御手などはさるもの 若紫08章04

2021-05-05

原文 読み 意味

御手などはさるものにて ただはかなうおし包みたまへるさまも さだすぎたる御目どもには 目もあやにこのましう見ゆ あな かたはらいたや いかが聞こえむ と 思しわづらふ

05124/難易度:☆☆☆

おほむ-て/など/は/さる/もの/にて ただ/はかなう/おし-つつみ/たまへ/る/さま/も さだ/すぎ/たる/おほむ-め-ども/に/は め/も/あや/に/このましう/みゆ あな かたはらいた/や いかが/きこエ/む/と おぼし/わづらふ

ご筆跡などは当然のごとく立派であって、その上、ただ地味に押し包むようにお書きになっている様子も、盛りを過ぎた尼君たちの目には、目にまぶしいくらい好ましく見える。ああ、困りものだ、女君にどう申し上げるのがよかろうと思い悩まれる。

御手などはさるものにて ただはかなうおし包みたまへるさまも さだすぎたる御目どもには 目もあやにこのましう見ゆ あな かたはらいたや いかが聞こえむ と 思しわづらふ

大構造と係り受け

古語探訪

さるものにて 05124

「さるもの」は、そうあるもの、当然立派で。「にて」は逆接でもよいが、添加だと思う。

ただはかなうおし包みたまへるさま 05124

諸注は手紙の包み方があっさりしていて凝っていないと解するが、それでは「目もあやに(まぶしい)」という感想はおかしい。この「おしつつみ」は、感情を抑えた書き方(筆勢)であること。すなわち、手紙の字についてである。変にうまく書こうという気持ちがなく地味に書かれている点が、かえってまぶしいくらいに好もしいのだ。

かたはらいたや 05124

自分を第三者の立場としてきまりが悪いの意味Aか、第三者に対してきまりが悪いの意味Bかである。もしBなら尼君自身が当事者となり、決まり悪く思う第三者は、手紙の使いか周りの女房ということにでもなろう、これは考えられない。ということは、解釈はAしかない。すなわち、当事者は光と紫であり、自分(間気味)は第三者的立場にあることになる。これはどういうことかと言うと、光の用向きの相手は紫であって、尼君はそれを取り次ぐ役であるとの自覚があるということだ。なぜ決まりが悪いかというと、取り次ごうにも取り次げないからである。この語の語感がわかったところで、今日の問題、「いかが聞こえんと思しわづらふ」の「聞こえん」:これまで何度も説明した通り、これは光に対して返事のしようがないとの意味ではなく、紫へ話しようがないの意味である。尼君が当事者意識であるなら、紫へは内緒で、光への返事だけを考えればよい。しかし、高貴な光からの申し出は、紫の将来をまるまる左右する。それを尼君が紫に伝えず勝手に断るのがためらわれるから困るのである。取り次ごうにも、相手がそれを理解できない年齢だから困るのである。

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