聖動きもえせねどと 若紫05章23
原文 読み 意味
聖 動きもえせねど とかうして護身参らせたまふ かれたる声の いといたうすきひがめるも あはれに功づきて 陀羅尼誦みたり
05086/難易度:☆☆☆
ひじり うごき/も/え/せね/ど とかう/し/て/ごしん/まゐらせ/たまふ かれ/たる/こゑ/の いと/いたう/すき/ひがめ/る/も あはれ/に/くうづき/て だらに/よみ/たり
聖は行のため身動きもできないが、それでも無理をして護身の法をしてさしあげになる。しわがれた声が、抜けた歯の隙間からすけて聞こえてくるのも有り難味があり、修行の功が感じられ、そうした声で陀羅尼を唱えている。
聖 動きもえせねど とかうして護身参らせたまふ かれたる声の いといたうすきひがめるも あはれに功づきて 陀羅尼誦みたり
大構造と係り受け
古語探訪
動きもえせねど 05086
「老いかがまりて室の外にもまかでず」と照応する。
とかうして 05086
それでも無理して光のいる坊まで参じたとの解釈があるが、それは推測である。身動きもできないほど年をとりながら、それでも無理しての意味以上に限定することはできない。さらに言えば、僧都のいる坊から聖のもとにゆく途中の光景が、「明けゆく空は……なやましさも紛れ果てぬ」という叙述であろう。
護身 05086
護身法で、印を結び陀羅尼を唱えて病魔から身を守る法のこと。
かれたる声のいといたうすきひがめるもあはれに功づきて陀羅尼誦みたり 05086
「声の」は「ひがめる」にかかり、「声の……ひがめるも」全体が「あはれに功づき」にかかり、「あはれ」と「功づき」は並列で、「声の……あはれに功づきて」全体が「陀羅尼読みたり」にかかる。「すきひがめる」は、歯が抜けその隙間から聞き取れにくい声で聞こえるとの注があるが不明である。聖のいる場所が隙間が多くて声がいびつに聞こえるのかも知れない。陀羅尼の発声法とかかわるのかも知れないが根拠はない。「あはれ」は仏道修行からくるありがたさの意味。『注釈』の慈悲深くの意味であろう。「功づき」は修行を積んだ感じが声にもそなわり。陀羅尼は、梵語の呪文で、音を原語のまま発するもの。普通の経典は、意味により漢語に翻訳されたものを音読する。