舞人などやむごとな 若紫11章02
原文 読み 意味
舞人など やむごとなき家の子ども 上達部 殿上人どもなども その方につきづきしきは みな選らせたまへれば 親王達 大臣よりはじめて とりどりの才ども習ひたまふ いとまなし
05177/難易度:☆☆☆
まひびと/など やむごとなき/いへのこ-ども かむだちめ てんじやうびと-ども/など/も その/かた/に/つきづきしき/は みな/えら/せ/たまへ/れ/ば みこ-たち だいじん/より/はじめ/て とりどり/の/ざえ-ども/ならひ/たまふ いとま/なし
舞人など、高貴な家の子息たちや、上達人や殿上人たちなどでも、それぞれの方面でふさわしい者は、みなお選びになれらたので、親王たちや大臣をはじめとして、それぞれ多様な技芸を練習されること、忙しい限りである。
舞人など やむごとなき家の子ども 上達部 殿上人どもなども その方につきづきしきは みな選らせたまへれば 親王達 大臣よりはじめて とりどりの才ども習ひたまふ いとまなし
大構造と係り受け
古語探訪
その方 05177
舞人などの方面。この段の問題は、なぜ行幸の話をここに挿入したかであろう。前後に直接的理由がないのだから、前後を分離するという間接的理由ということ以上のことは不明である。では、間接的理由とは、尼君の死をぼかすという効果である。明記はされていないが、舞人として当然光も選ばれているのだから、その練習に余念がなかったはずである。そのため尼君の死を知らずに過ごすことになる。もし光が近く尼君が死ぬことを知っていれば、もっと積極的に紫を手に入れる算段をしたであろう。結果として紫は略奪婚となるのだから、略奪という形をとらない結婚形態をとりえたのかも知れない。そうなると、紫の位置というのは決定的に変わってくる。これは逆に言うと、紫は略奪婚という形を離れては論じられないということだ。これが、尼君の死を光に知らせない物語的意味である。ただし、そのためには行幸でなくとも、何か光を縛るものであればよかったのである。なぜ行幸なのか、先にも述べたように、その積極的理由は見つけにくい。しかし、結果として、行幸というもっとも華やかな世界と、尼君の死が対比されることになる。生と死の対比であると同時に、宮中と鄙の対比でもあり、それは光の立つ世界と紫の立つ世界の対比でもある。なお、尼君と紫と光の関係は、藤壺の母と藤壺と帝との関係に類似をみる。それは帝または光の懇願に対して、世話役が反対していながら、その死によって、運命が変わってしまう点である。藤壺の母の場合、物語としてはかなり安易に死を迎えてしまう。それは藤壺はあくまで物語の背後にある存在で、詳述する必要がないからであろう。それに対して紫は物語の表舞台の存在であり、そのため、その世話人である尼君に対しても、よりこまやかな筆遣いがなされているのであろう。ただし、この論には注意が必要で、物語の表舞台は常に、物語の裏舞台から支配を受けているのである。それはちょうど、前世により今生が影響を受けているようなものである。そのような二重構造はこの物語は孕んでいるのである。