なぞ越えざらむとう 若紫11章12

2021-05-09

原文 読み 意味

なぞ越えざらむ と うち誦じたまへるを 身にしみて若き人びと思へり

05187/難易度:☆☆☆

なぞ/こエ/ざら/む/と うち-ずじ/たまへ/る/を み/に/しみ/て/わかき/ひとびと/おもへ/り

「どうして越えがたきを越えて恋さずにおこう」とふと口ずさみになるのを、この君からそんな風に恋されたらと若い女房たちは体全体で感じた。

なぞ越えざらむ と うち誦じたまへるを 身にしみて若き人びと思へり

大構造と係り受け

古語探訪

なぞ恋ひざらむ(なぞ越えざらむ) 05187

「人知れぬ身は急げども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰・藤原伊尹)の「など越えがたき」を言い換えた表現である。従って、光の言葉は、単にどうして恋さずにおこうかとの意味ではなく、どうしてこの場は越えがたいことがあろう、かならず逢って恋を遂げようという意味で使われていることがわかる。気持ちの上で楽になったので、より積極的(和歌のもってまわった表現より直截であるとの意味)に恋を宣言したのだ。

身にしみて 05187

体全体でぞくぞく感じること。こういう表現は感覚的に理解できないといけない。大事なのは何が身にしみたかである。もちろん、光の口ずさんだ言葉だ。貴公子の中の貴公子である光源氏が、どんなに苦労しようとこの恋を遂げようという発言したのだ。その積極性が、恋に恋している若い女房たち(この時代の女たちは恋をすること以外に興味がないように描かれている)の身にしみたのである。
おまけをひとつ。「身にしみて」を感覚的に理解するということはこう言うことだ、つまり、みるめがやわらかくなったということ。体のしんまで光の言葉にふるえたのである。太古からつづく破瓜(処女喪失)の恐怖感が描かれると同時に、貴公子に言葉が身にしみ通る若い女房たちを描くのが、源氏物語の世界である。

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