが前提となっている。

何の所狭きほどにもあらず 05209

「所狭し」は、場所が狭いという物理的表現と、窮屈だという心理的表現を有する語。問題はその主体である。すなわち、受け入れる側の兵部卿宮側が「ところせし」と感じないのか、移される紫の側が「ところせし」と感じないのかである。ここのみでは、敬語がないので、自分たちのことだと読めるが、それでは、「乳母は……、君は……」とつながりがなくなる。「ところせし」の主体がこれらであると考えなければ、テキストが破綻するのだ。そう考えると、窮屈では、訳語として窮屈な感じがする。他所の家だと思って気兼ねすることはない。我がもの顔でいればいいんだ、借りてきた猫みたいに小さくなっている理由はないのだといった意味が、「何のところせきほどにもあらず」である。何の遠慮もいらないと訳したゆえんである。

曹司 05209

私室。部屋の中を仕切った小部屋。乳母にそうした私室が与えられることは特別扱いだが、単に優遇するというのではなく、他の女房たちからプライベートを守ってやろうという意図であろう。だから、気兼ねなく暮らせるのだということ。

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