若君はいと恐ろしう 若紫12章04

2021-05-09

原文 読み 意味

若君は いと恐ろしう いかならむとわななかれて いとうつくしき御肌つきも そぞろ寒げに思したるを らうたくおぼえて 単衣ばかりを押しくくみて わが御心地も かつはうたておぼえたまへど あはれにうち語らひたまひて いざ たまへよ をかしき絵など多く 雛遊びなどする所に と 心につくべきことをのたまふけはひの いとなつかしきを 幼き心地にも いといたう怖ぢず さすがに むつかしう寝も入らずおぼえて 身じろき臥したまへり

05195/難易度:☆☆☆

わかぎみ/は いと/おそろしう いか/なら/む/と/わななか/れ/て いと/うつくしき/おほむ-はだつき/も そぞろ/さむげ/に/おぼし/たる/を らうたく/おぼエ/て ひとへ/ばかり/を/おし-くくみ/て わが/みここち/も かつ/は/うたて/おぼエ/たまへ/ど あはれ/に/うち-かたらひ/たまひ/て いざ たまへ/よ をかしき/ゑ/など/おほく ひひなあそび/など/する/ところ/に と こころ/に/つく/べき/こと/を/のたまふ/けはひ/の いと/なつかしき/を をさなき/ここち/に/も いと/いたう/おぢ/ず さすが/に むつかしう/ね/も/いら/ず/おぼエ/て みじろき/ふし/たまへ/り

姫君は、とても恐ろしくて、どうなるのだろうと体が震えてならず、とても愛しいお肌の様子までが、やたらと寒そうにしていらっしゃるのを、君は見ていられなくなって、単衣だけで体を押しくるんで、自分の気持ちとしても、一方では何とも思わぬことになったものだとついお感じになりながら、情をこめてそっと声をおかけになるには、「さあ、いらっしゃいな。おもしろい絵などがたくさんあり、雛遊びなどするところに」と、気に入りそうな話をなさる様子がとても優しそうなので、幼心にも、それほどひどくは怖がらず、と言ってさすがに安心して寝入ることもできないと感じて、もじもじしながら臥せておられた。

若君は いと恐ろしう いかならむとわななかれて いとうつくしき御肌つきも そぞろ寒げに思したるを らうたくおぼえて 単衣ばかりを押しくくみて わが御心地も かつはうたておぼえたまへど あはれにうち語らひたまひて いざ たまへよ をかしき絵など多く 雛遊びなどする所に と 心につくべきことをのたまふけはひの いとなつかしきを 幼き心地にも いといたう怖ぢず さすがに むつかしう寝も入らずおぼえて 身じろき臥したまへり

大構造と係り受け

古語探訪

そぞろ寒げに思したるをらうたくおぼえて 05195

「らうたし」はこの場合、かわいいではなく、かわいそうだ、守ってやりたいという、同情ないしは積極的保護の意味である。直後に、「単衣ばかりを押しくくみ」とあり、直前に「いとうつくしき御肌」とあるからは、紫はいま全裸に光の前にいるのである。その幼い細やかな肌まで鳥肌だつくらいに震えているのである。光は、自分の欲望を満足することよりも、紫がかわいそうになったのだ。

かつはうたておぼえたまへど 05195

「かつは」は二つの感情が平行してあること。ただし、逆説の接続助詞などを伴うのがふつうで、「かたや……ではあるが」とひとつの感情は打ち消される。

うたて 05195

副詞であって、「うたてし」ではない。物事が予期せぬ方向、すなわち悪い方向に進んでゆくことに対する感情。光は、紫と性交渉するつもりでいたが、寒さに震える紫を見てかわいそうになり、全裸の紫に単衣でくるんでやる。心の中では、こんなつもりではなかったのになとの後悔が一方ではあるが、愛情をこめて言葉をかけるのである。「ご自分のお気持ちとしても思えばあまりに異常な振る舞いである」云々との注釈があるが、「うたてし」と混同している。

をかしき絵など多く雛遊びなどする所に 05195

先に「雛遊びにも、絵描いたまふにも、源氏の君と作り出でて、きよらなる衣着せかしづきたまふ」と地の文にあった。地の文と登場人物の関係について、ここで再び触れておく。物語内において、紫が絵を描いたり人形遊びをするときに光をモデルにすることは、光には知らされていない。より正確には、光がそれを知ったという情報は、聞き手には与えられていない。したがって、光があたかも地の文から影響を受けたかのように、発言することは、ある種の奇妙さを今の読者には感じるだろう。しかし、地の文が登場人物の言動に影響を与えることは古典の世界ではあることである。ただし、女の子の気を引くことは、絵や人形遊びに限られているのだから、別段先の地の文が影響したと見る必要はない、と言うこともできる。読者の納得しやすい方を取るとよい。

「こころざしのほど/05191」とは何だったのか

05191からここまでの解釈で、疑問が一点残っている。それは、光が紫に手荒な真似(つまり強姦)をするのではないかと心配する乳母に、「なほただ世に知らぬこころざしのほどを見はてたまへ/05191」と、光は見栄を切った、その「こころざしのほど」とは一体なんだったのかという問題である。一般には、強姦せずに添い寝したことだと考えられている。ぼく風に言えばやりたいのをがまんしたことらしい。しかし、それをこころざしと言うのだろうか。「こころざし」とは、「こころ」に「さす」つまり目指すが加わった表現である。相手に対して特別な気持ちを向けることである。やるのをがまんしたというのは、マイナスを与えなかったというだけで、プラスを与えたのではない。それに、注釈と詳説した通り、紫を裸にし、光はぎりぎりまでやるつもりでいたのである。しかし、あまりに恐がり、寒さにぶるぶる震えるので、かわいそうになってやめたのであって、逃した思いを残念がってさえいる(「うたて」がそれ)のだから、乳母に決めぜりふを吐いた時点では、やるのやらないのという問題を口にしたのではないであろう。「見はてたまへ」との言い回しを、今夜中に最後まで見られるものと思いこんだから、性交渉という一事に縛られてしまったのである。「こころざし」は、尼君が心配していた、将来を通じて紫の庇護をしてくれるかどうかの問題である。したがって、光は乳母に対して、思いを遂げたからとて、今夜限りで終わらせるつもりはない、将来に渡りずっと面倒を見るから安心せよと言ったのである。痛くないようにするからとか、やさしくするからとか、何もしないからとか、いまどきの男が女を連れ込むときのようなセリフを吐いたのではない。

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