なごりも慰めがたう 若紫13章08
原文 読み 意味
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり 行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず ただ年ごろ立ち離るる折なうまつはしならひて 今は亡き人となりたまひにける と思すがいみじきに 幼き御心地なれど 胸つとふたがりて 例のやうにも遊びたまはず 昼はさても紛らはしたまふを 夕暮となれば いみじく屈したまへば かくてはいかでか過ごしたまはむと 慰めわびて 乳母も泣きあへり
05215/難易度:☆☆☆
なごり/も/なぐさめ/がたう/なき/ゐ/たまへ/り ゆくさき/の/み/の/あら/む/こと/など/まで/も/おぼし/しら/ず ただ/としごろ/たち-はなるる/をり/なう/まつはし/ならひ/て いま/は/なきひと/と/なり/たまひ/に/ける と/おぼす/が/いみじき/に をさなき/みここち/なれ/ど むね/つと/ふたがり/て れい/の/やう/に/も/あそび/たまは/ず ひる/は/さて/も/まぎらはし/たまふ/を ゆふぐれ/と/なれ/ば いみじく/くし/たまへ/ば かく/て/は/いかで/か/すごし/たまは/む/と なぐさめ/わび/て めのと/も/なき/あへ/り
その後も慰めがたく泣いておられた。行く先自分の身に待ち受けていることがらさえお考えにならず、ただ長年そばから離れる時なく身近に置くのが常であったものを、今は亡き人となってしまわれたとの悲しみがあまりに深く、幼い御心ながら胸がついふさがれて、いつものように無心で遊ばれることもなく、昼はそのようにしてでも気持ちを紛らわしになるけれど、夕暮れになるとひどく気を滅入らせてしまわれるので、こんな風ではどのようにして暮らしてゆかれようと、慰めようもなくて、乳母もともに泣きあった。
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり 行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず ただ年ごろ立ち離るる折なうまつはしならひて 今は亡き人となりたまひにける と思すがいみじきに 幼き御心地なれど 胸つとふたがりて 例のやうにも遊びたまはず 昼はさても紛らはしたまふを 夕暮となれば いみじく屈したまへば かくてはいかでか過ごしたまはむと 慰めわびて 乳母も泣きあへり
大構造と係り受け
古語探訪
なごり 05215
その後。何か事態が進行したあと。たいていは、別れの後を言う。ここも父宮が帰った後である。
行く先身のあらむこと 05215
将来その身に起きることがら。具体的には、父宮のもとに連れて行かれるかもしれないこと、そこで起こるかも知れないさまざまなつらいこと。あるいは、光の無理な求愛を受けることになること、それに続く悲恋など。
まつはしならひて 05215
「し」は使役。尼君が紫をそばに居させた。
思すがいみじき 05215
主語述語の関係ととる。主格の「が」の前に、程度、具合などを補うとわかりやすい。
例のやうにも遊びたまはず 05215
ふたつの解釈が可能だと思う。いつも遊んでいるのに対して、いつもとは違って遊ばなくなったの意味がひとつ。いつもほどにも遊ばないという読み方がいまひとつ、すなわち、遊ぶには遊んだが、遊び方がいつもほどでもなかったとの意味。どちらを取るかは、「例のやう」が具体的に述べられているか、そこから何が読み取れるかによって決まる。遊びに関しては、雀の子を逃がした場面と、人形遊びやお絵描きに光を使ったという描写があった。しかし、これ以上の情報がないので、決定し得ない。いつものように無心には程度にとっておくのが無難か。
さても 05215
指示語で、幼心地に胸をふさがらせたままいつもみたいに遊ぶことがなくてもの意味。それでもという訳では、文脈が消えてしまう。
屈したまへ 05215
心が晴れない。気が滅入ること。
あへり 05215
互いにしあうこと。ここは紫と一緒に乳母も慰める言葉がなく泣いたのだ。