参りてありさまなど 若紫13章12

2021-05-10

原文 読み 意味

参りて ありさまなど聞こえければ あはれに思しやらるれど さて通ひたまはむも さすがにすずろなる心地して 軽々しうもてひがめたると 人もや漏り聞かむ など つつましければ ただ迎へてむ と思す

05219/難易度:☆☆☆

まゐり/て ありさま/など/きこエ/けれ/ば あはれ/に/おぼし/やら/るれ/ど さて/かよひ/たまは/む/も さすが/に/すずろ/なる/ここち/し/て かるがるしう/もて/ひがめ/たる/と ひと/も/や/もり/きか/む など つつましけれ/ば ただ/むかへ/て/む と/おぼす

惟光は君のもとに参上して、訪問の様子などを申し上げたところ、愛しく思いやりになるが、そういう気持ちから夫という立場で通ってゆこうとなさるのも、さすがに行き過ぎという気持ちがして、軽率にも無理に奇矯なふるまいをしていると、世間も漏れ聞くことになりはしまいかなど、はばかられるので、迎え入れることにしようとだけお思いになる。

参りて ありさまなど聞こえければ あはれに思しやらるれど さて通ひたまはむも さすがにすずろなる心地して 軽々しうもてひがめたると 人もや漏り聞かむ など つつましければ ただ迎へてむ と思す

大構造と係り受け

古語探訪

参りて 05219

使者として派遣された惟光が、光のもとに復命して。

あはれに思しやらるれど 05219

「あはれなり」は、愛情を示す語。ただし、ここでは、前回の「少納言は惟光にあはれなる物語どもして」を受けた表現で、紫への同情が一段と深まり、さらに愛しくなったという意味。「思しやる」の「やる」は距離のある対象にむかう感覚、距離と方向(ベクトル)を示す。「るれ」は自発。

さて通ひたまはむ 05219

「さて」:「さ」は直前の「あはれに思しやられる」を受ける。つい愛情が深まったという理由での意味。さればとて、という逆接を示すのではない。逆接を示すのは次の「さすがに」。

すずろなる 05219

光と紫の関係性を理解する大変重要な語である。しかじかの根拠・理由などがないという感覚。愛情がわいたからという理由で紫のもとへ通うのはおかしいという意味。ここで問題になるのは「通ひ」という語である。これは単に恋の対象である女のもとに通うことのみを意味しない。通い婚という結婚の一形態である。従って、その関係性は一時的でなく、将来的につづく。これと対比されるのが、「据え」であり、女を一定の場所に据え置くのである。前者が正式な結婚であり(二条院が光の自邸であり、そこから左大臣邸にすむ葵のもとへ、光は通っている)、後者はいわゆる囲いもの、おめかけさんという感じ。愛情がわいたからといって、通い婚をする理由にならないというのが「すずろなる心地」の意味だ。これにはふたつのことを考える必要がある。ひとつは、紫を正式な結婚相手と考えていないという意味。もうひとつは、実際には性交渉が済んでいないため、結婚という形はおかしいという意味である。すなわち、光が二の足を踏んだ理由として、通い婚の「通ふ」という正式さに違和感を感じたという解釈と、結婚自体にためらいを感じた二種類の方向を検討する必要があるということだ。光と紫の関係性において、前者は多く語られているが、後者は見落とされている。どちらかではなく、どちらをも考慮すべきだと私は考える。

軽々しう 05219

例により音便形は連用修飾と考える。すなわち、軽率だの意味でなく、軽率にも……するという意味で取るということ。

もてひがめたる 05219

無理にゆがんだ行動を取るということ。身分が不釣り合いのみか、まだ結婚年齢に達していない紫と通い婚を行うのは、アブノーマルだと批判されようという意味だ。

人も 05219

世間との解釈があるが、光の念頭にあるのは、おそらく、藤壺であり、帝であり、葵の上を初めとする左大臣家の人々であり、さらには、六条御息所を初めとする恋人たちである。特に意識するのは、藤壺、次に葵ではないかと思う。『若紫』の主要女性は、紫、藤壺、葵である。その影に御息所がいる。葵は紫という嫉妬の対象が登場することで、表舞台に入ってくる。

漏り聞かむ 05219

世間の噂の種になるではなく、光が聞かれたくない人の耳に入るということ。

迎へてむ 05219

文字通り引き取ること。ここで再び、「通ひ」と「据え」を取り出す。源氏論では、光は紫を据えたと考えるが、考慮すべきは、さきほどから繰り返しているように、結婚という形態自体に光はためらいを感じているのである。「迎えてむ」は、従って、事実上の棚上げであろうと思う。通い婚でも据えでもない未定状態。そうして時を待つのだ。まだ結婚年齢に達していないという物語が繰り返す警告に、もっとも沿った読み方と思うがどうであろう。素直な解釈がいつも一番よい解釈である。

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