人びとは帰したまひ 若紫02章02

2021-04-28

原文 読み 意味

人びとは帰したまひて 惟光朝臣と覗きたまへば ただこの西面にしも 仏据ゑたてまつりて行ふ 尼なりけり

05025/難易度:☆☆☆

ひとびと/は/かへし/たまひ/て これみつのあそむ/と/のぞき/たまへ/ば ただ/この/にしおもて/に/しも ほとけ/すゑ/たてまつり/て/おこなふ あま/なり/けり

供の者たちは都にお帰しになり、惟光朝臣と透き見をなさると、すぐこの西側の部屋に持仏をお据え申して勤行している様子、何と尼だった。

人びとは帰したまひて 惟光朝臣と覗きたまへば ただこの西面にしも 仏据ゑたてまつりて行ふ 尼なりけり

大構造と係り受け

古語探訪

覗きたまへば 05025

帰結は、「尼なりけり」である。

ただこの西面にしも仏据ゑたてまつりて行ふ 05025

一種の挿入であり、英語で言えば、関係代名詞の非制限用法。「勤行している尼であった」のではなく、「それは尼だった」のが発見であり、その時勤行していたのである。この違いは、現代語にはないので、なかなか厄介である。すなわち、古文の「連体形+名詞」と現代文の「連体形+名詞」は用法がことなるのである。古文ではこの形で、制限用法と比3制限用法があるが、現代文では制限用法しかないのである。制限用法と非制限用法を説明すると。
A He has a daughter who is in America.(制限)
B He has a daughter, who is in America.(非制限)
まず制限・非制限は、daughterに対して、制限しているかしていないかということ。さて、Aは、「アメリカに住む」が「娘」を修飾している。彼にはアメリカに住んでいる娘がいる。つまり、アメリカ以外の場所に住んでいる娘がいるかも知れないのだ。「アメリカに住んでいる」という条件が「娘」を制限し、そういう娘は一人しかいないの意味。Bは、彼には娘がひとりだけいて、その娘は、今アメリカに住んでいるの意味である。娘が何人かいればHe has daughtersでなければならないので、a daughterとあるだけで、一人しかいないの意味になる(一人しかの部分で制限用法などと勘違いしないように)。その彼女はアメリカに住んでいる。Aではwhoはdaughterの修飾語になっているが、Bでは、is in Americaの主語になっている点で、ぜんぜん別の用法である。しかし、本当の違いは、叙述の中心がアメリカにいることに主眼があるのか、娘に主眼があるかの違いである。カンマのあるなしは目安でしかない。この英文には前後の文がないので、両者の違いを立てられないが、原文にもどると、透き見をしたら、尼だったというのが文の骨子であるのか、透き見をしたら、修行している尼だったというのが文の骨子なのかということ。後者は修行していない尼を想定した文なので、ここには当てはめ難い。よって、非制限用法としての連体形だと判断するのだ。ちなみに話し言葉では、Aの用法はあまり使われないし、読み方はdaughterとwhoを続けて発音するが、Bの場合は、その間で一呼吸おくのが普通だから、区別はできる、らしい。

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