瘧病にわづらひたま 若紫01章01
原文 読み 意味
瘧病にわづらひたまひて よろづにまじなひ加持など参らせたまへど しるしなくて あまたたびおこりたまひければ ある人 北山になむ なにがし寺といふ所に かしこき行ひ人はべる 去年の夏も世におこりて 人びとまじなひわづらひしを やがてとどむるたぐひ あまたはべりき ししこらかしつる時はうたてはべるを とくこそ試みさせたまはめ など聞こゆれば 召しに遣はしたるに 老いかがまりて 室の外にもまかでず と申したれば いかがはせむ いと忍びてものせむ とのたまひて 御供にむつましき四 五人ばかりして まだ暁におはす
05001/難易度:☆☆☆
わらはやみ/に/わづらひ/たまひ/て よろづ/に/まじなひ/かぢ/など/まゐら/せ/たまへ/ど しるし/なく/て あまた/たび/おこり/たまひ/けれ/ば あるひと きたやま/に/なむ なにがしでら/と/いふ/ところ/に かしこき/おこなひびと/はべる こぞ/の/なつ/も/よ/に/おこり/て ひとびと/まじなひ/わづらひ/し/を やがて/とどむる/たぐひ あまた/はべり/き ししこらかし/つる/とき/は/うたて/はべる/を とく/こそ/こころみ/させ/たまは/め など/きこゆれ/ば めし/に/つかはし/たる/に おイ/かがまり/て/むろ/の/と/に/も/まかで/ず と/まうし/たれ/ば いかが/は/せ/む いと/しのび/て/ものせ/む と/のたまひ/て おほむ-とも/に/むつましき/し ごにん/ばかり/して まだ/あかつき/に/おはす
君は流行り病をわずらわれて、八方手を尽くしまじないや祈祷などをおさせになったが、なんの効き目もなくて、幾度もくりかえし発作を起こしになったので、ある人が、「北山にですね、なんとか寺というところに、霊力のすぐれた行者がいます。去年の夏も流行り病が猖獗を極めて、さまざまな術師がまじないの効き目なく手をこまねいていたところ、ただちに病気を治めるという、そういった手柄話がたんとございました。こじらせてしまってからは厄介ですので、はやくまあ、やって見させられては」などと申し上げるので、お召しのため使者をお遣わしになったところ、「腰がもう老いかがまって、房の外にも出向きません」とお答え申し上げるので、「他にどうしようがあろう、仕方ない、ごく内密に出かけよう」とおっしゃって、御供は心許せる四五人ぐらいにして、まだ暁どきにお越しになる。
瘧病にわづらひたまひて よろづにまじなひ加持など参らせたまへど しるしなくて あまたたびおこりたまひければ ある人 北山になむ なにがし寺といふ所に かしこき行ひ人はべる 去年の夏も世におこりて 人びとまじなひわづらひしを やがてとどむるたぐひ あまたはべりき ししこらかしつる時はうたてはべるを とくこそ試みさせたまはめ など聞こゆれば 召しに遣はしたるに 老いかがまりて 室の外にもまかでず と申したれば いかがはせむ いと忍びてものせむ とのたまひて 御供にむつましき四 五人ばかりして まだ暁におはす
大構造と係り受け
古語探訪
北山になむ 05001
「北山に行ひ人はべる」とつづく。したがって、「北山でございますが」という訳は文意には添うが精確ではない。「なにがし寺」は、古来、鞍馬寺に比定されてきたが、距離が遠すぎる点や見晴らしが効かない点など、本文と矛盾する点が多い。紫式部に縁のある寺として、角田文衛氏は岩倉の大雲寺をあげる。他にも諸説ある。個人的には大雲寺かなという気がするが、源氏物語を読み味わうことと、式部がどこを想定して書いたかということには何の関係もない。書かれていることがすべてであって、書かれていないこと用いて、書かれていることを解釈することは、百害あって一利なしであろう。文学と史実との関係については、『桐壺』冒頭の「いづれの御時」の注で行った。「行ひ人」は修行者。のちに「聖(ひじり)」とある人。
去年の夏も世におこりて 05001
「おこり」は「瘧(おこり)」でなく、「おこる」の連用形。「おこる」は「起こる(病気が流行り出す)」ではなく、「興る・熾る」で、さかえる・隆盛をきわめるの意味。猖獗を極める。
人びと 05001
世間の人々ではなく、うぞうむぞうの祈祷師たち。
まじなひわづらひ 05001
「わづらひ」は、うまく~できずに困ること。源氏では「立ちわづらひ」「聞きわづらひ」「思ひわづらひ」などの例がある。立てなかった、聞こえなかった、こうだと思い切れなかったのだ。従って、細かい議論だが、「まじなったが効き目がなかった」の訳は不正確である。まじなえなかったのだから。「まじないにより病魔を退散させようとしたができなかった」のだ。だが、重要なことは、訳をひねくりまわすことにあるのではない。訳文に惑わされず、古語の語感をしっかり身につけてもらうために、不要とも思える議論を行ったまでである。
やがて 05001
ただちに。
とどむる 05001
止めるの意味の他動詞。
いかがはせむ 05001
直訳ではどうしたらよいかとの意味になるが、使用される場面は、難しい決断を行う場面で使われる。他にどうしようがあろうかとの意味である。