すこし立ち出でつつ 若紫01章06

2021-04-26

原文 読み 意味

すこし立ち出でつつ見渡したまへば 高き所にて ここかしこ 僧坊どもあらはに見おろさるる ただこのつづら折の下に 同じ小柴なれど うるはしくし渡して 清げなる屋 廊など続けて 木立いとよしあるは 何人の住むにか と問ひたまへば 御供なる人 これなむ なにがし僧都の 二年籠もりはべる方にはべるなる 心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ あやしうも あまりやつしけるかな 聞きもこそすれ などのたまふ

05006/難易度:☆☆☆

すこし/たち/いで/つつ/みわたし/たまへ/ば たかき/ところ/にて ここかしこ そうばう-ども/あらは/に/みおろさ/るる ただ/この/つづらをり/の/しも/に おなじ/こしば/なれ/ど うるはしく/し/わたし/て きよげ/なる/や らう/など/つづけ/て こだち/いと/よし/ある/は なにびと/の/すむ/に/か と/とひ/たまへ/ば おほむ-とも/なる/ひと これ/なむ なにがしそうづ/の ふたとせ/こもり/はべる/かた/に/はべる/なる こころはづかしき/ひと/すむ/なる/ところ/に/こそ/あ/なれ あやしう/も あまり/やつし/ける/かな きき/も/こそ/すれ など/のたまふ

岩屋より少し外に出て見渡してごらんになると、高いところなので、ここかしこに僧房などが丸見えに見下ろされる。すぐこのつづら折りの下に、よそと変らぬ小柴垣ながらきちんと巡らし、こぎれいな家屋や回廊などを建て並べ、木立の趣味のよさは、どんな人が住むのか、とお問いになると、お供の者が、これこそ何とかいう僧都が、この二年間こもっております場所だそうでございます。「そうか、気恥ずかしいくらいに立派な方が住む場所なんだな。それにしてからが、自分でも不思議なくらい、あまりにみすぼらしい姿をしたものだ。聞きつけられでもしたらどうしよう」などとおっしゃる。

すこし立ち出でつつ見渡したまへば 高き所にて ここかしこ 僧坊どもあらはに見おろさるる ただこのつづら折の下に 同じ小柴なれど うるはしくし渡して 清げなる屋 廊など続けて 木立いとよしあるは 何人の住むにか と問ひたまへば 御供なる人 これなむ なにがし僧都の 二年籠もりはべる方にはべるなる 心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ あやしうも あまりやつしけるかな 聞きもこそすれ などのたまふ

大構造と係り受け

古語探訪

僧坊 05006

僧侶の住む建物。

ただ 05006

「下に」にかかり、距離の近さを意味する。

小柴 05006

落ちている柴や竹を使って編んだ質素な垣。逆接「なれど」は、他と違う意味と、小柴垣のように質素ながらの両意が含まれている。すなわち、「同じ」と「小柴」の両方を裏返す。

うるはしく 05006

整然とした美。

木立いとよしある 05006

「よし」は際高級の由緒や教養を示す言葉。この場合、その木立を見れば、その持ち主の生まれや教養の立派さが知られるということ。これが貴族の家であれば、木立の種類の選び方や、配置具合に対して趣味のよさを言うのだろうが、僧侶が木を植え替えることまでしたとも思えないので、『注釈』の説くように、手入れのし方が洗練されていることをいうのだろう。

なにがし僧都 05006

供人は光に対してはっきり名前を言ったであろうが、物語の語り手が聞き手に対して、何とかいう僧都とぼかしたのである。従って、「なにがし」の部分は地の文として処理すべきである。

住むなる所 05006

「なる」は伝聞。いま供の者から聞いたばかりなので、伝聞調になっている。現代語では、文の途中に伝聞表現を入れられないので、「そうか」と文頭に持ってきたが、もっといい処理のし方があるかと思う。

あやしうも 05006

やつしすぎたことに対して、なぞそうまでしたのかわからないという意味。

聞きもこそすれ 05006

聞かれては困るの意味。

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