僧都もあはれ何の契 若紫06章19
原文 読み 意味
僧都も あはれ 何の契りにて かかる御さまながら いとむつかしき日本の末の世に生まれたまへらむと見るに いとなむ悲しき とて 目おしのごひたまふ
050105/難易度:☆☆☆
そうづ/も あはれ なに/の/ちぎり/にて かかる/おほむ-さま/ながら いと/むつかしき/ひのもと/の/すゑ/の/よ/に/むまれ/たまへ/ら/む/と/みる/に いと/なむ/かなしき とて め/おしのごひ/たまふ
僧都までもが、「何とまあ、どういうご縁で、こんな美しいお姿のまま、ひどく仏道を得がたい辺地である日の本の末の世にお生まれになったのだろうかと、とても悲しい」と目を押しぬぐいになった。
僧都も あはれ 何の契りにて かかる御さまながら いとむつかしき日本の末の世に生まれたまへらむと見るに いとなむ悲しき とて 目おしのごひたまふ
大構造と係り受け
古語探訪
かかる御さまながら 05105
このような美しいお姿でありながら。「かかる」は、このようなの意味だが、このようなが受ける内容は、このようなうつくしい姿ということ。
むつかしき 05105:何が厄介か
厄介ということであるが、具体的に何が厄介なのかを限定してゆくのはなかなか厄介である。手続きとして、これに関連する文脈をとらえることになる。まず、「日本(ひのもと)の末の世」にかかり、「生まれたまへらむ」と対比的に使用されていることはすぐにわかると思う。となれば、解はひとつの方向に決まってゆく。生きて行く上で、日本の末の世では何が厄介なのかを考えればよいのだ。ここで発言者が僧侶であることを考慮すれば、「末の世」は、末法思想で言う、仏法が衰える時代であり、「日本」もインドから見て辺地であることに思い当たる。仏道を修行するのに難儀であるこの辺地である日本のこの末世に、ほどの意味だとわかる。