山里人にも久しく訪 若紫11章03
原文 読み 意味
山里人にも 久しく訪れたまはざりけるを 思し出でて ふりはへ遣はしたりければ 僧都の返り事のみあり
05178/難易度:☆☆☆
やまざとびと/に/も ひさしく/おとづれ/たまは/ざり/ける/を おぼし/いで/て ふりはへ/つかはし/たり/けれ/ば そうづ/の/かへりごと/のみ/あり
山里に移った人にも、久しく音信を絶やしておられたことを、思い出しになって、わざわざ使者を遣わされたところ、僧都の返書だけがある。
山里人にも 久しく訪れたまはざりけるを 思し出でて ふりはへ遣はしたりければ 僧都の返り事のみあり
大構造と係り受け
古語探訪
山里人 05178
容態が急変し「山寺にまかり渡る」とあった尼君のこと。光は朱雀院の行幸の件で忙しくしていたのだろう、尼君が死ぬかもしれないと予想していなかった。
ふりはへ 05178
わざわざの意味だが、そう注するだけでは足りない。手紙を持ってゆくのは使者がするのだから、いつでも手紙を出すときには「ふりはへ遣はし」になってしまう。手紙を出す使者には、槐太手紙を持たせるだけの使い走りと、使者がある程度教養がある場合、それに口上を言わせたり、即席で和歌のやり取りをさせたりする信頼できる使者との違いがある。ここでは、その場で臨機応変な返事のできる信頼できる使者を立て、それに尼君を見舞わせ、なろうことなら、紫の将来の確約を取り付けようとしたことが想像されるのである。それなのに、僧都の返書しかなかったのである。尼君の死を知らない光は、意外の感に打たれ、落胆したろうことが想像される。こうした表面だって描かれていない部分にも心理劇があることを読み込まなければ、源氏物語のおもしろさはわからないと思う。